うなぎを喰い尽くした話
 平成9年7月の日経のコラム「春秋」は、日本で食べられているウナギのうち、輸入、養殖を除く天然ウナギのウェイトはわずか0.77%に過ぎないと記し、そして「大伴家持の昔から珍重されたウナギも、ついに食い尽くしてしまうのか」と結んであった。
 考えてみると、現代は高級感の喪失した時代であり、おいしいもののなくなった時代だと言うことができる。
 それは既に飽食の時代という言葉で言い古されているのかも知れないが、これは実はとても不幸なことではないのかと、最近つくづくと考えさせられている。
 食べることは本来、生活であり文化であり、同時に人生そのものであったはずである。
 一年に一度しか食べられないから、旬という言葉ができ、初鰹はほととぎすや青葉と並べられ、冬にスイカを食べたいと訴える病床の貧しい母の姿に悩む孝行息子の美談が生まれるのである。
 おいしいものは特定の行事と離れがたく結びついているから、ゆで玉子1個、バナナ一本、肉を食べることなどが、運動会や遠足やお正月と同義語であり、だからこそ、うまいものを先に食うか、あとからゆっくり食うかについて子供は真剣に悩んだのである。
 このような高級感がなくおいしいものがないという最近の現象は、食べることに特有のものではないと思うが、少なくとも希少感のなくなった時代は、大切なもの、大事な人、かけがえのない思い出、リセットの効かない命、そういったものの喪失感につながっているような気がしてならない。