「秩序が揺らいだ時、差別が現れる」と論者は言う(2020.8.12、朝日新聞 論壇、村山綾 近畿大学准教授、社会心理学)。

 言ってることが分からないと言うのではない。でもその内容が私の心にストンと落ちてこない。分かるけど分からない、だからどうした、それで・・・、そんな感情が次々に湧いてきて、得心とか納得とかなるほどと思えるような感触が、その論考からは伝わってこないのである。

 学者らしい専門用語や横文字などが並んでいるけれど、その一言一言が、私の心に入ってこないのである。もちろん、私の理解力不足がその前提にあるのだろうことを否定するつもりはない。分からないのは作者ではなく、もっぱら読者である私のせいだというわけである。

 とは言っても、どこかで聞いたことがある、「新聞は、中学生を対象に編集している」とする方針が正しいとするなら、私は中学生程度の理解力すら持ち合わせていないことになる。それはそうかも知れないけれど、それをあっさりと自認してしまうのもどこか癪である。

 論者は「人は限られた時間の中で大量の情報を整理し、日常生活を効率的に送るために有効なもの」としてステレオタイプと名づけるスタイルを選んだのだと言う。そしてそれに、「好き」「嫌い」などの感情を伴ったものが「偏見だ」と主張する。

 それは著者の自由な発想による考え方なのだから、あえて否定しようとは思わない。まさに彼女の主義主張だと思うからである。でも彼女自身も認めているように、そうした傾向は「大量の情報を整理し日常生活を効率的に送るために有効もの」として私たちに備わっているものなのである。

 だとするならそうした特性が、特定の場面でネガティブな現象として表れてくるからと言って、その全部を否定してしまうのは、どこか納得できないものが残る。

 私にはむしろ、「大量の情報整理、日常生活の効率化」は、私たちの生存にとって必須とも言える手段だったとさえ思えるからである。そしてそれは「多少の範囲」を超えて、仮に多大な弊害を伴う手段にまで拡大することがあったとしても、それでもなお残しておくべき生存手段として必須の位置を与えられているのではないだろうか。

 薬には、ほとんどと言ってもいいほど副作用がある。だからと言って、その副作用の存在を以て薬そのものを否定するのは、どこか間違いであるように思う。もちろん、薬効と副作用とは、当然にその功罪を比較考量すべきものではあるだろう。「薬で風邪は治ったけれど、副作用で死んだ」では本末転倒だからである。

 だからと言って、副作用の根絶もまた現実には難しいのではないだろうか。副作用ゼロが目指すべき方向であることを否定はしない。だが、現存する薬のほとんどに副作用の存在していることが、その根絶の困難さを示しているように思える。

 そうして最後に彼女は、「差別そのものの構造が広く理解されるべきだと・・・強調」し、「他人を攻撃し、差別してしまった自分は、こうした心の過程を経ているのだということを客観的に見られれば、問題の解消にもつながるのではないか」とする。

 なんだか筋が通った考え方のようにも思えるけれど、実感として彼女は何を言いたいのだろうかが私には届かない。「差別の構造が広く理解されるべき」・・・は、なんか当たり前過ぎて、しかも意味不明である。果たして彼女は何を強調したいのだろうか。

 彼女の考えの基本は「こうした心の過程」であり、その過程を「客観的に見る」ことである。言ってることの言葉の意味として分からないというのではない。

 でもそうした思いは、「世界中の人たちが戦争に反対すれば戦争はなくなる」みたいな言い方と同じで、結局は何も言っていないのと同じなのではないだろうか。

 彼女は「こうした心の過程」は、「人々は元々、容易に内と外に分かれる性質がある」ことを自認した上で、人そのものが保有していると主張している。だとするなら、これは人間が人間として進化した過程で、自らの中に獲得した性質なのではないだろうか。

 もしかしたらそれが人間そのものなのかも知れない。「人間って何だ」は、極限として答えのない問いかけかもしれないけれど、多様化を広く認めようとする現代である。絶対悪の存在を、理論的に認めないわけではないけれど、人はどんな時も善と悪の混合として存在している。

 悪の中にも善があり、善にも悪が含まれている。時に善が悪に変化したり、悪の程度と言うか濃淡が周囲の環境によって異なってくることだってある。そんなときに、特定の場面場面を個別に切り取ってその是非を論ずるのは、果たしてどこまで正しいと言えるのだろうか。

 そしてそして、この記事を「論壇」という紙面に推薦したと思われる朝日新聞の論壇委員が書いた解説には、「コロナ禍で表出した、感染者や医療従事者に向けた避難や差別問題・・・への対処法の提示」(東京大学特任講師・内田麻理香)とある。この記事のとこにその答が書かれていると言うのだろうか。


                        2020.9.1        佐々木利夫


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