わが国では平成13年9月に初めて発症した狂牛病(BSE)は牛が感染源だったし、2002年〜2003年にかけて世界的に流行したSARSは、まだ特定されてはいないけれどもペットまたは一部では食用として販売されているハクビシン(ジャコウネコの仲間)が感染源の一部ではないかと疑われている。
 そして更に鯉ヘルペスは養鯉業者を廃業に追い込み、支笏湖では養殖中のチップ(にじます)が鮭特有のウィルスでほぼ全滅した。そして今、鳥インフルエンザがわが国のみならずアジア全体に広がり、アメリカ、カナダでも発症するなど世界的な拡大を見せている。
 「家畜の反乱」などとセンセーショナルに言われるほど、世界的に食にかかわったウイルスが広がってきている。

 しかもこの鳥インフルエンザは、山口県での一件が終息したかと思ったとたん、今度は大分県、そして京都兵庫を含む広域へと広がった。これらは直接の伝播ではないようだし、日本では人への伝染は発生していないが、なんとも不安な状況である。外国では死者も出ており、楽観視するような状況ではない。

 一番の不安はやはり感染ルートが不明であること、人から人への感染がないと思われているものの、確定的ではないことなどがあげられよう。
 この病気は今のところニワトリだけのようだが、外国の例を見る限り鳥全体に共通しているようである。そこで養鶏業者はもちろんのことだが、感染地域以外でも鳥との接触、特に感染に弱い子供と鳥の接触を事前に避けようとする動きが出てきている。

 そのことはいい。ただ、そうした動きに対するいわゆる識者のしたり顔がどうにも鼻持ちならない。最近のNHKTVのニュース番組(2月19日午後7時)は、学者らしい人物のこんなコメントを放送していた。
 「鳥に触らせないというのは、子供の心を傷つける。元気な鳥には触らせてもいい。ただし終わったら必ずウガイと手洗いを・・・・・」。

 この人は、本気でそう思っているのだろうか。この言葉は一見当たり前のことのように見えて、実はとんでもないことを言ってるような気がしてならない。
 この病気は基本的には鳥から鳥へ伝染するものだけれど、外国の例では鳥から人への例もあるのである。そして現在までのところ実例がないとされてはいるものの、人から人へ伝染する突然変異も心配されている。しかもその感染ルートの一つが渡り鳥ではないかとの説もあるのである。
 もちろん現在では人への感染力は弱く、感染地域から離れている場所での感染の確率は非常に少ないようである。

 それではこうした前提のもとでこの識者の発言を考えてみよう。彼の発言が「極端な騒ぎ過ぎは避けよう、パニックに陥る必要はない」と言うなら分からなくもない。
 しかし、人への感染状況が不確かである上に、外国から日本、国内での地域間の感染ルートも不明なのである。騒ぎ過ぎてパニックに陥る必要もないとは思うけれど、発言の「ウガイと手洗い」は、感染の恐れがあるから言っているのではないか。それなら「恐れはあるけど触らせろ」と言っているのと同じであり、やっぱり変だ。ましてや「恐れはあるが、子供の心を傷つけないためには触らせる必要がある」と言うのなら、それはもっと変だ。
 「元気な鳥ならいい」とも言っている。おいおい、そんな誰にでも分かるような当たり前のことを言うことに、どんな意味があると言うのだ。第一、元気かどうかなんて誰がどんな方法で決めるんだ。検査で分かるかもしれないが、一回検査したらその後も含めてそれで大丈夫との保証はあるのだろうか。それとも感染初期の元気なうちは感染力がなく、誰にでも病気と分かるまでに衰弱し、ぐったりし始めてから感染が始まるとでも言うのだろうか。

 鳥に触って遊べるようなシステムになっている動物園が、その遊びを当面中止したという報道があつた。多少過剰反応という気もしないではないが、どんどんと感染が拡大し、外国での死者まで出ている状況を考えれば、あながち批判はできないだろう。
 この動物園の対応に対し、取材の記者は、何とか子供たちから「鳥にさわれなくてさびしい」という言葉を引き出そうとやっきであった。そしてなんとか無理やり言質をとったと思ったら、さすが子供である。そんな大人のいわゆる「やらせもどき」をいとも簡単に一言で片付けた。「うさぎもひつじもさわれるよ」。

 子供の心だってそんなにやわではない。きちんと分かるように説明さえすれば、分かることである。「今、鳥の病気がはやっていて、人にうつるといけないから、病気がなくなるまで触るのをがまんしよう」と言うだけでいいのである。

 最近はなんでもかんでも「心の傷」が大はやりだ。学校にカウンセラーは絶対必要ないなどとは思わないけれど、そんな大人のしたり顔が、過保護でひ弱で、考えの足りない人まかせ、そして我慢の知らない子供を作ってしまっているのではないか。

 テレビの学者の発言が、「感染の恐れがある。だから触ってもいいけれどウガイと手洗いを」という意味なら、この病気の恐ろしさから考えて明らかな誤りである。感染の恐れがあるなら、心が傷つこうがつくまいが、接触そのものを避けるのが常識だろう。また、「感染の恐れはないが、動物に触るのは不衛生なこともあるからウガイと手洗いを」と言う意味だとするなら、鳥インフルエンザに結びつけたこのコメントそのものが誤りであり、むしろ作為的、もしくは危険な誘導のような気さえする。

 大人の勝手な心理分析は、時としてとても変に聞こえることがある。ただそれが無意識に抵抗なく聞き流してしまうような言葉の場合、いつの間にか無批判に特定の考えを誰かから刷り込まれてしまっているような、そんな錯覚にさえ陥ることがある。
 自分で考えろ、と人はいつも言うし、私もそう思う。でも「自分の考え」って、一体なんなのだろうか。作られた考え、刷り込まれた考え、誘導された考え・・・・・、どんな場合に人は「自分で考えた」と自信を持って言えるのだろうか。

                       2004.02.29    佐々木利夫


             トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ

アイコン
   鳥インフルエンザと心の傷