わかさぎ釣りと魚群探知機


冬の北海道の多くの湖沼では、氷結した水面に小さな穴を開けてワカサギ釣りが盛んである。氷にあける穴は20センチくらいだが、普通は釣り好きの仲間の一人が、らせん状の刃のついた錐のような手回しの穴あけ器を持っていて、それを使うことが多い。
 網走湖などのわりと有名な釣り場になると、穴あけの専門家がいて、一回300円から500円くらいで請け負ってくれる。
 その穴は、釣りをやめると同時に自然に凍り付いて塞がってしまうから、この仕事は客の要望のある限り、繰り返し繰り返し途切れることはないという、ちょっと愉快な作業でもある。

 ワカサギは10センチ前後の淡水魚で、フライやから揚げなどにして丸ごと食べるのがうまい。特に氷上にコンロと天ぷら油と麦粉と水と卵を用意し、釣った先から衣をまぶして投げ込むのが、なんといっても一番である。
 自宅などでゆっくり食べるのもいいけれど、釣りたてのワカサギの香りはまた格別であり、缶ビール同伴なら言うことなしの絶品である。

 ところがこのワカサギ、湖を周遊しているらしく、釣れはじめると入れ食い状態になるが、しばらくするとパッタリと釣れなくなってしまう。このため最近は、釣り人に向けた魚群探知機なるものが売られているそうである。

 これは何か変だ。冬のワカサギ漁は漁業権のある者が漁獲を目的とする場合もあるが、むしろ素人が趣味で釣る場合の方が人数としてはずっと多いだろう。
 そうした個人が、魚群探知機を使うというのは、どこか変である。
 魚釣りはもちろん、釣れないより釣れたほうがいいに決まっている。でも、それは見えない水面下の魚影や深さの見当をつけ、竿を微妙に動かし、餌や仕掛けに工夫を凝らしながら楽しむものではなかったのだろうか。

 魚の集団が見えていて、そのカタマリの中に針を投げ込んで釣るというのは、楽しみとしての釣りという姿からは、どこか外れているような気がしてならない。

 釣りだって一つのゲームだろう。こんな風に擬人化するのはおかしいかも知れないが、そのゲームはワカサギと人間を対等の立場に置き、その上で互いに追う追われるの秘術を尽くすところに意味というかルールがあるのではないだろうか。

 後出しじゃんけんのような、カクレンボで鬼が薄目を開けて隠れ場所を探るような、ババ抜きでジョーカーにこっそり目印をつけておくような、麻雀で大三元を積み込んでおくような、そんなズルさが、この魚群探知機にはあるような気がする。

 釣果の喜びはそんな遊びとしてのルールを無視するようなところからは生まれてこないのではないだろうか。そんな釣果にそもそも喜んではいけないのではないだろうか。

 ポツンと、ひとり事務所の税理士は、スーパーで買ったワカサギの天ぷらをつまみながら、缶ビールならぬ発泡酒片手に、「世の中どこかズレとる」と、誰に言うともなく呟くのである。
 外はチラチラ雪である。今夜も冷えそうである。今日の仕事は片付いた。くつろぎのひとときである。



                    2004.2.9   佐々木利夫

 

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