普通の人のターミナル

 日野原重明氏の「死をどう生きたか」を読んでいた。本の帯には「私の心にいつまでも忘れられずに残る患者さんを、私は死の河の船頭として彼方の岸に光るなかで、・・・・・・十六歳の少女も九十五歳の禅道者もひとしく私の師であった」とある。筆者がみとった18人の死の記録は、同時にその人たちの生き方の記録でもある。

 最初の記述は筆者が45年前に医学部を卒業して初めて担当した16歳の少女の話である。臨終のベッドで筆者に対し、「私はもうすぐ死ぬ。心配をかけっぱなしだった母によろしく伝えて欲しい」と懇願しながら息絶えた少女の話である。

 二人目の記述は著名な学者の紹介状を持って訪れた若き考古学者の死である。そして著名な大使夫人、辻永画伯、人間国宝野沢喜左衛門、二代目市川猿之助、作曲家山田耕作、禅学者鈴木大拙・・・・と続く。

 読みながら、どうしてこの本に興が乗らないのだろうかと自分の気持ちを持て余していた。テーマは死である。しかも日本を代表するような立派な方々の生涯賭けた生き様である。筆者も感動して文章に表すほどのそれぞれに重い「死」である。
 にもかかわらず、この本には少なくとも私を最終ページまで引っ張っていく力が弱かった。途中でもう一冊、別の本に手を出して読み終わり、再びこの本に戻ってまた中断し、今度は本年芥川賞を受けた19歳と20歳の新人少女の受賞作品を、「こりゃあ一体なんだ」と半ば戸惑いながらもとりあえず一気に二本とも読み終え、そして三度、この本に戻ってきた。

 もちろんこの本が18人の死について独立して書かれている訳だから、一人一話の区切りで栞を挟みやすかったということもある。それにしてもどうしても興が乗らないのである。人が死ぬ話に興が乗るも乗らないもないだろうと言われてしまえばそれまでだけれど、どこか熱が入らないのである。

 そして気づいたことがある。改めて目次を眺めてみた。最初は筆者の医学部卒業して最初の、いわなる新米医師として接した19歳の少女である。
 しかし二人目から最後の18人目までは、全部が全部、著名人からの紹介か、著名人の妻、もしくは著名人そのものなのである。
 そうなのである、この本は「18歳の少女も95歳の禅学者も・・・・」と書いてあるけれど、18歳は単なるエピローグで、それに続く記録はすべて、筆者が成功してからの著名人との付き合い日記なのである。「私はこんなにも多くの有名人に医師として担当し、その死をみとったのです」という記録なのである。

 人の命の等質性を持ち出しても無意味なことは知っている。命に順番のあることくらいは、このホームページのエッセイで幾度となく発表してきたから、私自身だって理解しているつもりである。
 二代目市川猿之助が、筆者さえ医師としては認められないと考える舞台を、命がけで演じる姿は、生涯を賭けてきたわが身の終焉にふさわしい壮絶さを、読む人に伝えてくれる。
 でも、無名の人が、「自宅の庭の花を見たい」とか、「富士山をみてから死にたい」、「すしを腹いっぱい喰ってから死にたい」、「音楽会に行きたい」とか、何でもいい、ターミナル(人生の終末)に向かう者として真剣な望みを発した場合に、多くの医師は、この筆者のように舞台のすぐ後ろで救急用具を用意して待ちかまえていてはくれないのである。
 「退院時に自動車でご一緒して先生(辻画伯)をお宅までお送り」するようなことはあり得ないのである。
 ましてや脳血栓の発作を起こしたからといって、東京から京都まで新幹線で急行してくれるなんてことは、決してあり得ないのである(野沢喜左衛門)。

 「役者は舞台が命だ」は本当だろう。それなら、「庭の花を見てから死にたい」と思うこころだって、そこに軽重のあろうはずがないであろう。

 にもかかわらず、同じ「命がけの望み」であっても、著名人のそれと凡人のそれとは違うのである。
 そうした命の重さの違いが、この本には、その人たちに対する敬語の使い方とも相まって、あまりにもあからさまに表れており、そのことがこの本に没入できないというか、読んでいく端からどこかいらいらしてくる原因なのだと感じた。

 命の重さは人間国宝と無名人とは違うのである。こんな当たり前のことにもやもやするのはこだわり過ぎである。そんなことは分かり切っているのである。社会的に評価の高い人たちの終末の望みは「崇高な願い」なのであり、無名の人の望みは厄介で迷惑な「わがまま」なのである。有名人の命は有名人でない命を少し脇に置いてでも見守っていかなければならないのだし、その他大勢の命は、忙しい場合には構ってなぞいられない命なのである。
 それが常識と言うものであり、そうした常識で世の中は動いてきたのである。だからそんなことに違和感を覚えることのほうが変なのである。

ただそうは思っても、だからと言ってこの胸につかえる変な固まりは消えてくれないのである。
 ならばどうすればいいのか。読むのを止めるしかないのである。簡単なことなのである。
 かくして、こんなことは滅多にないことなのだが、少し失望しながら、へそ曲がりは半分ほどを残してこの本を閉じることとしたのである。

               2004.2.24 佐々木利夫
 
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