塩を砂糖に変える錬金術


 それは私が10歳になる以前のことだと思うから、子供のころの記憶というのは、大人の価値観とは別のレベルで保存されていくものらしい。
 昭和20年代の子供は、毎日毎日が空腹だった。だからと言ってそれが特に不満だったわけではない。仲間のほとんどが大勢の兄弟姉妹に取り囲まれていたし、我が家だってわたしは5人きょうだいのてっぺんである。食糧事情の悪い時代だったから空腹は日常であり、世の中全部が大人も含めてむしろ当たり前のことだつた。

 それでも甘いものはいつの世も子供にとって目がなかった。しかし、お菓子や飴玉なんぞという高級な、甘いことだけを目的とする食品なんていうのは、売ってはいたがそんな贅沢はもっての他だったし、せめて、月に1−2度の麦粉団子のお汁粉で我慢するか、台所の砂糖つぼからこっそり指でしゃぶる程度が関の山だった。しかもその砂糖だって国から配給される貴重品だったのである。

 そんな時、とんでもない話を聞いた。塩が砂糖に変わるというのである。なんという奇跡であろうか。鉛を金に変える錬金術という技術があると聞くけれど、そんなものよりもっともっと素晴らしい夢のような技術ではないか。

 しかもそれはそんなに難しい技術ではない。方法はこうである。まず近くの山へ行ってクルミの木から、直径2−3cm、長さ10cmほどの小枝を切り取ってくる。のこぎりはどこの家庭にもあったし、木登りはいつもの遊びである。ましてやクルミの実は、子供でも自力で調達できる数少ない食い物の一つだったから、クルミの木なんぞ手軽に発見できるというものである。

  この枝から、皮を残して中の木材部分が抜き取れるように、外側から小石などで皮を叩く。あまり強く叩くと皮の繊維が壊れてしまってぐにゃぐにゃになってしまう。
 欲しいのはしつかりとした皮である。できれば叩かないで中の芯だけ抜きたいくらいである。ゆっくりと静かに万遍なく叩く。中の芯だけが抜けるように気長に作業を続けるのである。

 別にテレビゲームがあるわけではなく、宿題をサッサと片付けてしまえば、後は外で遊ぶことだけが子供の仕事である。ましてやこの作業で塩が砂糖に変わるのである。根気は宝である。
 こうしてクルミの木の皮の筒ができたら、抜き取った芯の木材部分を三等分くらいに切って真ん中部分を捨て、皮筒の上下にはめ込むと、中空の小さな筒状の入れ物ができる。長かったけれど、これで準備完了である。

 さて、いよいよ塩が砂糖になる時がきた。この筒の一方の蓋をはずしてその中空部分に半分ほどの塩を入れ、そして再びきっちりと蓋をする。
 そして一晩置くのである。

 感動である。翌日、この筒の蓋を静かに開けると、昨日入れた塩がなんと少し茶色がかった赤い色の物体に変わっているのである。ザラザラした塩がまるでザラメ砂糖のように変身しているのである。

 錬金術はこれで終わりである。ものの見事に塩は砂糖に変わったのである。
 「どの程度甘いのか・・・・」などと、やぼなことは問い給うな。甘いはずはないのである。恐らくクルミの皮に含まれる樹液かその中の灰汁(あく)が塩と反応して、赤くなっただけなのである。
 樹液のぶんだけ少し渋くて、苦くて、塩そのものよりも味わいは違っているけれど、塩は塩なのである。

 それでも食紅などで塩に色をつけたのとは違うのである。理屈は分からなくとも、自然の力で塩が赤く変色する作用を見つけ出したのである。だから塩とは違った味わいがあるのである。友達に見せびらかしながら、少しずつなめるのである。それはやせ我慢であり、ええかっこしいの意地かも知れないけれど、ちょっぴり甘いのである。赤い色のぶんだけ、努力のぶんだけ甘いのである。甘くなくてはいけないのである。

 遠い遠い昔の話である。戦争が終わって間もなくで、腹が減っていて、それでも元気だった小さな小さな頃の懐かしい記憶である。

                 2004.1.26   佐々木利夫