歳をとると言うことは気が短くなるだけでなく、小さなことにも腹を立てることにまでつながるのだろうか。なんの邪魔にも、何の迷惑にもならなかったこんなことに、どこか苛立っている自分がいた。

 15分くらいかかるだろうか、近くのスーパーまで歩いて買い物に行った。その帰りに交差点を歩いている私の後ろを、トラックが左折しようとしていた。別にクラクションを鳴らして早く歩けと催促しているわけではない。トラックは交差点に入り込んだ状態で、私が渡り終わるのを静かに待っている。

 なんでもない普通の光景であり、特に感謝するほどではないかもしれないけれど、当たり前の日常風景である。だからそんな状態が、私の曲がったへそに影響を与えることなんぞ少しもなかった。

 私のへそが反応したのは、そのトラックが繰り返すこんな音声であった。恐らくその音声は、トラックの方向指示器、つまりウインカーと連動しているのだろう。合成音なのか本物のアナウンサーによる声から作られた音声なのかは不明だが、女性の声でこんなことを言い出したのである。

 「左へ曲がります、ご注意ください」。

 その声は、私が交差点を渡ってトラックが左折を終えるまで、何度も何度も繰り反されるのである。恐らくウィンカーが倒されている間、その声は永遠に続くのだろう。

 もちろん現実は、私が渡り終えるまでの数分のことでしかない。いくら足の悪い私でも、その交差点を渡り終えるまでにかかる時間は長くとも1分程度であろう。だから、音声が左へ曲がると言おうが、右と言おうが気にするほどの長さではない。

 でもその声が無性に気になるのである。それは、「左に曲がります」の意味が不明だからである。そして「ご注意ください」の意味がなお更に分らなかったからである。その声は運転手の肉声ではなかった。つまり、運転手が交差点を歩いている私を見て、何らかの注意をする必要があると感じて発声したのではなかった。

 それは恐らくウインカーに組み込まれた単なる警告音であり、ウインカーを左折する側に倒したときには必ず発せられる、一種の組み込まれた自動プログラムによる音声だと思う。そうした警告の音声は、今では冷蔵庫をはじめ、様々な電気製品やマイカーなどにも組み込まれている。

 その音声が、例えば単なる「ピピッ」音などだったら、こんなに気になることはなかったのではないかと思う。でも「左へ曲がります」を何度も繰り返されると、「うるさい、分った。いったい何を言いたいんだ」と、つい声を荒げたくなるくらいの苛立ちを覚えたのである。

 「左へ曲がること」を、何度も何度も繰り返さなければならない理由がどこにあるのだろうかと、つい苛立ったのである。そして注意すべきは運転手であって、交差点を渡りかけている私ではないだろうと、嫌でも思ってしまうのである。私の歩き方が遅いので、運転手が早く渡り終えろと催促しているのなら、そのことの是非はともかく意味は分かる。

 車が右へ曲がるのか、左なのか、はたまたまっすぐ進むのか、それを歩行中の私に知らせる必要があるというのなら、分らないではない。でも私は現在交差点の左側を、歩行者信号にしたがって直進しているのである。トラックは私の後方から同じ交差点に入り、左折しようと待機しているのである。

 トラックはただ私が信号を渡り終えるのを、ほんの1分間待てばいいだけなのである。「注意してください」は私ではなく、左折しようとしているトラックなのである。私は交差点の真ん中でトラックが左折するのを停止して待つ義務などまるでないのだし、ましてや先を譲る必要などもないのである。

 つまり、「左へ曲がります」も「ご注意ください」も、交差点を渡りつつある私にはまるで無意味な言葉なのである。そんな無意味な繰り返しを、トラックは延々と発し続けるのである。そして80歳を超えた老爺は、そんな無意味さに、ついつい苛立ってしまうのである。



                        2021.1.31    佐々木利夫


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