税金に関する世論調査の中に、「脱税はどの程度の罪だと思いますか」という質問のあったことがある。選択肢の中味は具体的には忘れてしまったが、スピード違反、窃盗、強盗、放火程度の中から一つを選び、国民が脱税をどの程度の犯罪と感じているかを探るものである。

 この考え方は、脱税と言う行為に対し、国民がどの程度の量刑意識を持っているかを探るものであり、ある行為とその結果たる刑罰との間には、社会的に一定のバランスがあるはずだという考え方が背景に存在しているのだと思う。

 さて、浦島太郎に戻ろう。彼に与えられた罰は見知らぬ時代へのタイムスリップと突然の加齢の二つである。この刑罰は彼のとった行為から見るとバランスを欠いており、ひどく残酷である。考え方によっては「死」よりも残酷である。
 元気溌剌の独身の若者が、突然に、故郷ではあるけれど知る人も居ないはるか未来へと送られてしまうのであり、挙句の果ては白髪のおじいさんになってしまうのだから・・・・。

 太郎がこの先どの程度の期間生きていたのかは知らない。しかし白髪のおじいさんなのだからそれほど長くはなかっただろうと考えられる。
 そうすると太郎の青年期から死までの期間はほんの僅かであり、普通の人間であれば通過したであろう結婚や育児や地域や社会や友人などといった自分を巡る様々な付き合いをほとんど経験しないままに生涯を終えねばならなかったことになる。

 竜宮城に居た期間は定かではなく、数日とも数年ともされているが、白髪のおじいさんとして生きた期間を別にすると、彼の貴重な人生はその数日もしくは数年間だけで強制的に終了させられてしまったのである。これほどの罪を彼はどうして負わなければならなかったのだろうか。
 俗な言い方をするなら、彼はそんな報いを受けるようなどんな悪いことをしたのだろうか。

 乙姫の下した判決の主文は分かった。それでは太郎の犯した「罪となるべき事実」とは何か。
 もちろん「亀を助けたこと」ではないだろう。誘われて竜宮城へ行ったと言う軽率さか、これも変だ。竜宮城で鯛や平目の舞い踊りにウツツを抜かし、人間としてやるべき労働や社会への貢献をしなかったことか。これなら少しは分かる。でもそれは亀を助けてくれたことの報酬として乙姫が太郎に与えたものであり、しかも楽しんだ期間は僅か数日(もしくは数年)である。だからそのことを乙姫自らが太郎の犯した罪だと断定し、時間を奪うという罰を与えるというのはどこか理解に苦しむ。

 そうするとやはり太郎の罪を、「開けるなという命令に従わなかったこと」だと解釈するのが素直な考え方であるかも知れない。
 しかし、それは玉手箱に関してであり、しかもその玉手箱にはたとえ「開けるな」という指示が含まれていたにしろ渡されたときには既に爆弾がセットされていたのである。つまり玉手箱には宝物は一つも入っておらず単に加齢という仕掛けだけがセットされているだけだったのだから、箱を渡すという行為そのものが既に刑罰になっているということである。

 このように考えてくると、やはり太郎の受けた二つの罰の前提となる「罪となるべき事実」については、物語そのものからはどうしても導くことができないと思うのである。

 太郎の行った子供にいじめられている亀を助けるという行為は、大人の行為としては、いわば純粋無垢の善良そのもの、どちらかと言えば世俗の垢にまみれていない若者の幼稚な行為である。
 そんな純情な若者に乙姫は、竜宮で過ごす時間が現実時間では数十年にも及ぶことを知らせることもなく、故郷へ帰りたいと言う太郎の気持ちが現実にどういう効果を持つのかの理解をさせることもなく、更には玉手箱の中味のなんたるかを知らせもせずに、ただ「開けるな」とだけ命じて土産として渡すだけであっさりと、現実世界へ放り出すのである。
 しかもこの間に、太郎の母は行方不明になったわが子を捜しあぐねたまま死んでいるのである。

 乙姫の残酷さは、現実世界と竜宮との時間差の理解をさせなかったこと、玉手箱をお土産として渡し「開けるな」と命じただけで中味を知らせなかったことの二つにある。故郷には親や兄弟や知人がまだそのまま存在していると思わせたままにしておいたこと、土産として渡しておきながら「開ける」ことに伴う責任のすべてを浦島太郎に負わせてしまったことである。

