確かに戸惑うだろうと思う。新聞でのこんな特集記事である(2019.12.29、朝日新聞、カナリアの歌)。就職活動で企業に面接を受けに行った学生が、面接官から突然「あなたの個性は?」と問われたと言う話である。返答に戸惑っただろう学生の顔が見えるようである。

 歳80にもなってくると、「私の個性は、へそ曲がりなことです」くらいの答は用意できるような気がしているけれど、就活先の面接官に、若者としてそこまで開き直ることは難しいだろう。だから戸惑って、質問者、つまり採用する側の望むような回答にはならなかったのだろうと思う。

 でも私はこの質問者の意図が、だからこそにあるのではないかと思ったのである。戸惑いを感じたとするなら、その戸惑いを通じて就職希望者の用意した答えではない、いわゆる紋切り型でない素の性格や姿勢などをそこから読み取ろうとしたのではないだろうか。

 この新聞はその質問したことに対して、見出しに大きく「就活で急に 個性問われても 『脅し」みたい」と書いている。そこのところに、私はどことない違和感を覚えたのである。

 その背景には、「これしきの質問に、今時の若者は脅迫と感じるのだろうか」との思いがあった。こんな質問にいちいち脅迫性を感じていたら、世の中の面接と言う面接は、ことごとくが脅迫の連鎖になってしまうのではないかと思ったからである。

 また他方、面接官が「あなたの個性は」と問うことくらいは、誰でも考えつく当然の質問なのではないだろうかとも思った。もちろん、「当社を選んだ理由は?」なども聞くだろうし、学生時代のクラブ活動など学業以外にチャレンジした分野なども聞かれるとは思う。

 それでも、どんな形の質問になるかどうかはともかく、「あなたの性格は?」とか、「あなたの趣味は?」などを相手に尋ねるのは、面接担当者としてそれほど珍しいことではないように思う。

 そうした質問を「脅迫」と感じるのは、少なくともそうした質問を発した面接官に、学生が既に気後れを感じているからではないだろうか。これではその面接は、始まる前から既に学生の負けである。面接を受けるまでもなく負けである。

 これしきの質問に戸惑いだけでなく、「脅迫」と感じた時点で、学生はその企業への挑戦資格を失ったと私には思える。

 「脅迫」は個性を問う質問だけに限らない。「やりたいこと」、「AIに奪われない仕事を」、「終身雇用は昔の話」、「ベンチャーはリスクが高い」など、受験者が「え?」と思う質問はすべて脅迫になるというのである。そしてそれらを就活セミナーで教えられた、「大人に反抗したら、それはダメです」と言う紋切り型の思いの中に押し込めてしまうのである。

 押し込めてしまうこと自体問題だとは思う。ただそれにも増して、なんとこうした話題は全ての学生が「就活セミナー」を受けていることが前提になっているのである。自分の勉強不足で「個性を尋ねられるかもしれない」という想定をしなかったというならまだ分かる。しかし、学生はあらかじめ就活セミナーを受けているのである。

 それにもかかわらず、そのセミナーの講師はこうした想定質問があるであろうことを、生徒に伝えなかったか、もしくは伝えるのを忘れたのであろうか。もしくは、学生がそのことを覚えていなかったか、はじめから聞いていなかったのであろうか。

 前にも書いたように、「あなたの個性は?」と尋ねることは、面接官としては定番の質問だと思う。これしきの質問があるだろうことを、学生はあらかじめ想定することすらせず、無手勝流、無防備のまま面接会場へ出向いたことになる。

 しかもそうした質問を「脅迫」と断じて質問者を責めるなどは、責任転嫁も甚だしいと私は思ってしまう。現代は、「え?」と思うような質問は、すべて脅迫に集約されてしまうものなのだろうか。自分が自信を持って答えられるあらかじめ用意されたの返答以外は、すべて面接官の脅迫であり、発してはならない質問だと今の学生は面接の意味を整理してしまっているのだろうか。


                                2020.1.12    佐々木利夫


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個性と就活