AIについては、これまで何度もここへ書いてきた。だからと言って私がAIに詳しいわけではない。まあ、巷間言われている人工知能の噂や人間型ロボットの変形、その程度の俗っぽい知識でしかない。

 プログラムがどうの、ディープラーニングがどうの言われたところで、まさにチンプンカンプンである。人間における記憶の仕組みや、判断の仕組みなどを考えていくと、人間とAIの区別すら危うくなってくる。

 メモリーたる脳細胞とそれらをつなぐニューロンの接続や組み合わせが人間の記憶だとするなら、テラバイトの容量を持つ記憶装置と人間の脳細胞とはどこが違うのか、今の私には分からなくなってきているからである。

 そんな私がこんなことを言い出すのは、まさに荒唐無稽そのものかもしれない。ディープラーニングをどこまで人工知能としての機能に含めるかは、議論のあるところだろう。

 人間らしさと機械装置とは違う、無意識に私はそんな思いを抱いている。理屈も根拠もデータもなしにである。それは実証できない単なる思い込みでしかないのかも知れず、それを否定する根拠すら持っていない。

 現在の人工知能の判断パターンは、いわゆるディープラーニングというプログラムによるものだと言われている。つまり、ディプラーニングが人工知能の基本にあるということである。

 一方、ディープラーニングと同じシステムで我々人間が思考しているのかと問われると、どうも少し違うと思ってしまう。なぜなら、ディープラーニングは、数万数十万のデータが必要とされのに対して、我々の判断はそれほどのデータを必要とせず、むしろ「いいかげんさ」の中で決断しているように思えるからである。

 だから、ディープラーニングの世界は私達の人間世界とは違うと思う。そして、それがもし正しいのなら、ディプラーニングの世界は、人間世界とは異質の世界になる。

 だとするなら、そこはまさに「人間不在の世界」なのではないかと思えてしまう。人間社会と似ているかもしれないし、もしかしたらまるで異なる判断の含まれる世界なのかもしれない。

 私たちは飛行機を発明した。それは擬人的には人間に翼を与えたと同じ意味を持つのかもしれない。自転車や自動車の発明は、まさに私達に驚異的な能力を付与した。そのほかのいわゆる文明と言われる多くの発明や発見も同じである。

 でもそうした発明や発見は、人間の能力の増大だったのだろうか。本当に私たちは翼を得たのだろうか。単にA地点からB地点への移動時間の短縮に機械の力を借りただけのことであって、それはたんなるマシンを利用した利便性の獲得に過ぎなかったのではないだろうか。

 人は相変わらずひ弱で貧弱で無力とも言える生物である。その代わりに知恵を得た、と言いたいのかも知れないけれど、人間を除くあらゆる生物がいわゆる「知恵を得る」とは別の進化を遂げている。そうした進化の方向は、もしかしたら生物の向かうべき方向を示していたのではないだろうか。

 人間だけが、異質な進化、俗っぽくいうなら「神に従わない進化」を選んでしまったのではないだろうか。だからもしかしたら人口知能は、このままでいいのかも知れない。特異で、神に反した進化を選んだ生物は、むしろ環境にそぐわない生物として、この地上から排斥されてしまう末路を基本的に持っているのかもしれない。

 例えば、現代の赤道直下の地上にで、仮に北極熊が遺伝的に発生したと仮定してみよう。遺伝は別に改良された進化を意味しているわけではなく、ランダムな変化が環境に適しているかどうかで生存が決まるのだと思う。

 だとすれば、赤道に発生した白熊や極地に偶然生まれた無毛生物などは、たちどころに絶滅することだろう。そのほかどんな環境にしろ、その環境にそぐわない生物、もしくは環境の変化に対応できなかった生物は、間違いなくその末路は絶滅にならざるを得ない。

 そうしたとき、人類は間違いなくこうした「対応できない特殊な生物」に分類されてしまうのではないだろうか。人類は優秀だと言うかも知れない。でも逆に考えるなら、優秀であることが特異であり、それが適応を疎外していることだってあると思う。

 しかも前述したように、人類だけが他の生物種と異なった発達をしているのである。そしてその人類は、生物の歴史の中で、僅か最近の短期間に発生した特殊生物になっているのである。

 恐竜は6億年を生延びたと言われている。その期間を通じてそれなりに進化しただろうし、結局は現代の鳥につながる進化の過程で生延びてきたのかもしれない。でも進化の過程を通じて、動物はやっぱり動物として進化したままで、言語や文明、発明や建築などのいわゆる人類が謳歌しているような様々を獲得することはできなかった。

 それはなにも恐竜に限るものではない。原始の世界から生延びているウィルスや恐竜を超える歴史を生延びてきた昆虫なども同様である。人類の特殊さに比べて、他の生物種のなんと共通していることか。

 進化には、当たり前のパターンがあって、それが生物なのではないかと私は思う。そして、その当たり前のパターンから極端に外れているのが人類なのである。

 地球の未来がどうなっていくのか、私には分からない。でも、人類が生物として生き残るためには、「当たり前のパターン」に逃げ込むしか方法がないような気がしてならない。言語もなく、文化もない、もちろん宇宙ロケットも人工知能もない、ただひたすらにゴキブリや鳥や獣のように生きるためだけのために特化した生物にならない限り、人類に未来はないように思う。

 それは同時に、そんな形での進化以外に人類の生きる道はないことを意味し、そんな形での進化のできない生物であり続けるとしたなら、その行末は絶滅だけが待っているように思えるのである。


                        2020.7.2        佐々木利夫


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