彼女は竹から生まれ、おじいさん、おばあさんに育てられる。成人してからは求婚してきた男5人に、それぞれ、「仏の御石の鉢」、「蓬莱山の玉の枝」、「火ねずみの皮衣」、「龍の首の五色の珠」、「燕の子安貝」を持ち帰った者と結婚するとの難題を課し、帝からの求婚に対しても頑なにこれを拒んだ。
そして別れの日の前日になって突然に「私は月の民である、迎えが来るので帰らなければならない」と一方的に宣言し、翌日の十五夜、帝に不老不死の薬を残すと共に、羽衣を着て老夫婦の前から姿を消すのである。老夫婦はやがて病の床につく。
かぐや姫のいない不死などなんの意味があろうか、その薬は日本一高い山に焼き捨てられ、「不死の山」、つまり富士山としていつまでも煙を立ち上らせたという。・・・・・富士山が活火山だった頃の、昔々の話である。
かぐや姫が厭な女だと思う最初の事柄は、求婚者5人に対する意地悪な難題である。彼らに与えられた課題は、いずれもこの世に存在しないものを持ち帰れと要求するものであり、実現不可能なものばかりである。彼女はそのことごとくが無理難題であることを十分に承知しており、結婚を約束しておきながら、その実5人のだれとも結婚する意思など始めからなかったのである。
このことは、次に述べる、時の最高権力者である帝からの求婚にすら、最後まで応じなかったことからも容易に推察できるところである。
にもかかわらずこの5人は彼女の魅力に逆らいがたく、必死にこの課題に応えようとした。中には金に任せて贋作で彼女を騙そうとした男もいたが、「龍の珠」の男は海へ出て嵐に逢い、珠を得ることのないまま難病にとりつかれて死んでしまい、「燕の子安貝」を目指した男は、燕の巣を取るために軒先に掛けた梯子から落ちて、これまた死んでしまうという悲劇的な結末を迎える。
次の被害者は帝である。彼の受けた最初の被害とは結果的に「求婚を断れらた」ということにしか過ぎないのであり、そのことは被害と呼ぶほどのことはないような気もする。
しかし、帝というのは「天皇」のことであり時の最高権力者である。彼の意のままにならないことなどあり得ないのである。それは単に権力に服従するという意味だけではない。世のあらゆる民が彼を尊敬しており、その申し出には喜んで従うのが当たり前であって、逆らうことなどあり得ないのである。
その誇りを彼女はあっさりと引き裂いた。
帝の受けた次の被害は、彼女が直接的な加害者ではないけれど、帝の実力を否定するとても大きな出来事だった。かぐや姫を迎えに来た月の使者に対して、帝は武力を持って阻止しようとした。しかし、その強大な軍事力も彼らに対しては何の効き目もなかった。武力に負けたのではない。まぶしい光によって抵抗する意思を麻痺させられ、一本の矢を射ることもなく無抵抗のまま敗北したのである。余りにもあっけない無残な敗北、民からの信頼さへ失いかねない屈辱的な敗北であった。
ところで、彼女が多くの求婚のことごとくを拒否した理由はどこにあったのだろうか。物語の最後に述べられている次のようなことから推察できるかも知れない。
彼女は月からの迎えが近づいたある日、育ての親の老夫婦に対して自らの生い立ちをこんな風に話す。「私は月の民です。月の民は身も心も清らかで、歳を取ることもなく、心に悩みもない素晴らしい方たちです」。
そして彼女を迎えに来た月の使者は、かぐや姫がこの地球に来た理由をこんなふうに話し出す。
「かぐや姫は月の民の一族であるが、罪を犯したためにお前(老夫婦のこと)のような卑しい者のところへしばらく預けたのだ。彼女の罪がやっと償われたのでこうして迎えに来た」。
つまり彼女は犯罪者であり、その罰として地球へ島流しにされたというのである。それでは彼女はどんな罪を犯したのだろうか。物語の中では明らかにされていない。
だから想像するしかないのであるが、月の民は「身も心も清らか」なのである。しかも彼女は聡明で美貌のしっかりとした女性である。そうした人物(月人?)が犯す罪とは一体どんなものなのだろうか。しかも流罪となるような犯罪である。
竹取物語の作られた時代の刑事罰に関する知識はないから断定することはできないけれど、例えば江戸時代などでは、死刑には三種あって、「はりつけ」、「死罪」(財産の没収を伴う)、「斬罪」の順であり、その次に重い刑が「遠島」であった。したがって時代は違っているけれど、流罪とは一般的に死刑に準ずるものであったと考えていいであろう。
若い女性が犯した犯罪で、死刑に準ずるようなものとは一体なんだろうか。ここからは私の独断である。かぐや姫の性格やこれほどの重い罪が許されて高貴の身分のまま迎えられる状況などから見て、彼女がいわゆる強力犯つまり暴力による殺人や強盗などを犯したとは到底思えない。また、当時の政治における女性の位置などから考えて、月の世界の秩序を混乱させるような国家犯(思想犯、政治犯、テロリストなど)であったとも考えにくい。
