やっぱり自力で生きているんでない奴の自由という発言はどこか変だ。それが小学生くらいまでなら、「そうだ、そうだ、お前の言うこと分かる、分かる」とこちらも寛容になれるのだけれど、中学生や高校生がしたり顔で「自由」であることをあからさまに主張するのを聞いていると、どうにも素直にうなずけなくなってしまう。

 もちろん全部が全部を十把一からげにしてしまうのは間違っているだろう。ただ図体ばかりが大きくて、喧嘩でもしたら一発でこっちが倒されてしまいそうな風采や妊娠も出産も可能な体格で、いかにも「自由を主張するのは正論である」というような発言をするというのはは、どこかうさんくさいものがある。

 「自由」という言葉はとてつもなくすごい。誰もその言葉に逆らうことなんてできないくらいの強さを持っている。
 自由の本質は何かと問われてもきちんとは答えられる自信はないが、人間の尊厳とか生きている意味とか、何ならもっと言葉を選んで、人権とでも生きがいとでも、必要なら正義とか、思い切って「人間らしさ」と言ってもいい、そうした人間の根っこを支えるものだと言ってもいいだろう。

 だから自由は、赤ん坊にも子供にも、大人にも、もちろん中学生や高校生にだって当然に生まれながらのものとして身の内に存在している観念である。
 それでもやっぱり中途半端な理解の自由の概念はどこか変である。「めしを喰うこと」に人任せで何の心配もいらない奴が、「自由」なんて言葉を発するのは、どこかうそ臭いものがある。
 人間として自由を保持していることと、その自由を他人に主張することとは少し違うのではないのだろうか。

 喰うことは生きることである。人は喰わなければ間違いなく死ぬのである。何も考えないまま、飯を喰ったり水を飲んだりすることを当たり前だと考えていること、いやいやもっと根源的には「黄色いウンチ」の出ることに何の疑問も感じず当たり前だと考えている人間の言うことなんて、どこか信用できないのである。

 かつて放送されたラジオドラマ「ポートモレスビーの日」(原作、日下次郎)に触発されて、第二次世界大戦末期における東部ニューギニアにおける軍部から見放された日本兵の姿を追いかけたことがあった。
 それは餓死するか自爆するしかなかった、いずれにしても死に直面した救いようのない日本兵の物語であった。草、木、虫、動物の死骸、果ては身につけている衣服やバンドなどなど、手当たり次第に口にするしかなかった兵隊のうめくように叫んだ「黄色いウンチがしたい」という言葉が、なぜか生きていることの原点にあるような気がしてならなかった。

 「自由には責任が伴う」とは良く聞く話だけれど、伴うのは責任ではなくて実は「危険」なのではないのかと思っている。
 自分に都合のいい部分だけ取り出して、それを阻害する要因のすべてを「自由」の名の下にばっさり切り捨てる、そんなのは自由とは呼ばないと私は思っているのである。
 それは単なる独善であり、どうしようもない「わがまま」に過ぎないのだと、私は頑なに信じているのである。

 だから、責任を放棄すればいいだろう、それも自由だろうと思うのは間違いで、責任は免れることができるかも知れないけれど、危険というやつはそんな甘いものではなく、予告なくしかも確実に訪れるのである。

 そしてこの危険の持つ最大の切り札は、「後悔先に立たず」ということなのである。
 「自由を謳歌する」ことに何の異論もない。しかし、いいとこ取りの自由には、必ずつけが回ってくるのである。

 大事に貯金を残したまま、通帳残高だけを眺めて生涯を終える必要もないとは思うけれど、人の自由にはそれぞれトータルとしての容量が決まっていて、「努力で増やす、使ったら補充する、万が一に備える」といったことをあらかじめ考えておかないと、すぐに底をついてしまうのではないかと思っているのである。

 中学生や高校生に限らない。今では若者の多くが、目先の金とか暇とかにばかり目を向けて、努力しないで楽をすることにひた走っている。親も社会も政治もそれを許していて、経済成長だの産学共同だのと金儲けに走り出すことを目標としている。
 しかもフリーターだのニートの存在は、「努力なしの金儲け」があたかも正当な生き方であるかのように、伝染病まがいに蔓延しはじめている。

 もう少しでつけがくる、間もなくつけは自分に回ってくる、やり直しの効かない後悔が止まない雨のように降ってくる・・・・、それがどうして分からないのかと、知らせるすべを持たないままの老税理士は、小さな事務所の片隅で「金はないけど自由ばっかり」を少しばかり持て余しながら考え込んでいるのである。


                        2005.07.15    佐々木利夫


          トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ



自由とリスク