所得税法における必要経費

1 はじめに

 所得税の課税標準の計算にあたっては、10種類に分類された所得について、各所得別に所得金額を計算することとされており、通常この所得金額とは一般に収入から必要経費を差し引いたものとして考えられている。
しかし、ここでいう必要経費とは一般に収入金額から控除可能であるものの通俗的表現であり、正確な言葉の使い方ではない。

 以下、各種所得上の必要経費について若干触れ、その内でも特に事業所得計算上の必要経費について述べてみたいと思う。
 一般的に必要経費の考え方は、収入=所得となる利子所得を除いて、収入から差し引かれるものを次の三つに分類している。

@ 限定された種類の経費を控除するもの
  配当所得〜元本の取得に要した負債の利子
   譲渡所得〜取得費及び譲渡に要した費用
   一時所得〜収入を得るために支出した金額で、その収入を生じた行為をするため、又はその収入を生じた原因の発生に伴い直接要した金額

A 概算的な金額を控除するもの
    給与所得〜その額が法定されている(ただしその額に代えて実額を控除することもできることとされている)
    退職所得〜その額が法定されている

B 各種の経費を控除するもの
 不動産所得、事業所得、山林所得、雑所得

2 不動産所得、事業所得おける必要経費

 所得税法37条は、必要経費の概念を「…当該収入金額を得るために直接要した費用の額及びその年における販売費一般管理費その他これらの所得を生ずべき業務について生じた費用…」と定義している。
 この解釈に当たり、まず、その手がかりとして、昭和42.9.14名古屋高裁の判決を引用したいと思う。

 これは住宅・店舗を買受ける契約をして支払った手付金が、その後原告側の原因により買受けできないこととなったため、その手付金を所得計算上必要経費として控除すべきであるとの主張が排斥されたものである。判旨は「…いわゆる必要経費とは当該収入を得るために必要な経費である限り、売上原価などのような直接の費用であろうと販売費や一般管理費などのような間接の費用であろうとすべてそのうちに包含されるけれども、それはあくまでも直接間接の費用に限定されるものであって、費用にあたらないものは包含されない趣旨のものと解さなければならぬ。…ところで手付金損失のごときものは帰するところ、手付金返還請求権の喪失と言うこと以外に何等の意味をもたないのであるから、その喪失の理由がどうあろうとも所得をもたらすための必要ないし有益な費用とは到底解せられない。本件手付金損失がいわゆる必要経費に該当しないことは多言を要しない…」とある。

 ここで注意を要するのは、「費用にあたらないものは必要経費に包含されない」とし、明らかにその前提として費用と損失を区別すべきである旨を示したと判断されることである。

 このことは所得税法上次のように理解できる。すなわち、所得税法37条は「別段の定めのあるものを除き、収入をうるために直接要した費用と販売費、一般管理費のような所得を生ずべき業務について生じた費用」としており、ここでは明らかに「必要経費」、すなわち収益対応、期間対応、もしくは収益を得ることの一般的蓋然性を明示しているとみることができる。

 一般に費用とは、経営活動のために費消せられた経済的価値を示し、この価値を消費することによってその対価たるより多くの経済的価値即ち収益を得ることができるものであって、収益獲得の手段となって始めて、費用と認識されるのだと考えることができる。
 つまり、目的たる収益、手段たる費用、そしてこの差額としての所得の認識が発生するのであり、目的を伴わない価値の消費は費用とはならないと考えてよいはずである。
 換言するなら、経営本来の目的活動とは関係のない次元での価値の消費は本来費用とはみなされず、損失若しくは家事費と名づけられるのであろう。

 ここで再び37条に戻って考えてみるに、必要経費とは「…の額とする」との積極的な規定であって、必要経費とはしない旨の規定は僅かに45条の家事関連費及び56条の親族への支払い、施行令181条の資本的支出程度にしかあらわれていない。そうすると、所得税法上37条が一般的に、ある特定の部分についてのみ必要経費を定めたのであって、逆の立場たる「ある部分を必要経費としない」旨の定め方をしていない以上、当然にその範囲は限定されていると考えざるを得ないであろう。

