ひとりの事務所へは自宅から歩いて45分。この6年間、ほとんど例外なくNHKの朝の連続ドラマを見終わってから歩き始める。
 朝のドラマは善意の人たちのしあわせドラマだから、時に「そんなお人好しなんて世の中にいるのだろうか」と思うような設定があっても、変に現実めいた暗いストーリーになるよりはこのほうが一日のスタートにふさわしいと思っている。

 今日の「天花」の放送は、いよいよ主人公の天花が自分の足で歩き始め、仙台の田舎の祖父の家で保育所の前身たるベビーシッターを一人で始めようとする話である。
 部屋を改装し、開業の宣伝パンフレットを配り、それなり電話や訪問で子供を預ける相談が入り始めるなどいよいよ独り立ちのスタートである。

 ところで、たまたま遊びに来て手伝っている友人の台詞である。「もう10本も電話が入っているのに、ベビーシッターが天花一人だと聞くと、みんなガチャンなんだから・・・・・」。
 また、子供を預けるつもりで訪ねてきた父親は、「保母が一人では子供の面倒を見切れるはずがない、預けるのは不安だ」と連れ帰ろうとする。
 天花は必死で訴える。「定員は三人だけです、三人なら私一人で大丈夫です・・・・」

 天花は一生懸命パンフレットを作り、宣伝のために地域の親子を集めた食育の会まで開いて自分の熱意を伝えようと努力した。
 だがしかし、間違いなくそのパンフレットには、「その施設を一人で運営すること」や、「定員が三人であること」などは書いてなかったことがこのことで分かる。そして、食育の会でも施設の宣伝はしたであろうけれども、この二点については触れなかったこともこれで分かる。

 定員が三人なのに電話による照会が10本も入ってくるのだから、とりあえず興味の持たれるような施設であることは間違いないだろう。それにもかかわらず、その電話のことごとくが「一人運営」に拒否反応を示しているというのは一体どういうことなのだろうか。
 この拒否反応は、その施設に預ける両親の最も高い関心事が「子供の面倒は何人の大人で見てくれるのか」と言う点にあることを示している。そして、電話照会の親も訪ねてきた親もそのことを事前に知らなかったということである。

 答えは明らかである。なんたることか、そうした基本的な事項を、彼女はパンフレットに何一つ表示していなかったということである。表示していないということは、わざと書かなかったなどと皮肉めいて解釈することではないから、天花は預ける親の関心事を理解していなかったということである。
 これはまさしく理想しか見えなくなってしまった天花のひとりよがりである。そんな親の基本的な関心事にすらまったく気づかない保母に、果たして安心して子供を任せられるのだろうか。
 もしかしたら彼女はパンフレットに、自然保育などという理想ばかり書いていて、保育料金すら表示していなかったのではないだろうかとさえ思い始めているのである。

 まあ、朝の連ドラである。こんなことくらいで天花の理想を潰すわけにはいかないから、あっと言う間にベターな解決方法が明日にでも見つかるであろうことは目に見えている。

 しかし、ことは他人の子供を預かるという重大な契約の話である。ふわふわと理想だけで進められる話ではない。天花の理想は理想として、身内の中だけで優しい人集団を構成するのはいいけれど、外部と言うか対社会への側面に関しては、もう少しその理想を実現するためのしっかりした筋立てをしておかないと、実感から程遠いドラマになってしまうのではないかなどと、つい感じてしまった今日だった。
 
                       2004.09.01    佐々木利夫


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   「天花」に見るひとりよがり