数日前、自宅の電話が鳴った。「○○警察署の××と言います」で始まったその電話は、なんでも詐欺グループ数人を捕まえたところ現職銀行員も含まれていたと話し始めた。そして「その人たちがあなたの電話番号などのメモを持っていた。これから不審電話等がかかってくることがあるかもしれないので、注意してください。」そんな内容であった。

 だから、金送れとか、キャッシュカードの暗証番号を知らせろなど、直接に金銭が絡むような内容ではなかった。だから不審電話というわけではない。でも考えてみたら、この電話だって十分不審ではないかと、咄嗟に思ってしまった。そんな風に思い込んでしまうと、そこから抜け出せなくなるのが人の常である。どうにも相手がまともに思えなくなってくる。

 相手が本物の警察官かも知れないとの気持ちは十分あるのだが、「もしかしたら詐欺グループからの電話ではないか?」との思いからも抜け出せない。そんなジレンマを抱いてのやり取りになっていまう。それはつまり、相手がもし本当の善意から電話している警察官だったなら、きっと気分を害しただろうと思えるような応答になってしまったことだろうことを意味する。

 ともかくも「分りました、気をつけます」という煮え切らない思いのまま、電話は終わった。そして電話を切ってから考えた。一応、警察署の電話番号も相手の名前も聞いた。特に被害のあるような通話内容ではなかったから、理屈の上ではまずは一安心である。

 それはそうなんだけれど、どこか腑に落ちない気持ちが私の中に残る。電話応答は終わったのだし、特にあとを引くような話題でもなかったのだから、一件落着として忘れてしまってもいいことになる。でも後味が悪い、すっきりしないのである。

 その原因は、電話の相手が本物かどうかの確認が、私の中で解決できていないことにある。煮え切らない中途半端さが、まだ私の心に残ったままになっている。電話の相手が本物にしろ偽者にしろ、どちらかに区別できたなら、それはそれで解決になる。だがこの状態は、どっちつかずの中途半端なままである。

 このモヤモヤを解決する一つの方法は、相手方たる警察署に電話をかけて、電話相手を呼び出して確認することである。「先ほどはありがとうございました」でもなんでもいい、本人が出て話がうまく噛みあえば、先ほどの電話は本物の警察官からのものだったということになる。

 でもここにきてはたと疑問が湧いた。私自身は○○警察署のきちんとした電話番号を知らないのである。手帳にも、壁のメモにもそんな番号の記載はない。確かにメモに番号は書かれている。だがその数字は、先ほどの電話の相手から聞いた番号である。今は相手を不審者と疑って確認をしようとしているのだから、その疑わしい相手の言った番号をそのまま鵜呑みにするのは間違いだろう。

 仮に偽者からの電話だとしたら、その番号も偽者だと言うことになる。そしてこうした詐欺グループの常道として、その番号へかけたとしたら相手はこちらの望むような返事をするだろう。つまり、電話を受けた者は「はいこちらは○○警察署です」と名乗るだろうし、「××さんにつないでください」との呼びかけには、偽者たる先ほどの相手が出てくることだろう。

 つまりこの確認方法では、偽者か本物かの区別がつかないということである。となると、まず本物の電話番号が必要になる。ところが電話番号を記したいわゆる「電話帳」が、最近は家庭に配られなくなってきているのである。携帯電話が普及して、固定電話なんぞを持っているのは珍しい存在になりつつある。だから、ご近所の商店や区役所・郵便局などの電話番号を印刷した貼紙などがなくなっていくのは、これまた止むを得ない仕儀なのかもしれない。

 もちろん他に確認する手段がないわけではない。家族や知人に聞くのでもいいし、インターネットで検索することもできる。だが伝聞に正確性を期待することは危険だし、最近はフィシング詐欺などと言って、本物そっくりに模造されたホームページもあると言われている。だとするなら、他人に聞いたりネット画面をそのまま信じたりすることは危険である。

 なんなら警察署まではハイヤーを飛ばすことだって可能である。また110番は番号がキチンと管理されているだろうから、そこへ電話することでも十分に目的を達することができる。

 話が少しずつ複雑重大になってくる。つまりは大げさにしないと、本物かどうかの確認が出来ない時代になってきていると言うことである。相手からはその後、「私は本物である」ことを告げるような連絡は一切ない。

 弁護士を騙り、警察官や検察庁、さらには裁判所の職員や公務員などを騙る詐欺電話が横行していると聞く。「まずは疑え」、が広く言われている不審電話への対処法である。また、「私どもでは決して自分から電話をかけるような行動はしておりません」との報道も聞く。

 自分が正統な自分であることの証明は、実は思ったほど簡単ではない。私が昔から信じていた言葉に「警察官は嘘をつかない」という、一種の神話ともとれるような一言がある。恐らくそれは真実なのではなくて、そう信じたいという願望が言葉に化体されたものだとは思うけれど、今ではその言葉を信じる人はいないまでに死語と成り果てている。

 この電話も一度きりで、その後なんの連絡もない。もし電話したのが本物の警察官であり、本当に私に注意喚起をしたいために電話したのなら、その後のフォローもしないまま放置しておくのは間違いである。

 私は、「この電話こそ不審ではないか」と、侮辱ともとれる言葉を相手に吐いたのである。相手はこの電話が相手を誤解させたこと、もしくは警察としての善意が通じなかったこと、つまり本来の目的がキチンと相手に伝わらなかったことに気付いたはずである。

 それなのにそのままの状態で放置しておくのは、折角の善意が伝わらなかったことを意味している。電話をしなかった状態よりも、悪い結果を招いているのかもしれないのである。警察官が本当に私に詐欺に合う可能性を知らせたいと思って電話したのなら、その思いをキチンと完遂するのが公務員としての責務ではないだろうか。

 それとも、それとも、あの電話はやっぱり、どこか周到に練られた詐欺グループからの詐欺電話の一環だったのだろうか。私の中のモヤモヤ感は、消えないまま今でも続いている。



                        2020.12.11      佐々木利夫



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