男も美容室に通ったり化粧をするようになってきているらしいから、香水も女性専用というわけではなくなってきたようだ。そうは言っても、我々の世代にとって自分の身につけるという意味での香水そのものはあまり関係はない。それでも整髪料だのアフターシエーブコロンだのと、男性にも香料を身につける機会が多くなり、人によっては辟易するような匂いを撒き散らしている方も多い。

 この話は女性の香水にまつわるものである。まるっきりと言ってもいいほど私には香水の知識がないし、こんなこと得意げに話すことではないのだが、女房にも香水などをプレゼントした記憶がない。

 その原因の第一は、香りの好みは人様々だから当人以外が押し付けるものではないというのが建前としての理屈なんだろうけれど、そのことよりもまず香りの名前が分からないので買うことができないことのほうが大きい。例えば道ですれ違った妙齢の女性から漂ってくるえもいわれぬ香りがあったとする。その香りが気に入ったとして、その香水を例えば女房へのプレゼントにしようと考えたとする。

 香水を扱っている商店は探せばすぐに分かるだろう。手始めにデパートの化粧品売場でもいい。さて、そうした時、なんと言ってその商品にたどり着けばいいのだろうか。
 まさかに過日すれ違ったその女性に対し、そのすれ違った瞬間に声をかけて、「あなたのつけているのは何と言う名前の香水ですか」などと尋ねることなどできるはずもない。

 探しているのは香りである。香りについてどこまで言葉で表現できるかと考えてみると、私の語彙の貧弱さもさることながら、色々小説など読んでの経験だけれど、香りを他人に伝えられる情報として直接表現できる文章に出会ったことなど皆無に近い。
 それに試してみたことがないので相手が許してくれるのかどうかも分からないまま言うのだけれど、店頭でやみくもに店員に対して数ある香水のビンを片端から開けさせて香りの試し効きを要求すると言うのも、それほど沽券の高い男ではないつもりだが男としてどこか躊躇するものがある。第一そんなことをしたって香水の種類など数え切れないほどにあるのだろうから、何度か繰り返すうちに鼻のほうが混乱してくるだろう。
 つまりは恐らくは望む香水にたどり着くなど至難の業ではないだろうかと言うことである。

 少し前置きが長くなった。私はこの場で自身の鼻音痴加減を披露したいと思ったのではない。いかに鈍感とは言え、私にだって名前こそ分からないけれど好きな香りがある。もちろんそうした香りと言うのは純粋に香りそのものが好きなのとは少し違う。もちろん香りそのものに対するこだわりは事実なのだが、それ以外にその香りを経験した場の雰囲気であるとかつけていた相手の顔やスタイルや仕草などの総合的な思いが込められたものとして記憶になっているのだろう。

 ではなぜそんなにその香水の名前とか入手に固執するのかと問われると、どこかありもしない不倫の尻尾を探られているような気がして困惑するけれどそんな事実はない。だからと言ってその香りを日常生活の中の布団の縁であるとかトイレの中などにさりげなく使うという方法などを考えているのかと言われれは、単身赴任の一人暮らしの中にそんなデリケートな感情の入る余地などさらさらない。

 せいぜいが道行く見知らぬ人とのすれ違いであり、職場の女性やスナックのホステスからそこはかとなく漂ってくるというのが実態であり、その香りが気に入ったから気になるという程度のことであろう。
 女性が香水をつけるというのは、余所行きの正装の場合だけとは限らないだろうけれど、やっぱりどこかで他人に見せるというような雰囲気の中だろうと思うのである。それは必ずしも男性だけとは限るわけではないだろうが、他人を意識した場合に多いのではないか。

 そんな数ある香水のなかで、どちらかというと清純な香りを放つ限られた特別の香りが好きだった。職場の女性などでそんな香水をつけている人がいたらあっさりと名前を聞くことができるのだが、そんな機会もなかったし、そもそも特に名前を知る必然性もなかったから香りの記憶だけで満足していた。
 香水には清純とか妖艶とかの表現をするらしいが、その香りは決してくどくなくて若々しい清純さを漂わせていた。

 帯広で単身赴任をしていた時のことである。そんなこだわりの香りにある日突然出会うことになった。間違いなくその香りである。春風に髪なびかせて小走りに林の中を駆ける乙女の姿を想像させるかのようなこだわりの香りである。果たしてどんな人がそんな香水をつけているのだろうか・・・・。
 その香りが私の鼻をくすぐったのはいつも買い物に行く官舎の近くのスーパーの中であった。ふと騒ぐ胸のときめきを押さえ、さりげなくあたりを見渡す。その香りの女性はすぐに見つかった。

 なんとその女性はそのスーパーの従業員だったのである。しかも中年のおばさんであり、全身を覆うように大きなゴム製の前掛けに白い帽子でモップを手に一生懸命床を磨いているのである。
 どんな香水をどんな時に使おうが、それはその人の勝手である。仕事場にだって化粧はしてくるだろうし場合によっては買い物に香水をつけて行くことだってあるだろう。

 私はその香りに対する自分の感情を公表しているわけでないから、つけている相手が私の気持ちを推し量ったり理解したりする必要はない。でも、でもである。それでもその香りに対するその小さな気持ちは少なくとも私の夢だったのである。香りは一つのイメージである。香水とはその香りが作り出すであろうイメージを商品として売るのではないのだろうか。

 この突然の出来事によって、私のその香りに対するイメージは、見知らぬスーパーのおばちゃんのために無残にも壊されたのである。過去何年間か抱き続けてきたその小さな世界が、悪意など一かけらもない一人の女性の単なる無意識によって完膚なきまでに破壊されてしまったのである。それはまさに無残であり、粉々であり、欠片も残さないほどの壊された夢そのものになってしまったのである。

 だから私はこの出来事を契機にその香水の名前の追求を断念したのである。一つの夢の終わりであった。誰に知られることもない私一人のちっぽけな思いの終わりであった。十勝の国の帯広と呼ばれる街での単身赴任男の儚い物語である。
 しかもその後遺症はそれだけではなかった。何と言ったって、その香水のみならずすれ違う美しい女性から漂うさまざまな香りからの連想が、魅惑であるとか若さなどではなく、どうしてもゴム前掛けの掃除おばさんになってしまうのである・・・・。なんたることか・・・・。



                        2006.2.28    佐々木利夫


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香水の記憶