こけし
 水子の霊に便乗した詐欺や苦情の新聞記事を最近続けて読んだ。
 水子地蔵や水子供養のための行事など、日本人と陽の目を見ずして去った胎児とのかかわりには、意外なほど大きなものがある。
 それは生まれるべくして生まれなかった「いのち」との惜別なのか、それとも己れと分かちがたく結びつき、しかも己自身でもある「いのち」の切り捨てに対する罪の意識なのか。
 その意識を、虐げられ、ひもじさに耐えかね、暗い東北の片隅にまだ見ぬ「いのち」を埋めざるを得なかった母親の、降り積もる雪の厚さよりもまだ重い心をかかえて、物言わぬ人形(ヒトガタ)に語りかける姿に重ねて見るのは、思い過ごしであろうか。
 ロクロで削るだけの驚くほど単純なコケシのイメージを、時として「子消し」の罪におののく、救いようもなく惨めで、しかも責めることすら許されない女の業と結びつけてしまうのは、初冬の暗い空から音もなく舞い降りる雪の、声にならない呟きのせいであろうか。

むらはちぶ
 人が人を疎外することからくるおぞましさは、今の世とて変わることはない。コンクリートジャングルに囲まれ、雑踏にもまれても、無関心になることが生きていることであり、日がな一日過した夜に「ああ今日は誰とも話していなかったな」などとポツンと呟くことは、極端ではあってもわれわれのすぐ隣りにあることで、しかも底知れぬ恐怖ではある。
 村八分の言葉は現代では既に死語と化したが、火事と葬式の二つの付き合いだけは残した当時の人々の生活の知恵に、全部ではなく八分の疎外に止めた知恵に、現代とは異なった、人としての連帯感、村を離れてはなりわいの立たなかった農耕民族の悲しみと暖かさを感ずることができる。