塩狩峠と萩の花

旭川から北上する宗谷本線で約40分、そこが無人の塩狩駅である。もう12〜13年も前のことだし、その後三浦綾子記念館もできたという話しも聞いているので、現在ではすっかり様相が変わっているかも知れないけれど、小さな公園とひっそりとした人待ち顔の温泉宿が一件あるだけの余り人の姿の見えない場所だった。

 塩狩とは塩狩峠に由来し、石狩の国から天塩の国へ向かう峠道という意味らしいが、車で通るかぎり、それほど特徴のある難所とは思えない。

 明治42年冬、この峠を上ってきた蒸気機関車の最後尾の連結器が外れ、乗客と車掌を乗せた客車は単独でバックし始めた。手動ブレーキは寒さで効かず、クリスチャンの車掌は自らの肉体をブレーキとすることで乗客を救ったという。
 この実話をもとに三浦綾子は小説「塩狩峠」を書き、人家もないこの地も少しずつ人に知られるようになった。

 この無人の駅舎のプラットホームが、夏の終わりになると萩の花で埋もれるほどになるのである。萩は古歌や万葉集にも歌われることが多く、日本人には比較的親しまれている花ではあるが、気をつけていないと見過ごしてしまうほどであり、それほど目立つ花ではない。
 しかし、一度その存在に気づいてしまうと、可憐でおとなしく慎ましやかに咲いている姿は、なぜか気がかりな風情を伝えてくれる。

 車社会となって、普通列車を利用してこうした駅に降り立つ人はそんなに多くはないだろう無人駅舎の、しかも季節のほんの束の間の風景である。ひっそりと自己主張することもなく群れている花が、駅舎のベンチの旅人に、過ぎ越し方を降り返るたまさかのきっかけを与えてくれる、そんな風景である。
 かつて勤務した旭川の、遠い遠い思い出である。