ならば何か。一番分かりやすいのは「姦通」である。いま流行りの言葉で言うなら「不倫」である。「姦通」については、すでに別稿(「どこか変だなと感じること」、平成15年発表作品、No2「姦通罪」)でも触れたところであり、詳しくはそこを参照してもらいたいが、夫が生ませた男子のみが家系を継いで行くという社会システムの中で、妻(単数にしろ複数にしろ)が夫以外の男性の子供を生むなどということは、絶対に許されないできごとであろうことははっきりとしている。
それは浮気とか、夫への裏切りという夫婦間の揉め事だけを意味するのではない。不倫は「正統な家系維持」という、基本的な社会システムそのものの否定にすら通じてしまう行為なのである。だから「姦通」は不義とも密通とも呼ばれ、様々な社会において死刑にも匹敵する重大な犯罪だったのである。
かぐや姫は月から迎えが来たことでも分かるように、高貴の生まれである。もしかすると月の王の娘もしくはそれに近い地位なのかも知れないだろうことは容易に想像がつく。だとすれば彼女の不倫は社会的、場合によっては国家的にも大きな影響を与えかねないできごとであり、そうした影響から関係者を隔離するためにはその土地からの追放、つまり流罪の必要があったのではないだろうか。そして、隔離の必要が高ければ高いほど、より遠くへの島流しが要求されるということも・・・・・。
こんな私の考えを応援するかのような、こんな意見を見つけた。
彼の説によると、かぐや姫は実在の人物であり、その原型は
「禁忌を犯した恋によって罪をえて刑死した采女(うねめ、宮中の女官の一つ)である」(梅山秀幸、「かぐや姫の光と影」(人文書院)、1991年)と言うのである。
我々はかぐや姫の数多の求婚に対する抵抗を、ともすれば処女としての純粋さ、乙女の清純さ、潔癖さであるというように見がちである。
しかしながら、少なくとも彼女は月の国から流刑に処せられた犯罪者である。犯罪者であるという事実だけで理屈抜きで差別し、非難しようなどとは思わないが、それでもこの物語は彼女の流刑中の事件を書いたものであることに違いはない。
そうだとすると彼女のとった求婚者対する結婚の拒否は、彼女が別れに際して帝に語った「(帝の思いを受けなかったのは)月の世界で犯した罪が身にしみついていたからである」との言葉からも想像されるように、己が犯した罪への贖罪、つまり不倫という同じ罪を再び犯すようなことはしたくないと考えたことからくる自衛手段であったと理解したほうが、やり方は別にしてもすっきりするのではないだろうか。
かくて彼女は、少なくとも彼女を育ててくれた老夫婦から見る限り、勝手に現れ勝手に消えていった、どうしようもなく身勝手な女である。
おじいさん、おばあさんには子供がいなかった。しかし、それはそれとして納得した人生だったはずであり、細々と竹を売って穏やかな生活を維持してきたのである。そんな平凡な老夫婦のところへ、彼女は突然にその子供として現れた。老夫婦はどんなに喜んだことだろうか。有頂天の喜びであったろうことは容易に想像できる。
そして訪れた突然の別れである。現れたときに彼女は老夫婦の子供となった理由について何の説明もしなかった。永久追放だと思い込み、生涯をこの老夫婦のもとで子供として過ごすのだと信じ込んでいたとするのならば、それはそれで分からないではない。
しかし「いつか言おうと思っていた」と彼女自身が語っているのだから、それは事実に反するだろう。彼女はいずれこの老夫婦のもとを去ることを最初から知っていたのである。知っていながら20年もの間沈黙を保っていたのである。
さてさて、こうして彼女を巡る人々は、帝も5人の求婚者も、一人として幸せを得ることはなかった。老夫婦にいたっては老いてから得られたわが子よりも可愛いわが子を失うことで、病を得たまま寂しく長い老後を送ることになった。これらはすべて、彼女がはじめに説明していれば起きえなかったことである。少なくとも、別離の覚悟だけは与えることができたはずである。
自分の犯罪を隠したい気持ちは分かる。でもだからと言って、いずれ話さなければならないことを、ぎりぎりまで隠し通し、そのために多くの人たちを傷つけた。気まぐれの結婚の約束で死んだ人すら出してしまった。耐えられない別離の寂しさに病を得た人も作った。
そんな身勝手であっても、彼女の美貌、そして月での高貴な身分ゆえに人はそれを優しさとか清らかさなどと呼び、その全部を許してしまうのだろうか・・・・・・。
そしてそして、あなたが男なら、やっぱり「龍の首の珠」をさがしに荒海へ船を漕ぎ出すのだろうか・・・・・・。
2004.09.18 佐々木利夫
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