特に冬の季節特有の問題と言うのではないけれど、除雪や通行にもろに邪魔になるという意味で、雪に埋もれた放置自動車はこの季節、特に目立ってくる。
私の通勤の道路にも、毎年必ず何台かの自動車が放置されたまま雪に埋もれている。歩道にはみ出している場合は歩道の除雪ができないし、そのことは車道でも同様である。対抗する車に気をつけながら車道を歩くしかなくなり、つるつる路面などではかなりの危険を強いられる。
テレビでも新聞でも何度も取り上げられている問題だし、場合によっては消防自動車や救急車の通行の妨げになることも多いと聞くから、そうだとすればことは人命に関する問題でもある。
当面の管轄責任は市町村にあるようだが、放置自動車に迷惑している近隣の住民や町内会が、そうした事実を役場や市役所に通報するものの、これがどうしてなかなか解決しないのである。
役所の言い分はこうである。「管轄違いである」、「放置なのか置いてあるのかが分からない」、「放置だとしても所有権は所有者にあるのだから、役所といえども勝手に処分できない」、「処分手続きに時間がかかる」などなど・・・・。
官庁が四角四面で応用が利かないことは、それはそれでいいのだと私は思っている。どんな相手に対しても「答えは一つ」、これが融通の利かない官庁の取り柄でもあるからである。
その人その人によって法律なり条例の適用を変えていくと言うのは、一見、相手の実情に合わせた柔軟な処理だと思えるかも知れないが、そんなことをしていたら規則というものの存立そのものが危うくなってしまうだろう。
お役所は四角四面で融通が利かないから、この決まりはあの人にもこの人にも同じように適用されるのだと信じているからこそ、人はその規則を守るという側面もあるのだと思う。
官庁は法令の執行機関である。国民や住民の了解の下で作られた法令や条例を、そのとおり四角四面に執行するのでないと、住民はその法律の効果の予測が立てられないことになる。
例えば100万円の所得の税金は10%の10万円だと法律で決められているとしても、執行する官庁が任意に実際の納税額がその人その人の事情によって異なるような運用をしたり、場合によっては申告期限もばらばらで、申告してもしなくてもいいのだとしたら、そんな税金を払う人などいなくなってしまうだろう。
また、「それはそれはお困りでしょう」などと言って、権限のないセクションが勝手に決まりを変更していいかと言われればそれも困る。
法はルールであり、人によってそのルールの変わることはない、変えることもないことが、行政への信頼の基礎になっているのだと私は思っている
さて放置自動車である。恐らく行政の行動が遅い原因は、権限の有無、当該自動車を移動または処分するための費用(予算)の問題と、後日所有者から来るであろう抗議への不安である。
「うちの所管でない」、これこそが官庁における不作為の最大の原因である。所管でないならどこが責任部署なのかきちんと調べて回答してくれればいいのだが、「所管でない」ことだけが最終回答になるのである。
そして次いで予算がない、これこそが官公庁の不作為の実質的な言い訳の第二の原因である。そして住民からの抗議、これがトラブルを嫌う官公庁の絶対的体質でもある。
だが考えて欲しい。放置自動車が迷惑になっているのは、恐らく全部と言っていいほど公道である。そして現に迷惑を受けていることは、市町村にそうした苦情が来ていることで十分立証できるはずである。単に住民だけに限定する必要はない。放置自動車が迷惑であることは、例えば除雪業者であるとかごみ収集車であるとか、消防救急などからの連絡でも十分に判断できるはずである。
また、一件の苦情でもいい、職員がその現場を見に行けばいいのである。そして迷惑の緊急度について客観的に判断すればいいのである。
もちろん市町村は職員が動きやすいように、そうした事態に対しての条例を作る必要がある。事実を確認し、放置自動車の迷惑度に応じて直ちに移動するか、あるいは数日の猶予を当該車両に明示するかの方法はともかく、そうすることのできる手続き規定を作るべきであろう。
恐らくそうした条例は大なり小なりすべての市町村に設けられているのだろう。ただそれがスムーズに機能しないのは、手続きなり運用方法に隘路があるからだと思う。抜かない宝刀、抜けない宝刀など、この場合には不要である。どこに隘路があるのかを検討するとともに、すばやく動ける体制を敷くべきなのである。
もちろんそうした処分を行った場合、車両の所有者などからの若干の抗議は当然にあるだろう。少なくとも他人の財産を別保管にしろ売却するにしろ勝手に処分するのだから、当然に予想されることではある。だから、そうした事態に対するそれなりの対応はきちんと準備しておくべきである。
しかし、放置されていた場所の特定、陸運局などの公簿で所有者を捜索し連絡可能な場合には必要な連絡をとっていること、そして現に迷惑になっていることの立証ができるなら、なにも恐れる必要はない。
レッカー代金と短い期間の保管とその後におけるスクラップもしくは中古車としての処分を制度化すれば、予算の問題は民間委託で十分に解決できるのではないだろうか。
仮に裁判になったところで、その処分が誤りだったとされるケースは極めて少ないと思う。もしあったとしても、そのときはその点を条例で改正補完していけばいいのであり、そうした万が一を恐れて何もしないことなどもってのほかである。
来るかどうか分からない所有者の抗議を恐れて、「所有権は犯すことのできない絶対的な権利である」などと、したり顔で動かないでいるのは、動けないのではなく、所有権に名を借りた単なる行政の怠慢であると思うのである。
さいわい自動車リサイクル法が施行され、解体業者も許可なしには営業ができなくなつた。また、自動車一台一台に管理番号がついて、ネットなどで追跡調査が可能になるという。製造業者のリサイクル費用の負担システムもできた。これで少しは街中から、半月も一ヶ月も、更には冬中放置されていた自動車が消えるようになるのかも知れない。
管轄が警察なのか市町村なのかはたまた都道府県なのか、それとも別な組織なのか良く分からないけれど、「逃げたがる官庁」のイメージだけはなんとか払拭してもらいたいものである。
そして数日後、友人も同様に放置自動車には悩まされていることが話題になった。しかも、彼の主張はもっと分かりやすかった。
「たった一時間でも駐車違反の切符を切られるのに、どうしてこいつらは何日も何ヶ月もつかまらないんだ・・・・・」。
行政が動かないのは別に放置自動車だけではない。街中にある違法なビラやたて看板、そして放置自転車などなど、管轄違いや所有権を隠れ蓑に動こうとしない行政は、いたるところにその顔を見せている。
2005.01.29 佐々木利夫
トップページ ひとり言 気まぐれ写真館 詩のページ