キリストは日本で死んだ

荒唐無稽な話しというのは、頭から無視してしまうことが常識なのかも知れないけれど、時としてその余りの荒唐無稽さに、信じるというのとは別に、「まあ、それはそれでいいじゃないか」と、なんだかとても寛容になることがある。
 もう数年前になるが、キリストの墓を見に行ったことがある。ゴルゴダの丘へではない、日本国内である。

 青森県、十和田湖、子ノ口から八戸方面へおよそ30キロの場所に、なんの変哲もない小さな村、新郷村がある。戸来(へらい)と呼ばれる部落、ジュースの自動販売機が一台置いてあるだけの国道脇に車を止め、少し坂道を登った小高い丘の上に十字架が二つ、それがキリストとその弟イスキリの墓である。

 キリストは21歳で日本に渡り、富山などで12年間神学について修行したとされている。確かに聖書ではキリスト21歳から33歳までは空白になっているらしいから、この点は符合する。33歳になったキリストはユダヤに帰って自らの教の伝導を始めるが、これを阻止しようとしたユダヤ人は彼を処刑する。
 しかし、磔にされてゴルゴダの露と消えたのは、実はキリストの弟のイスキリであった。キリストは雪深い北欧更にはアフリカ、中央アジア、シベリアからアラスカを経て、4年がかりで再び日本の地を踏み、八戸の八太郎海岸からこの戸来の地へ着いたのである。
 キリストはこの地で「十来(とうらい)太郎大天空」と名乗ってミユ子という妻を娶り、三人の女の子をもうけて106歳まで長寿を全うしたという。
 これは「竹内文書」と呼ばれる謎の古文書によるものである。

 キリストが日本のこの地にいたという証拠として、次のようなことが言われている。

@ 戸来(へらい)という地名は、「ヘブライ」に由来する。
A この地区に伝わる盆踊り歌に意味不明の「ナニャドラヤ」という歌詞があるが、これはヘブライ語に訳すと「御前の聖名を称えん」という意味である。
B 子供が生まれてもすぐには外に出さず、1ヶ月後に眉間に十字架を書いて魔除けを願うという習慣がこの地にある。
C 男の作業衣をハラデ(腹当て)というが、これもヘブライ語のハラートと共通する。
D ダビデの星と同じ家紋の家がある。

 これらを証明するという古文書の真偽は不明だし、恐らくこうした話しを信じている人達もそれほど多くはないであろう。

 これに似た話としては、例えば平泉で死んだ源義経が、東北から北海道を越えて蒙古に渡りジンギスカンになったという説や、楊貴妃は玄宗皇帝の日本侵略を中止させるための熱田大明神の化身であったなどという説などがあげられよう。

 こうした伝説の成立過程にはそれぞれ、意味があると思われるけれど、キリストが日本で死んだなどという壮大な話を聞くと、キリスト復活を中心として成立してきているキリスト世界そのものの根底が覆ってしまうから、それこそ世界の歴史を変えることでもあり、ロマンというか、信じたいというか、「うん、わかる、わかる」と応援したくなるような、そんな気持ちにさせる。

 人影さえ見えない、朽ちかけた十字架二本の前に立つと、思わずニヤリと笑いたくなるそんな雰囲気が、この山深い木々に囲まれた丘の周りには漲っている。