喧嘩両成敗についての考察

1 殿中刃傷と切腹

 幕府の判断が喧嘩両成敗の慣習に反し片手落ちであったことを批判し、これを討ち入りの正当性の根拠とする説がある。
 しかし、殿中刃傷は理由の如何を問わず切腹であることは慣例として定着していたと言われているから、この説にはやや異論がある。

 殿中刃傷イコール切腹という図式をとるとするならば、幕府の役割は「内匠頭と上野介双方の言い分を十分聞いて刃傷の原因を調査する」ことにあるのではなく、刃傷の有無つまり(理由の如何を問わず)誰が江戸城内で刀を抜いたかにあるはずである。
 そして事実は内匠頭が刀を抜き、上野介は抜かなかったのであるから、この点では幕府の裁断は片手落ちでもなんでもない。
 内匠頭に即日切腹を命じ、上野介には内匠頭に歯向かわず刀を抜かなかったことを称賛して医者の手当さへ受けさせた幕府の態度は、むしろ当然であったと言えるのである。
 したがってこれらの点から考える限り、幕府の判断が片手落ちであることを根拠として討ち入りを正当化することには無理があるのである。

 このことは例えばこの事件が江戸城以外の場所で起きたと仮定すると一層分かりやすくなる。
 この争いは、当事者の内心の葛藤はともかく外形的には私怨に基づくものであり、その結果も上野介が一方的に切られたのである。
 しかもその傷は眉間と背中の二ヵ所であり、確かに医者の治療を受け数針縫ってはいるものの致命傷とは言い難く、短期間で治癒したと言われている。
 しかも上野介は刃傷の直後に、「まったく身に覚えがなく原因は不明、内匠頭の乱心ではないか」と述べ、被害者としての告訴をしていないのである。

 そうすると、この事件が江戸城外であったとすると、事件直後内匠頭は無傷であり、上野介の方は軽傷、しかも告訴の意思なし、という状況なのであるから、この刃傷に直接関わりのない幕府がどこまで事件に介入するのか、介入できたのか、介入すべきだったのかについては、研究不足で結論が出せないのけれども、仮に幕府の要人とも言うべき上野介が殺されたというような大事件にでもなっているならばともかく、この程度の状況では幕府の介入する余地はなかったのではなかろうか。
 したがって、この事件は江戸城内で起きたという、まさにそのところに特色があったのであり、殿中刃傷即死刑の図式がそのまま適用された事例であると見ることができるのである。

2 喧嘩両成敗

 殿中刃傷の結果としての処罰については上記で述べた通りであるが、仮に「幕府は双方の言い分をよく聞いて、その結果を吟味したうえで裁断すべきであった」ということを認める立場で検討を進めてみよう。

 喧嘩両成敗を根拠とするためには、まず内匠頭と上野介の間で喧嘩のあったことが前提になるのであるが、このことは刃傷の原因追求のところで詳しく述べることとして、その前に誰が誰に対して喧嘩両成敗を主張するのかを考えてみよう。
 内匠頭と上野介が仮に喧嘩していたとして、「喧嘩をした者は理由の如何を問わず両方とも処罰する」のが喧嘩両成敗である。
 しかし、「理由の如何を問わず」とは言っても、文字通りでなく、その理由によって成敗に軽重が生じるであろうことは容易に推察される。
 ましてや一国一城の主が、国を賭けてまで刃傷に及ぶというからには、それ相応の理由があったであろうと考えるのが当然と言えるかもしれない。
 そうすると、「喧嘩両成敗のしきたりに反して誤った判断を下した」ということを主張して抗議することは、喧嘩が事実であれば当然に許されるべき事柄であろう。

 幕府は第一審で「内匠頭は死刑浅野家は断絶、上野介は無罪」との判決を下したのであるから、浅野側としてはこの判決を不服として、「両者の争いの原因はかくかくしかじかであるから、死刑の判決は重すぎる。せめて罰金(領地の一部没収など)にしてほしいとか、内匠頭は死んでしまったのでいまさら死刑を取り消すことは無理なので、せめて浅野家を再興させてほしい」という主張をするか、今の裁判制度には馴染まないかもしれないが「内匠頭の死刑はいいけれど上野介の無罪は軽すぎる。もっと相手を重く罰してほしい」という主張をして控訴することは可能である。

 つまりどういう主張をするかはともかくとして、喧嘩両成敗を主張する立場の者(浅野若しくは利害のない第三者、場合によっては民衆でもいいかも知れない)が攻めて行くべき相手方は喧嘩両成敗に反する判断を下した幕府ということになる筈であり、その矛先が吉良上野介になるということは論理的に矛盾するのである。

 また、仮にこの討ち入りを、「判決に対する不服を自分に都合のいい形になるよう自ら執行したものである」というように解釈できるとするならば、自力執行を認めないのが法治国家の要件であり、この時代といえども幕府は法律によって人々の行動を律していたのであるから、それを否定した内蔵助らの行動は称賛どころか大いに非難されるべきものであるということになろう。