始めはなんにも気になっていなかったし、不自然だと感じたこともなかった。ところが、一度「どうして男にオッパイがあるんだろう」などという、一見どうでもいいことで、くだらないと言ってしまえばそれまでなんだけれど、そうした疑問が湧いていまうと、けっこうそこから離れられなくなってしまった。四六時中頭から離れないというほど大げさなことではないのだけれど、気になりだすとそこから逃げ出すことが難しくなる。

 生物の進化の中で、などと専門家ぶるつもりはないが、素人考えだって、生物はすべて数億年〜数十億年をかけて進化してきたわけだから、仮に地球環境などの影響やみずから海中から陸上に進出しようとしたことでその生物に備わっている機能が途中で不必要になったり、逆に退化もしくは変化させたことが誤りだったと考えられるような現象が起きたことだってあっただろうことは想像に難くない。
 だから生物の特定の器官の存在理由については、その価値基準をどういう場面に置くか、進化の過程のどの時代に置くかなどによって評価が異なってくることは否めないだろう。

 しかし、男のオッパイはどうだ。かつて数千年、数万年、いやいやそれよりもっと遡ってもいい。授乳が男もしくは男女共通の役目であった時代が存在し、現在の男のオッパイはその時代の名残であるというなら何の疑問もない。
 ただ、どんなに調べても、男がオッパイを持つ必然性が、生物学的にかつて存在していたという学説も、推定するに足る証拠も見当たらないのである。

 人間だけではない。どんな哺乳類においても、雄が自ら授乳すると言うようなケースはない。遺伝学的に出産と授乳は固く結びついており、出産を雌の特徴とするならば、乳汁の分泌は妊娠を信号として促される。そしてそれゆえに出産と授乳を分離したような生物の存在は知られていないのである。

 人間は霊長類として進化の頂点にいると言われるが、頂点かどうかの論議は別としても、少なくとも人類が人類以外の多数の生物とは無関係な独立したエイリアンであるとは考えられないから、アミーバーのような原始生物から様々な自然淘汰を経て進化した数多の種の一分派であることは間違いのない事実であろう。
 つまり、人間も基本的には地球上のあらゆる生物と共通の祖先を持っているということである。

 「男のオッパイ」は進化とは無関係なのではないか、そんなことを考えているうちに、こんな説にぶつかって突然に納得するにいたった。
 つまり、人間は男と女という別々の存在として生まれてくるのではなく、一種類の性が基礎になっているというのである。そしてその一種類の性とは女だと言う説である。

 旧約聖書によれぱ、人類最初の男女はアダムとイヴであり、神は天地創造の6日目に土をこねて自分の姿に似せてアダムを作り、その鼻に息を吹き込んで命を与えた。そしてそのアダムの肋骨からイヴを作ったとされている(創世記第二章)。
 そうだとすれば人類の性差の基礎は男と言うことになり、女は男の一部から創造されたということになるのであるが、この説では違うようである。

 遺伝子レベルで考えてみよう。人には卵子をベースとする染色体23本と精子をベースとする同じく23本の染色体があり、この二組が減数分裂で半分になって、合体した新しい一対が人の発生ということになる。そして、このうち1〜22番目の染色体は男女の性別とは無関係なものであって常染色体と呼ばれ、23番目の染色体を性染色体と呼んでいる。
 性染色体にはX,Yの二種類があり、XXなら女性、XYなら男性となる。数学的な組み合わせでは、このほかにYYというのがあってしかるべきであるが事実として存在していないし、存在すると仮定すれば、女同士、男同士でも子供を作れるということになり、妊娠という生物の基本構造とも矛盾することになるから採用できないだろう。そうするとこれで分かるように男性も女性も常にX染色体を持っているのであり、XXが女性だということは、Xは基本的に女性をさしているということになる。

 これで長年の疑問は一挙に解決した。つまり人はX染色体、つまり女性の遺伝子をベースに作られており、それに男性となるべき遺伝子を付加して男性が生まれるのである。だから人の体は性差以前に、基本的に女性としての体を基礎として作られているのである。
 そうだとすれば、男のオッパイは女性としての後発的な器官というのではなく、人としての固有の器官、原始器官だということになるのである。

 オッパイを人の原始器官であるとする考えは、私が納得しただけであって客観的に正しいのかどうかは分からない。ただ、非常にすっきりした気持ちになって、長年のもやもやが吹き飛んだことは事実であり、今もそうである。なんといっても学会で発表するなどという大げさなものではなく、自分で自分を納得させるだけで済むという、証拠も要らない極めて独断的な解決で事足りるからである

 さて、ここからは蛇足である。途中で聖書からアダムとイヴの話を引用したが、キリスト誕生について、性染色体の話と結びつけると、女性はY染色体を持っていないから、女がどんな奇跡にしろ、単独で子供生んだ場合、その子はX染色体しか持たない、つまり女性だということになる。
 だからマリアが処女懐胎で生めるのは女性だけということであり、キリストが男性であるとするならば、マリアは必ず男と交わったに違いないというのが遺伝学的な説明ということになる。それともキリストは実は女だったのだろうか?・・・・・・。
 
 ところでもう一つ。乳房の位置は、女性が赤ちゃんを抱いて乳を与えるのに丁度ふさわしい位置にある。牛や馬だって子育てに必要な位置に乳房がついているのだろうと思うけれど、人や猿は未熟な赤ん坊を抱えて守る位置に乳房があるのである。これは授乳に便利だからということのみならず、子供を抱きしめることが親子の関係をゆっくり築いてゆくための必然なのだと言うことを意味しているのではないだろうか。
 そして人の原始スタイルが女を基礎として作られていると言うことは、男にもまた、そうした子供を抱きしめるという行為が、本質的必然として遺伝子レベルでも組み込まれていると言うことなのではないのか。
 性差を超えて抱きしめることで親と子の関係がゆっくりと形成され、そのことを次代に伝えることが人類が種として存続していくための重要な基礎なのだと、人の体、そして男のオッパイは示唆しているのではないだろうか。

                       2004.03.16    佐々木利夫


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男のオッパイ