医師から処方される薬は、かつては病院の窓口で自分の名が呼ばれるのを待合室であてどなく待っているのが普通だった。「処方されるまで待つ」という基本姿勢は今もかわらないけれど、いつの間にか医薬分業が定着して、医者から貰った処方箋を、薬局の窓口に提出する方式に変わりつつある。

 もつともそのことで、投薬される薬の名前が患者に細かく分かるようになった。しかも、薬局から渡される写真つき薬剤の説明資料で、薬効はもとよりその副作用まで知ることができるのである。

 現在私はなんと9種類もの処方を受けている。そしてその一つ一つに服用上の注意や副作用などが知らされることになったのである。私が処方されている9種の薬にどんな副作用があるのか、この資料にはこんな風に書かれている。

 @ ときにむかつき、胃腸障害。まれに動悸、頭痛、めまい。
 A 息切れ、息苦しい、空咳、発熱。めまい、ふらつき。むくみ、尿量の減少、体がだるく熱がある。
 B 発熱、体がだるい、むくみ、あおあざ、出血しやすい。目の充血、のどの痛み、皮膚の水泡、広範囲の紅斑、口内炎。息切れ、息苦しい、空咳、発熱。
 C 特定の食品による薬効の低下。めまい、ふらつき。手足の痛み、息切れ、胸痛、頭痛、視力低下。あおあさ゜、鼻血、歯ぐきの出血、皮下出血、血尿。からだがだるい、嘔吐、吐き気、食欲不振、かゆみ、白目が黄色、皮膚が黄色、尿の色が濃くなる、手のふるえ、考えがまとまらない。
 D 胃の不快。発熱、目の充血、のどの痛み、皮膚の水泡、広範囲の紅斑、口内炎。内出血、あおあざ。
 E めまい、ふらつき、
 F 息切れ、息苦しい、空咳、発熱。体がだるい、あおあざ、出血しやすい。関節のいたみ、吐き気、腹痛、むくみ、尿量減少。光過敏。めまい。
 G 発熱、咳、息切れ、息が苦しい。ときにむかつき、下痢。
 H 息切れ、息苦しい、空咳、発熱。手足のしびれ、脱力、筋肉痛、歩きにくい。だるい、かゆみ、白目が黄色、出血しやすい。水ぶくれ、関節の痛み。

 一つ一つの薬に、こんなにも多くの副作用があるのである。一錠の例外もなく、全てに副作用が明記されているのである。そして私はこの九種類を、毎朝食後一ぺんに飲み込まなければならないのである。「朝食後」と書かれた透明な小袋に封入された9錠を、私は封を切って一気に喉の奥へと放り込むのである。

 もちろんそれぞれの薬は、治療を目的とするものである。私の病状を改善すべく医師が処方し、その指示にしたがって私は薬局からこれらの薬を受け取り、そして服用するのである。

 それはその通りである。でも考えても欲しい。私がこれらの薬を一気に飲み下すということは、同時に副作用も一緒に飲み込むことを意味している。その薬は血圧を下げるために服用しているのかもしれないけれど、同時に発熱や吐き気も一緒に飲み込んでいるのである。

 もちろん薬効と副作用とは両刃の剣である。片方の効果ともう片方の反作用、それを見極めながら選択を決定するものである。恐らくその見極めは、薬事審議会などの政府機関が検証していることだろう。そして健康保険の関係機関もそれに参加していることだろう。

 副作用よりも薬効が高い、これが薬であることの要件になっているのだろう。それは分かっている。でもこれだけ副作用を並べられると、果たして副作用とは何なのかが改めて自身に問われているように思えてならない。

 もう一度、上に掲げた副作用一覧を眺めて欲しい。一々確認しなくとも、発熱や嘔吐やあおあざなどの症状がいたるところに見られる。それを私は、一日も欠かさすに飲み下すのである。どこかで、私の体が悲鳴を上げるのではないか、副作用の重複は逆に薬効を削いでしまっているのではないか、そのうち私は副作用に殺されてしまうのではないか、そんなことすら思うのである。

 もちろん資料には、「まれに・・・」、とか「・・・場合があります」などの記述があり、副作用は限定的であること、起きない場合もあることなども分かる。そしてこれらの副作用が、すべて私の身に起きるものではないことくらい、分からないではない。

 それでもそれでも、そして副作用らしき反応が私の身に起きないことを確かめつつではあるのだが、余りにも書かれた副作用の多さに、時に仰天し、時に呆れ、時に嚥下にためらいを感じるのである。読むだけで、副作用に犯されてしまいそうな、そんな気さえするのである。


              
          2020.5.12        佐々木利夫


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副作用の意味