詩人としてのマリー・ローランサン

接吻           三人の若い女

 税金を生涯の生業(なりわい)としてきたこの身にとって、芸術であるとか文学であるとかは、口に出すのもおこがましいことだと思つてはいるけれど、それでもあちこちつまみ食いを重ねては、そのたびに「全然わからん」と嘆くのも、それぞれの人生であろう。
 その中でも特に、絵画につながる系譜にいたってはまさしく無縁であり、それは基本的には子供の頃から絵心がない、ないどころか自分の書いた絵は見るに耐えないというところから来ているからだとまじめに信じ込んでいる。

 そんなわけで、マリー・ローランサンといっても、昔のフランスかどこかの女性画家という程度の認識しかなかったし、ましてやその絵など見たこともなかった。

 それが、誰だったろうか、彼女の詩の一節を引用した文章に出会ったことがきっかけとなって、どうしてもその詩の全文に当たってみたいと思い込んだのはもう6〜7年も前のことになる。

 手がかりとなるキーワードは、「マリー・ローランサン、鎮静剤、堀口大学訳」である。ところが、画家としてのマリーの資料はそれなり見つかるけれど、詩人としての彼女はなかなか出てこない。

 さいわい、当時から図書館には、書名や著者名などをたよりに、札幌市内全図書館の蔵書を検索できるシステムがあったから、関連する本がどの図書館にあるかはすぐに調べられる。しかし、目的とする僅か数行の彼女の詩が掲載されている本を見つけ出すという作業は、思うほど簡単ではなかった。

 マリー・ローランサンや堀口大学に関する本を次から次へと借り出して、読むというのではない、バサバサめくるという作業の連続だった。数日をかけ、3箇所か4箇所目の図書館で、やっと目当ての詩を見つけたときは、もう探すという目的を超えて、半ば意地になっていたような気さえしていた。

 だからこの詩には、その内容に惚れこんだことに加えて、ここへ到達するまでの長い時間と労力と意地と執念(?)みたいなものが混ざりこんでいる。

 鎮 静 剤     マリー・ローランサン

 退屈な女より
 もっと哀れなのは
 かなしい女です。


 かなしい女より
 もっと哀れなのは
 不幸な女です。


 不幸な女より
 もつと哀れなのは
 病気の女です。


 病気の女より
 もっと哀れなのは
 捨てられた女です。


 捨てられた女より
 もっと哀れなのは
 よるべない女です。


 よるべない女より
 もっと哀れなのは
 追はれた女です。


 追はれた女より
 もつと哀れなのは
 死んだ女です。


 死んだ女より
 もっと哀れなのは
 忘れられた女です。


    堀口大學訳
   「月下の一群」所収


 1916年の作品とされているから、マリー33歳の詩である。彼女がフランスの画壇でどういう位置を占めていたのか、どんな生活を送っていたのか、今の私には何の知識もないが、この詩には、「女」そのものが、あからさまに、そして絶望的に表現されているような気がしてならない。

 いや、もしかするとそれは、女ではなく、「人」そのものの嘆きなのかも知れない。時に人は孤独を求め、そこに安住を求めようとする。
 だが結局人は、他者との関わりの中でしか己を見つけだすことができないのかも知れないと、ふと感じてしまう。「忘れられる」ということは、「存在しないこと」と同義であり、それは死よりも惨めなことなのだと、彼女は悶えながらうたっている。叫ぶことなく、静かに重く、ひとりの心に沈み込むようにうたっている。

 しかし一方で、彼女の絵を見ていると、恐らく73年の生涯には何度となく画風も色彩も変わってきたんだろうと思うけれども、淡い色調の中に表現されているいかにも女性らしい繊細な感覚が、愁いを含んだ叙情の世界とともに時代を超えて伝わってくる。

 この詩とこの色彩の間には、私には理解できないような深い溝が感じられる。ひとりの思いを理解することなど無謀な試みだと分かってはいるが、マリー33歳のパリに少し遊んでみようかと、気まぐれな男は考え始めている。

                    2003.10.29   佐々木利夫