みかん
 
芥川龍之介の作品に「蜜柑」というのがある。冬の夕暮れ、二等列車に乗っている神経質そうな男、発車間際に駆け込んで向かいの席に座る赤くひび割れた頬の下品そうな女の子、手に持った三等の赤切符、苛立つ男。

 トンネルが近づく。赤い頬をなお赤くして窓を開けようとする女の子。開かない窓を小気味良げに感じている男。開く窓、逆巻く煙と冷気、咳き込む男。その怒り頂点。

 トンネルを抜ける列車、近づく踏み切り、手を振り喚声を上げる男の子三人、恐らく遠くへ奉公に行くのであろう姉を、こんな形でしか見送ることの出来なかった貧しい家の男の子三人。手を振り大声で叫ぶ、叫ぶ・・・。

 その時、しもやけの女の子の手から、いきなり飛び出すミカン数個。男の子へ向かい、空から鮮やかに降るミカン。暖かなダイダイ色に染まったころがるミカン。ひた走る列車のホンの一瞬の時が止まる。

 芥川龍之介の文章に色を感じた記憶はほとんどないが、この「蜜柑」だけには強烈なイメージが与えられている。もう10年以上も前に読んだ短編で、ストーリーそのものもはかなりおぼろげになっているが、なぜか女の子の頬の赤さと、ころがるミカンの鮮やかさだけがありありと残っている。