正月もクリスマスも冬至のお祝いだという。移り変わる季節の中で、太陽の復活を告げる冬至の到来は、古今を問わず多くの人に何物にも代え難い喜びを与えたことだろう。それは明日から陽射しが伸びていくという現実の喜びであり、今を耐えるなら必ず春がやってくるという確実な喜びだからである。
しかし、源氏物語に表われたお正月は、そうした喜びの陰に潜む人生の様々な場面を、私達にしみじみと教えてくれる。
最初に表われる源氏の正月は、24歳の頃である(賢木)。秋頃から病に臥していた桐壺院(天皇)が崩御し、源氏の兄である朱雀帝が即位するととともに、源氏は弟である東宮(次の天皇、冷泉帝)の後見となる。
だがしかしこの東宮は、源氏にとって弟でありながら同時に誰にも知られてはならない義母藤壺との罪の子であり、我が子である。
兄帝の即位を契機にその母の弘徽殿大后を中心とする右大臣派が政権を担当し、権勢を振うようになる。同じ天皇の子でありながら身分の低い桐壺更衣を母とした源氏は、天皇の臣下になるとともに葵上を正妻に迎えることで左大臣派を後ろ盾とするが、彼を訪れる年賀の客は少なく門前は閑散としている。
数ヶ月後には須磨、明石へと都落ちして行くことになる源氏の、不安な将来を暗示する陰鬱な正月風景がここにある。
次の正月は源氏36歳である(初音)。昨秋に完成した六条院での年賀の物語は、筋書きとしてはそれほど重要な内容を持つものではないが、太上大臣として最高位の一つ手前にまでのぼりつめ、栄華を極める源氏の華やかさがまばゆいばかりに語られている。
年賀の挨拶に訪れる数多の客の対応に追われながらも、夕暮れになって源氏は各御殿に住む女性を次々と訪れる。
最初は春の御殿に住む紫の上であり、彼女とは二人の長く変わらぬ愛の歌を詠み交わす。そして彼女が世話している明石の姫君に会い、次いで夏の御殿に住む花散里と玉鬘を訪ねる。この日の最後は冬の御殿に住む明石の君であり、源氏はここで紫の上に気兼ねしながらも彼女と一夜をともにする。
次の日も朝から年賀の客は絶えないが、そうした中でも源氏は、二条東院に住む末摘花、空蝉など関係した女性らを律儀に精力的に訪ね回る。
それぞれの女性との描写は、新装なった六条院という広大なハーレムとこれまでの源氏の女性関係を改めて我々の前に示してくれるとともに、絶頂期にある源氏の華やかさと優しさが余すところなく表われている。
やがて源氏は52歳の正月を迎える(幻)。最愛の紫の上が前年八月に出家できないことを心残りに43歳で静かにこの世を去る。正気を失うほどに取り乱し、葬儀や法事などのすべてを夕霧に任せてしまった源氏だが、年が改まっても春が好きだった紫の上のことばかりが思い出され、心の晴れることはない。
既に大政天皇として天皇に次ぐ最高位に就いている源氏であるが、年賀に来る人たちにも会わず、病気と称して引きこもったままである。
この幻の巻は、紫の上を失った痛手の大きさから、自らの出家を考えることすらできないまま、身辺を整理していく源氏の姿が静かに語られる。
「幻」の次の巻は「雲隠」である。本文のない空白の巻の中で源氏は故人となっており、次巻からの主人公は、葵の上との間に生まれた長男夕霧の子、つまり孫である匂宮(におうのみや)と、かつての自分の過ちそのままに、正妻女三宮と親友の子である柏木との不倫の子、我が子ならぬ我が子、薫(かおる)である。
源氏物語に出てくる正月はそれほど多くはない。それでも一人の男にまつわる凋落と栄華、そして過ぎ越し方に浸る思い出と、それぞれに人生の節目を見事に描いてくれている。
いつの世も正月とは、明日を思い、昨日までの自分をふと振りかえらせてくれる、そんな節目に挟まれた栞なのかも知れない。
2003.12.27 佐々木利夫
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