ところで、今日(04年11月29日)のテレビニュースである。男の30歳までの結婚しない者の割合が40数パーセントにも及ぶという話である。何をもって結婚適齢期と呼ぶかについてはあまり深く考えないことにすれば、大雑把に言って適齢期の男性の半数が結婚していないのである。

 そしてアナウンサーの説明によれば、「結婚したくないからしない」というのではなく(もちろんそう言う人も居るだろうけれど)、多数が結婚したいのだけれど相手が見つからないと嘆いているのが現実らしいのである。

 もっとも同時に発表していた女性での割合が20数パーセントであるというのは、適齢期という年齢のギャップを考慮しても、どうしてこんなに差があるのか不思議であるが、データのとりかたに違いがあるのかも知れない。

 ところでこのニュースコーナーの焦点は、そうした結婚相手の見つからない男性に、どうしたら相手が見つかるか、見つかった相手と結婚までどう付き合ったらいいかを指南する、いわゆる男性に対する結婚情報サービス業の紹介である。
 単なる見合いの勧めであるとか集団見合いの機会を設定するなどというのではなく、どうしたら自分を魅力ある男性として相手にアピールするかの方法の指南である。初対面における好感度増量法の指南であり、デートにおける服装、場所、会話などなど交際を継続していくためのコーチである。

 「男性を魅力的にする」というキャッチフレーズは、言葉としては格好いいけれど、こうした指南役に言われたままにする行動というのは、考えて見れば就職試験の面接指導や金太郎飴を作るみたいなものだから、ばっさり言ってしまえば女性に対する詐欺商法ではないのだろうかと感じてしまった。

 番組の中での模擬見合いである。女「どんな映画見ますか?」、男「アクションですね」、女「恋愛映画は見ないんですか」、男「見ませんね」。

 もちろん見事にすれ違っている会話の状態からして、この二人がこのまま付き合いを続け、デートを重ねていくことの覚束ないことは容易に分かる。そこで指南役の登場である。「見ません、ではなく、いい映画があったらぜひ見に行きたい、と言うべきだ」との助言である。会話の助言はまだまだ続く。

 そして指南役はテレビカメラに向かって更に続ける、「石も磨けば光ることを教えていきたい」と。そうなのだろうか。デートの場所や服装や会話の仕方を授業料を払うことで教えてもらい、そのとおり実行することで結婚相手を見つけるなんていうのは、どこか変ではないだろうか。

 石が光っていくのは、ひとりひとりが世間や社会にもまれること、悩み努力し戦っていくことの結果によるものではないのだろうか。この指南役の言っていることは、どうにもならない石もしくは光るか光らないかの判断以前に、その石に色とりどりのペンキを塗る行為だとしか思えないのである。
 そしてもしかすると、磨けば光る石であるのにもかかわらず、磨く機会を与えないままにペンキを塗りたくってしまう結果になるのではないだろうか。

 皮肉に考えてしまえば、男と女の仲はお互い様で、つまるところ騙しあいなのかも知れないから、その光り方が本物なのかペンキによるものなのかはそれほど深く考える必要はないのかも知れない。

 「学ぶ」という語は「真似る」という言葉からきているという話を聞いたことがある。知識の最初はどうしても真似ることから始まるのかも知れないけれど、それにしても「結婚したいけれどできないでいる男」に対する即席の対応策としてのこうした助言は、「真似る」を通り越していてやっぱりどこか詐欺商法に似ていると思ってしまうのである。

 リクルートスーツに包まれた若者の人柄を、面接だけで見抜くことは難しくなったと企業は考え出している。パートか派遣社員かそれとも徹底的な研修か、企業の採用なら場合により部署を変えたり、必要によってはリストラすることも可能だろう。
 だがしかし、ことは結婚である。離婚という選択肢もないではないけれど、結婚する前から離婚を考えながら付き合うなんてのはやっぱりどこか変である。

 男にも言えることかも知れないけれど、少なくとも、ペンキなのか磨けば光る石なのかくらいの区別をつけるだけの力は養っておいたほうが良さそうである。そしてあんまり光っているのは、少しこすって見て、「ペンキ塗りたて」かどうかを確かめる必要がありそうである。

 そして何の脈絡もなく、何の実証もないのであるが、その「こするための道具」は、「読書」なのではないかと密かに思っているのである。「知る」と「分かる」は違うけれど、それでも読書はあらゆる真贋を見分けるための基礎的な道具立てだと私は確信しているのである。

 えっ?、「お前のペンキははげなかったか」とのお尋ねですか。難しい質問ですね。実感としては、ペンキこそ塗らなかったものの磨きかたが足りなかったせいか、「さっぱり光らなかった」というところでしょうか。それとも磨いても光ることなど望めなかった「普通の石」だっのかも知れません。それでも河原の石にだって、けっこうきれいな小石がありますから・・・・・・・。



                        2004.11.30    佐々木利夫


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 男と女の出会いには様々なきっかけや形があると思うけれど、現実のそうした機会はそれほど多いものではない。人口の半分は異性だ・・・・などと強がりを言っては見ても、例えば結婚を対象とした出会いなどを考えてみるならば、そのチャンスは驚くほど少なく、恐らく数人程度にまで減少してしまうのが実際なのではないだろうか。

 だから昔から、仲人口だのおせっかいだのと悪口を言われながらも、見合いを勧める物好きがけっこう多く、しかもそれなりの成果を上げてきたのだと思う。