 竜宮への誘いを承諾したのは太郎である。歌や踊りに飽きて故郷へ帰りたいと言ったのは太郎である。「開けない」ことを承諾した上で土産を受け取ったのも太郎である。そして誰一人知る者の居ない孤独の地で途方に暮れて玉手箱を開けたのも太郎である。

 彼が竜宮での時間の意味を理解していたのなら良い。理解したうえで亀を助けたことの報酬として竜宮への誘いを了解し、玉手箱がその時間の差を埋めるための装置だと分かっていたのならそれも良い。太郎は若いまま未来世界に戻ったのだし、そのまま玉手箱を開けないで天寿を全うすることもできたのだから、それはそれで理解できる。
 また仮に玉手箱を開けたとしても、それは時間のパラドックスを理解したうえで、やはり同じ時代を生きる仲間と一緒でなければ生きていても仕方ないのだと太郎が考え、箱を開けることがそのパラドックスを解消するための手段だったとするならそれも良いだろう。
 でもそうしたことを知らないままで結果だけを突きつけられたとするなら、太郎はあまりにも可哀想である。

 さて、このように考えてくると、この物語の罪と罰を説明できる理由が一つだけ浮かび上がってくる。童話だから表面には出てきていないけれど、私はその原因を「太郎の裏切りと乙姫の報復」だと思うのである。

 太郎は恐らく乙姫に、「竜宮にとどまり生涯賭けてあなたを愛する」と誓ったのではないかと思うのである。純真無垢な独身の若者が、絶世の美女に出会ったのである。乙姫もまたこの、いじめられていた亀を助けるという素直で純真な若者に恋をしたのではないかと思うのである。
 知る限り竜宮城には男の姿はない。乙姫が人なのかどうか疑問なところもあるが、まあそこのところは了解するとして、太郎だけが配偶者としてふさわしい人間の男である。かくして二人は平穏で幸せな新婚生活を竜宮城で送ることになるのである。
 めでたし、めでたしである。・・・・そして時は数日か数年かを数える・・・・・・・。

 ある日太郎は、ふと故郷を思い出すのである。そして思い出すだけならまだしも、あろうことか故郷へ帰りたいと言い出すのである。それはまさしく乙姫と別れたいということであり、誓った言葉への裏切りである。故郷へ帰りたいということは恋の終わりを宣言していることである。乙姫の魅力に勝る想いがそこに芽生えたのだと伝えているのと同じである。

 こんな男の身勝手をどうして許すことができようか。男の愛は「生涯賭けた愛、不変の愛」ではなかったのか。しかし、どんなに心変わりを責めたところで遠い炎は戻らない。ならば許されない裏切りに対する償いとしては、やはり「生涯賭けるもの」を求めるのでなければならないだろう。
 それは何か。「私だけを愛する」と誓ったことの裏切りに対する報復には何がふさわしいのか。

 答えははっきりしている。それは、私との別れを生涯後悔させること、誰からも愛されることなく、一人ぽっちの老人として過ごさせること、かつての竜宮でのめくるめく想い出だけをよすがに孤老の生活を送らせること、これこそが裏切りにふさわしい償いだと乙姫は考えたのである。

 これでやっと罪と罰のバランスが取れるのである。はじめの誓いどおりに二人で暮らしていたならば、太郎と乙姫の時間は同じように流れていくのだから、現実世界との時間差など説明する必要はなかったのである。また、別れ話が出てさえこなければ玉手箱の出番もなかったはずである。
 亀を助けた太郎は、その優しさゆえに生涯を竜宮で過ごすことで物語としては完結しても、それはそれでいいのだと思う。それだって、「情けは人のためならず」としての立派な教訓を残すことができるからである。
 にもかかわらず、この物語は太郎に罰を与えることにした。

 「戯れに恋はすまじ」(つまり、女は怖えーぞ)・・・・・・、これがこの物語の教訓なのである。そうなのである。女の持つ恨みへのバランス感覚とは、かくも身に染むものなのである。
 ・・・・・・・・やれ、やれ。


                        2004.08.16    佐々木利夫


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浦島太郎