火星大接近


 2003年8月27日は、6万年振りの火星大接近の日であり、その距離5600万キロとのことである。
 大接近といったところで、火星なんぞ普段から見慣れている訳ではないから言われて気づく程度のことであるが、ただ、一月以上も前から「南東の空、一番明るい、午後10時前後」との情報があるので、晴れてさえいればいとも簡単に見つけられる。

 テレビも新聞も、クロマニヨン人が見て以来の出来事であると6万年をキーワードに大騒ぎしていて、少し騒ぎ過ぎでないかとも思うけれど、まあ、どんなに騒いでも他人に迷惑をかける訳でもないし、星空なんてこう言うことでもないと滅多に眺める機会なんてないんだから、気候も時間帯も良いこのチャンスに、6万年という壮大なロマンに浸るのも一興である。

 おりしも我が家のベランダはまともに南東向きの6階に位置しており、そのベランダに背を向けるように我が書斎もどきの一室が待っていてくれる。しかも今夜の北海道の天気予報は快晴であり、さいわい飲み会の予定もないから今日はまさに大接近の観測日和そのものである。
 実は数日前から寝る前にはこの窓から時々夜空を眺めており、火星の位置の見当はついている。今日は夜空もすっきりと晴れているためと、日毎に火星の昇る時間が早くなってきていることもあって、既に8時少し前から一番星さながらに街並みの明りの上にその瞬きを表している。

 9時過ぎ、ベランダに三脚とデジカメ持ち出して撮影準備に入る。双眼鏡でも、普通のカメラの望遠でも、ちっとも大きくは見えてこないから、数倍程度のデジカメズームでは、点として写ることすら難しいかも知れない。でもなんとか今日の歴史的快挙を自分の手で記録できないものかとの涙ぐましい努力である。
 にもかかわらず、カメラの操作方法を十分勉強していなかったことから、セルフタイマー操作はいいとして、露出時間の設定が分からない。真暗な夜空に向けてオートでシャッターを押す。なんとかシャッターは落ちるようだが結果は不明である。
 そのうち、なんとカメラが自動的に閉じてしまう。どうやら電池切れのようである。電池の買い置きがあったかどうか分からない。撮影チャンスは今日だけではないし、写るという前提を置くならば、あと1ヶ月くらいはどうっと言うことは無い。

 しかし、最接近日は今日の午後11時なのである。単なる理論値であり、肉眼はもちろんのこと恐らくは天文台の望遠鏡でだって今日の火星と1週間後の火星とでそれほどの違いは見つからないかも知れない。
 それでも今日なのである。明日と今日との地球と火星の距離が例え数センチに過ぎないとしても、そして四捨五入すれば相対誤差のなかに入ってしまうほどの距離の違いに過ぎないとしても、確実に今日よりは遠いのである。だから今日でなくてはならないのである。
 この問題はどうやら机の隅から見つかった古い買い置きの電池で解決するのであるが、そこまでしたのに結果の写真はご覧の通りで、実に情けない。

 それでも久々の星空である。どんなに出来の悪い画像だとしても、これは最接近日の画像なのである。私が写した、自己満足のひとりよがりの2003年8月27日の私だけの火星なのである。

 星空はロマンに満ちている。惑星には例えば「グランドクロス」(太陽を中心に十字に並ぶ)であるとか、「惑星一直線」などが話題になるし、月や他の惑星の影にかくれる惑星食などもけっこう面白い。

 また、そうした天文的な問題から離れても、かつてバイクで帯広から襟裳岬へ行って眺めた真夜中の岬の真南にドカンと圧倒するような威容を誇っていたさそり座と赤いアンタレス、宮古島の信じられないほどのあふれるような数の星と真暗な空のそして天が落ちてくるという実感そのままの一種の畏敬ともいうべき恐怖感、そんな昔でなくても、ハレー彗星やヘールポップ彗星、更にはしし座やジャコビニの流星雨、冬になるといつも背中を押してくれるオリオン座、探せば必ず見つめてくれている北極星や北斗七星やカシオペア座などなど、星空にはどんな時にも自分の小ささとそれに対比するような無限とを同時に示してくれる、そんないたわりがある。

 11時を過ぎて風が少し冷たい。火星はかなり南の中天へと移動している。動かないまま遠くに明るく光っているのは藻岩山の展望台の灯りだろうか。星の動きは地球が動いている証だとは思うけれど、そんな風情はおくびにも出さず地球は静かである。

 誰もいないベランダで秋風に吹かれながら、男は草野心平を思い出している。

 「一千九百三十三年と十一ヶ月十日の歴史をのせて、
  地球はいま唸りをあげてグン廻り…」
(芝浦埋立地にて)

 「闇のなかに。
  ガラスの高い塔がたち。
  螺旋ガラスの塔がたち。
  その気もとおくなる尖頂に。
  蛙がひとり。
  片脚でたち。
  宇宙のむこうを眺めている…」     
(さようなら一万年)

 さてさて、あと250年ほど待つならば、火星は今日よりも更に少し地球に近づくそうである。たかだか250年である。