お椀の船に箸のかい、針の刀を腰に京のお姫様に仕えた一寸法師は、姫を襲った鬼を退治して落としていった「打出の小槌」で立派な普通サイズの大人の男になり、その姫と結婚して幸せに暮らしましたとさ。

 人間が小人になったり普通のサイズに戻る話はそんなに珍しくはない。親指姫、ニルスの不思議な冒険、もっと小さくしたいなら、細胞や細菌サイズになって体内に潜入する「ミクロの決死圏」(小説、映画。アイザック・アシモフ)や「38度線上の怪物」(漫画。手塚治)などなと゜、もっと他にもあるだろう。

 物語はそれぞれに素晴らしいものだし、小さくなることに不自然さを感ずることはないのだが、こうした縮小人間の物語には、いつも質量の行方が気になって仕方がない。

 一寸法師はお姫様の手のひらに乗るくらいの大きさだから、身長はその名のとおり一寸(3センチメートル)くらいだろう。そうしたとき、恐らく体重も身長に見合った重さ、数十グラム程度と考えてよいであろう。身長は数センチだけれど体重は大人と同じ50キロも60キロもあるなんてことは不自然であり、そんなことを認めてしまったら、そもそもお姫様の手のひらに乗ることなどできなくなってしまうからである。

 このことは、例えば先にあげたアシモフのミクロの決死圏のように人間が細菌クラスまで小さくなったとき、体重だけがそのままで、60キロもの重さを持つ細菌というものは考えられないと言うことである。そんな細菌があったとしたら、それは手のひらどころか地中にめり込んでしまうだろう。

 大きさはなんとか説明がつく。それが理論的に通じるかどうかは別にして、小さくするなら細胞と細胞の間隔を狭めればいいからである。大きくするときも同様である。場合によっては分子配列の間隔や原子核と陽子、電子の軌道の大きさを変えたってかまわない。

 でも重さはそうはいかない。間隔を狭めたり広げたりしただけでは重さを減らしたり増やしたりはできないからである。小さくするときには間引きと言う考え方もあるが、それは間引いて別に保管しておくことを意味してる。それなら分かる。大きさに比例して減らした体重をどんな方法にしろ保存しておいて、再生のときに戻せばいいからである。

 でも一寸法師が打出の小槌で大きくなったとき、その体重はどこからきたのだろうか。人間が切手の裏に張り付いて舐められて体内に入るとき(38度線上の怪物)、減った体重はどこに行ったのだろうか。

 そこが魔法だし童話なのだと考えればすむことなのかも知れない。体重が増えようが減ろうが、そのことが鬼の体内に入って悪をきりきり舞いさせる小気味よさを損なうことはない。
 だから、そんな童話やSFの世界に、質量不変の法則などと言う現実の物理法則を持ち込んでくる必要などないのかも知れない。
 人間が蛙にさせられたり、人魚が人間に裏切られて海の泡となって消えてしまうことを認めるなら、こんな体重の話など、どうってことないだろう。

 それはそうなんだけれど、それでも私は縮小人間の体重の行方が気になって仕方がないのである。なんとか、屁理屈でいいから説明付けられる方法がないものかと考えてしまうのである。
 そしてこれは、もしかしたら、重力のコントロールと共通の問題であり、うまく説明がつく理論展開ができたならノーベル賞も夢ではないのではないかなどと、童話の世界はいつの間にか大人の白昼夢へとつながっていくのである。


                        2004.07.27    佐々木利夫


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