円周率への旅

 2002年の暮れに、1兆2千4百億桁もの円周率が発表された。それも日本でである。円周率の歴史は、部分的ではあろうが数学の歴史でもある。
 たかが直径と円周の比である。直径が1センチメートルの円の周囲が何センチメートルかというだけの問題である。この値に人は紀元前から飽くなき戦いを挑んできた。
 実用的には恐らく30桁もあれば十分と言われ、無理数(分数では表わせず、少数で表わしても循環しないで無限に続く数)であることが証明され、最後というか結論のない数列であるにもかかわらず、人はこの円周率に挑んできた。そしてそれはコンピューターの性能の証明であるとか、円周率を求めるプログラムの構成と言ったレベルを超えて、数学そのもの更には人間のロマンの世界にまで踏み込んできている。

 かくいう私も、この無理数にずっとずっと憧れにも似た感慨を抱いてきた。今でも40数桁までの暗記ができるし、20年ちょつと前になるが葉書に8ビットのパソコンで計算した円周率720桁を印刷して年賀状の挨拶としたこともあった。
 ただ最近になって、ふと振り返ってみると、実は自分では円周率の計算をしていなかったことに気づく。確かにパソコンを使ってBASIC言語でプログラミングし、結果の出るまでに半日以上を費やしたこともあったけれど、そのプログラムは自分の能力で開発したものではなく、雑誌などで提供されたものをこつこつ入力していたに過ぎないというものだった。

 例えば、円周率をPで表わしたとき次のような計算式がある。

 P/4=1−(1/3)+(1/5)−(1/7)+(1/9)−・・・・・

 つまり、奇数の逆数を一つおきに無限に加減算したものの4倍が円周率だということである。
 これなら数時間もあれば筆算でも円周率に近づくことはできる。だが、この公式(ライプニッツの公式と呼ばれている)は他人が開発したものであり、しかもこの公式が円周率を表わしているということをだれもが理解できるかというと、決してそうではない。
 現在はこの計算式を改良したマチンの公式というのが基本になっていると聞いたが、三角関数のタンジェントの逆関数であるarctanがどうなって、それを微分するとこうなり更に積分すればこうなると言われても、実際のところその解説は私の理解の範囲を十二分に超えている。

 そうであるならば、どんなに複雑なプログラムを使ってどんなに早く計算したとしても、それはそのプログラムそのものを理解していないという意味において自分の円周率ではないことになる。なんとなく、自分のパソコンを使い、しかもこつこつ長時間かけてプログラムを手入力し、更に更に自分でパソコンに計算開始を指令し、そして仮に気の遠くなるような時間の末に自分のプリンターからその結果が出力されたとしても、それは他人のプログラムの結果でしかない。
 となれば、それがたとえ紀元前の発想に戻るものであろうとも、自分の理解できる円周率をさがすのが男のロマンというものである。

 さて、まず直径が1の円を考えよう。この円周が円周率と同義である。そしてこの円に外接する正方形を考える。外接しているのであるから、この正方形の一片は円の直径と等しく1であり、その周囲は4となる。そうすると、この円は正方形の内側にある以上、このことだけで円周は4よりも小さいということがわかる。

 実はここまでで、円周率さがしの男の胸はすでに高鳴るのである。得体の知れない円周率という怪物が、実は4よりも小さいのだということが、自分の力で証明できたのである。3.14の入口がにわかに現実のものとして目の前に開けてきたのである。

 次のステップは、円とこの正方形の接点を結ぶ円に内接する2番目の正方形の作図である。古典的な多角形を利用した円周率計算の始まりである。この正方形よりも円周は大きいが、この正方形の周囲は、ピタゴラスの定理を使って(2×√2)だと計算できる。つまり2.8284・・・・である。

 円周率は4よりも小さく、2.8284よりも大きいことがこれで証明できた。そして円周率が3という数字から始まるであろうことに、あと一歩まで近づいたのである。ここまでくればあとは時間との戦いである。たとえ平方根の計算にパソコンを使ったとしても、それは自分が正確な円周計算に近づくための方法を理解し、その計算のための手段、道具としてパソコンを使うのである。内接の正方形を八角形、十六角形・・・と、いくつまで増やしていけば3.14に近づけるのか、1兆桁とは比すべくもないし、今ではだれも興味を示さない計算過程である。しかし、この計算された数字は自分の手作り円周率である。自分だけの円周率である。

 ドイツ人ルドルフは、この多角形を使い一生をかけて35桁まで計算したという。今では多角形による円周率の手計算など何の意味もない。しかし、円周率を求めた人々のロマンの片鱗にいま自分が触れているという実感は・・・・・結構悪くない。