 そして所得税法においては伝統的に「収入を得るために必要な経費」という観念を持ち続けてきたのである。もちろん、所得概念というものが、所得源泉説の立場から純資産増加説的なものへと移行するに伴い、徐々にその範囲を拡大されてきたといっても、なおその底流には「必要なる経費」の概念を維持しているものと言わなければならない。

 この点において法人税法との対比を考えてみなければならないのではないかと思う。
 例えば上述した手付金の判決にしても、所得税法上では認められないとしても法人税法では当然に損金経理が許されるのである。この原因はどこにあるのであろうか。
 これを突き詰めていくと所得の概念にまでテーマが広がってしまうので、必要経費の範囲からなるべく離れないようにして触れてみたい。

 法人税も所得税も、共に利潤税であるという意味において類似性を持つことは当然であるが、所得税法においては企業そのものに対する課税という観念が徹底されているわけではなく、企業主たる個人に課税するという考え方に立脚しているところにその特徴があろう。
 その個人は生活手段のための収益を得、消費生活を維持していくという経済的行動を中心として考えられた自然人であり、その経済行動における収入、支出もまた企業と家計が未分離の状態にあって、明確には区別されないものも多く存在するのである。
 したがつてある支出が営利目的を追求するためのものと外形的には同一であっても、この未分離の状態ゆえに主観的な個人の意思によって「目的」の内容はどのようにも変遷し、この意味において必要経費の概念も法人税法における損金の内容とは必ずしも同一であるということはできない。

 だから所得税というものが、そもそも所得という側面を捉えて課税するものである以上、収入から必要経費を控除するという形態をとることは必然的帰結であり、他方、租税は公平に負担されるべきであるという理念とも相俟って、いやしくも個人の主観的意思によってその所得が左右されるなどということは排斥されなければならない。

 このような前提の下で所得税法における必要経費を考えてみると次のようになるであろう。
 一般的にある抽象的な純資産の現象というものを考え、これを大きく費用と損失とに区分し、費用を必要経費と考え損失は必要経費と考えないのである。そして損失の中から資産損失(51条)にあたる部分を費用の中へ取り込み、更にこの純資産減少以外からも各種引当金準備金、減価償却費などを費用の中に取り込む。そして次に費用の中から家事関連費(45条)、親族への支払い(56条),資本的支出(令181条)といったものを除外して、その修正後の費用を必要経費と呼んでいるものと考えてよいのではなかろうか。

 資産損失は所得税法の創設当時(明治20年)には必要経費とは考えられていなかったことで注目に値する。所得源泉説的なスタイルから純資産増加説的なものへと移行するにつれ、徐々に拡大されていったものであろう。

 各種引当金準備金についても、それが果たして経費性を有するのかどうか疑問なものも多い。特に租税特別措置法の関係ではその疑問が強く、単なる利益の平準化の要請と考えられなくもない。

 家事関連費を本来必要経費としないとする考えは、諸外国においても通説であり、学説的にも承認されている。ただ、所得というものを労働力の販売という形でとらえるなら(給与所得には特にその傾向が強い)、本人の生活費は労働力という商品の生産手段たる必要経費となり、また、子弟の生活費は自らに代わって将来、市場に労働力を供給するものである以上、自己の肉体の減価償却であるとする見解もあながち荒唐無稽とは片付けられないものを持っている。
 親族への支払いに関しては更に疑問が沸く。つまり、経費となるか否かの問題は、その事業にとって必要か否かの観点から第一義的になされるべきであり、その支払い先が何人であっても本来無関係なはずである。
 この点に関して課税主体をどうとらえるか、世帯課税の検討や二分二乗、n分n乗方式等が論議されている問題ともからみ、興味深いものがあるといえよう。