ゆっくりの時間
 ちょっと気になることがあって、そのことに引っかかったままでいると、なかなかそこから抜け出せなくなって、そんなに気にすることでもないんだし、気にしたままでだってなんの支障もなく生活していけるんだけれど、それでも何かいつも気になっていて・・・そんな思いでテレビの画面見ている時間があります。
 税理士になって1年が過ぎ、今までの8時半出勤からは少し余裕ができて、それでもやっぱり背広にネクタイで事務所に向かう毎日ですが、朝のNHKテレビドラマ「すずらん」を見てから出かけます。
 このドラマは毎朝8時15分から始まりますが、最初の1分ほどがタイトル画面です。
 遠くSLを見つめる幼い主人公、そして、線路に沿って歩く大人になった主人公の後ろ姿が降り積む雪に重なります。
 この大人になった主人公の歩く後ろ姿がなぜかとても気になって仕方がありません。
 歩き方がとてもゆっくりなのです。不自然なくらいゆっくりなのです。こんなにゆっくり歩く人なんて絶対にいないと思うほどゆっくりなのです。
 たった数秒の画面なのですが、なぜか明るく降り積む雪の中を進むこの後ろ姿の赤い着物の女性の歩き方はいったい何なのだろうと、時にその不自然さに苛々するぐらいゆっくりなのです。
 このドラマは4月から始まったのですが、2ヶ月も経ったこのごろになってやっとこの自分の苛々の意味が少し分かりかけてきたような気がします。
 恐らくこのタイトルの時間の流れと私自身の時間の流れる早さとが違っているということなのではないのだろうかと・・・。
 いつの頃からか、私たちの身の回りには時計があふれるようになりました。
 私たちは、一つの家に柱時計が一つしかない時代を、そしてこっそりと見た父の懐中時計の宝石のような輝きを自分のこととして経験しています。
 そして更に私はこれに、腕時計を持ちたいと言い出した中学生の娘と、「欲しい」、「だめ」を繰り返した過ぎた日を重ねます。
 今ではこの小さなワンルームの事務所にも10個を超える時計がひしめいています。
 テレビに内蔵され、ワープロや電話機にも、ポールペンやパソコンやラジオにも・・・。先日百円ショップを覗いてみたらそこにも小さな置き時計が何種類もありました。
 逆に考えてみると、それだけ現代は時間を大切な財産と考えているのかも知れません。
 人とのあいさつでも「お忙しいですか・・・・」が常套句となり、忙しいことが正常な生活習慣、正当な社会生活として是認または要求されるような風潮がいつの間にかできつつあります。
 つまり、忙しいことは常に勝利であり、「ほら、今も貴重な一秒が過ぎていく・・・」の一言に、人は常におびやかされ、「失った過去はもう決して戻ってこない」のだと呪文のように脅迫されています。
 でも「それはきっと違うんだよ」と、このすずらんの歩き方にとらわれる気持ちはそのことを私に気付かせようとしているのかも知れません。 事務所からの帰り道、夕暮れの雑踏を時に意識しながらゆっくりと歩いてみます。
 なかなかすずらんのスピードにまで歩調を落すことは難しいのですが、人々の流れにほんの少し逆らうちょっとした違和感が、いつもと違った日常を感じさせてくれます。
 私たちが幼いころの時間は、きっと今よりももっとゆっくり流れていたのではないのだろうかと、いつの間にか変わってしまっている我が身の今の気持ちのせわしなさを、まるで他人事のように傍観しています。 そして若しかしたら、とんぼの飛ぶ速さも、そよ風になびくとうもろこしの穂先のゆらぎも、川の流れさえもが今よりきっとゆっくりだったのではないのだろうかと・・・
 ただそれだけなんですが・・・
 どうですか皆さん、あなたお忙しいですか・・・・・・・?。