これは三年前に発生した大阪北部地震のとき、台湾の蔡英文総統から日本へ見舞いの言葉があり、その答礼として安倍首相から発せられた言葉だそうである。

 この言葉の意味は、分かりやすくいえばこうである。
 「まさかの時の友こそ、真の友

 実は私はこの三年前のこうした事実をまるで分かったいなかった。この言葉は中国語として普通に使われており、台湾でも良く使われる言葉らしい。それが今回の新型コロナウィルス騒ぎにつながり、更にこの日本〜台湾の対話を越えて使われるようになっていっらしい。

 言葉の意味、まさにその通りだと思う。苦境にあり、誰からも孤立している時に、手を差し伸べてくれる人がいたら、それこそまさに「真の友」と呼びたくなるだろう。いやいや、単に呼ぶだけでなく、心から信頼できる友と言えるかも知れない。
 だから、言葉だけを並べるなら、このタイトルに掲げた表現に、私は何の異論もない。

 私がこの言葉を聞いたのは今年1月に心臓病で入院した病室でのテレビからである。新型コロナウィルスが世界中に感染を拡大しているその最中に聞いたのである。

 日本語が漢字から発達し、漢字は中国の漢時代の象形文字の流れを汲んでいることくらいは知っている。そのこととどこまで関連しているかどうかまではきちんと理解しているわけではないけれど、小中高と国語の授業には常に「古典」があり、日本だけでなく中国の詩(いわゆる漢詩)が頻繁に授業に出てきたことを覚えている。

 とは言いつつも、私はこの言葉を知らなかった。始めて耳にした言葉だったからなのかも知れないし、文字列からだけではその意味が理解できるほどの実力もなかったのかもしれない。解説されて初めて、いい言葉だな、と思い、漢詩に改めて魅力を感じたことでもあった。

 でもこの熟語と言うか言葉を聞いた場面では、必ずしもそうならなかった。私がこの言葉を耳にしたのは、中国の習近平国家主席から国連グテレス事務総長に向けて発せられたニュースであった。

 今年の1月、新型コロナウィルスの感染拡大は、中国の武漢から始まった。そのことは、発生や拡大の責任が中国にあるかのような印象を世界に与える要因ともなった。中国はもちろんそうした事実を否定し、「我が国には責任がない」ことを強調する姿勢をとり続けることになる。

 現在でもアメリカは中国武漢の研究施設からのウィメスの漏洩が原因であると主張し、仮にそうでなくても武漢からの発生と拡大を阻止できない買ったのは中国政府の責任だと主張している。逆に中国はこれを真っ向から否定し、中には中国へウィルスを持ち込んだのはアメリカだする論調すら出始めている。

 果たしてともに誤りなのか、それとも単なる政治的な駆け引きに過ぎないことなのか、調査権限もデータも全くない私に、その真実を判断することはできない。

 ただこの言葉は、習国家主席が国連事務総長との文書交換の中で使い、国連事務総長から投げかけられたメッセージに対する答礼としてなされたことが明らかにされている。

 事務総長は中国に向けて手紙で、このように表明したのだそうである。
 「中国の(新型コロナウィするに対する)予防・抑制措置を前向きに評価し、また公的発言で何度も、感染に立ち向かう中国の努力を支持する

 その答礼の言葉として習国家主席が、「患難見真情」の語を発したのだそうである。

 ことは外交である。私には想像もつかないような、様々な駆け引きがそこに存しているだろうことくらい、想像がつかないではない。場合によっては、真意とは別のまさに「外交辞令」であって、内容的には何の意味も持たないことだってあるのかもしれない。

 だから、そんな前提を置いた外交的な美辞麗句に一々反応したところで無意味だと言われてしまえばそれまでのことである。ただそれでも、そしてそれが仮に一過性の外交辞令だったとしても国としての挨拶として掲げ、答礼としてそれに応えたのだとするなら、少なくとも国連から国へ、そして国から国連への礼儀として、「その時の真意」を示しているのではないかと思うのである。

 場合によっては明日にも国連を脱退して、他の加盟国に宣戦布告するような状況下にあるのかもしれない。また別の何かの駆け引きのための偽りの手段であることだってないとは言えないだろう。それでも、発せられた言葉は、少なくとも公的に発せられたという意味で、見せ掛けにしろ真意になるのではないのだろうか。

 ただ私にはここで発せられたこの言葉には、無意味さしか感じられなかったのである。自国が発生源ではないことだけを強調し宣言しているような、そんな言い訳だけしか感じることができなかったのである。

 中国では日常的に使われている言葉なのかも知れないけれど、「患難見真情」の語源を私は何もしらない。ただ意味からして、習近平国家主席やその側近らが勝手に作った言葉ではなく、古典である漢詩からの引用ではないかと思う。

 だからこそ、そこにある言葉の意味、つまり内容を踏まえた心情が必要になると思えたのである。一過性の、たとえ糊塗された内容を持つものであったとしても、発したことの内実を伝える言葉であって欲しかったと思うのである。

 それが微塵も感じられないまさに空疎であることが、あからさまに分かるような使い方の中に、私はこの漢詩の作者の思いが真っ向から冒涜されたような、そんな淋しさを感じてしまったのである。

 アメリカはWHO(世界保健機関)が中国寄りだと批判している。どこまで真意なのか私に分かろうはずはない。アメリカは、国連そのものが中国寄りだと批判したいのか、はたまた単に自分の気に食わないことは、全て相手の責任にしたいとの思惑からなのか、世界の動きは私の理解をとうに超えてしまっている。

 既に言葉は、言霊としての力を失ってしまっているのだろうか。


                        2020.5.18        佐々木利夫


            トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ
 
 
 
患難見真情