日本地図との出会いは恐らく小学校での教科書しての地図帳が最初だっただろう。そんなに地理に興味があったわけではないから、授業で教えられるままに都市だの山脈だの地図記号などを覚える程度のものだったと思う。
 だから地図はあくまで地図帳に印刷された絵であり、その形を実際に自身の目で上空から確かめることなど考えもしないことだった。

 ところで私が飛行機に乗ったのは、まだ沖縄が日本に復帰する前年の昭和46年、那覇から石垣島へのYS-11が最初だった。離島航路はそれほどの高度をとらないことや沖縄がさんご礁の島で海岸そのものがそうした生物で埋め尽くされているせいか、海の色が単に青いだけでなく緑や黄緑など、複雑な色彩で彩られていることを目の当たりにして驚いた記憶がある。
 始めての飛行機、初めての沖縄である。生まれも育ちも北海道だから、沖縄の島の形と言ったって生活経験からも授業などでもまるで知識がなかったから、上空から見える島の形を記憶の地図と対比して味わう余裕などそもそもあるはずもなかった。

 沖縄へ行った31歳の時だったが、その歳になるまでには札幌から東京などへ出張する機会はそれなりあったし、九州や京都大阪などへ個人的に旅行したこともあった。しかし、何と言っても飛行機は庶民には手の届かない料金であり、たやすく利用できる交通手段ではなかった。だからもっぱらJR(当時はまだ国鉄と呼ばれていた)の周遊券と呼ばれる割引切符を使い、宿代節約のために夜行列車を利用して目的地へ向かうというのが基本的なスタイルだった。

 それから数年、いつの頃からだったろうか航空運賃と国鉄運賃にそれほどの違いがなくなり、公用の東京出張などにも飛行機の利用が認められるようになった。そしてそれが地上から日本地図を眺めるという最初の実感的経験になったのである。
 最初は景色よりも不安と言うか恐怖じみた気持ちのほうが強かったけれど、そのうちに慣れてきて夕刻に千歳に着く便で下北半島が夕焼けのオレンジ色の光の中に本当に地図と同じ形に見えたことに感動した記憶がある。

 やがて積極的に窓側の席をとって地上を眺めることが多くなった。千歳を出て支笏湖や苫小牧を眺め、やがて函館上空から十和田湖や田沢湖などを探すことができるようなった。そして感じたのが私の中にある地図帳の記憶と上空から見た風景とがどこか違っているいう違和感であった。

 右の窓、左の窓、どちらに席があるかによって、時に海の多い風景になることも多いが、逆に山ばかり眺めるという時もある。特に東北から関東にかけては、東京、名古屋、大阪などのような巨大都市がないせいか山並みの続く風景が多く、小さな集落がまるで地上にへばりつくように点在している姿を見ることができる。

 私の幼い頃に持っていた地図帳には、日本列島には北海道から本州、九州にいたるまで大きな山脈や平野などがいくつも記されていた。北海道には日本海側に天塩山地、オホーツク海側には北見山地、そしてその中央に日高山脈が襟裳岬へと落ちるように走っていた。
 それは本州も同じである。東北関東にかけて巨大な奥羽山脈が走り、飛騨山脈や中国山地などへと続く。

 ただ私の知っている地図帳は平地は海岸の濃い緑から内陸の薄い緑へと変化し、山は裾野の黄土色から頂上の褐色へと変っていく。つまり高度にしたがって緑から茶色へと色分けされ変化していくものだった。山地と山脈との違いを必ずしもきちんと理解しているわけではないのだが、山は高ければ高いほど濃い茶色になっていくのである。
 だから山脈は常にこげ茶色の、まさに土色の直線のような形で表されていた。

 確かにそういう山も現に存在している。例えば私が勤務したことのある苫小牧からいつもその勇姿を見せている樽前山(1038m)へ登ってみよう。裾野はうっそうたる原始林の樹海に覆われている一方で、山そのものは活火山であるから山頂に近づくにしたがってごつごつした岩肌に囲まれてくる。だから山すそのはい松から緑が少しずつ薄くなっていき山頂に近づくほど茶色の岩肌になっていく変化は、地図の記載とそれほど矛盾するものではない。

 だが、飛行機から見る日本列島はそれとはまるで違うのである。むしろ海岸線に近いところに街が広がり、そこは薄茶色か灰色に近く、そこだけ緑色から区画されているのである。そして、そうした街から外れた地域は全部と言ってもいいほど緑一色なのである。

 谷川も山地も山脈も、平野も丘も頂上も、眼下の世界は恐らく人のかかわっている場所以外はいたるところ緑だけが続いているのである。こげ茶色の山脈などどこを眺めても存在していないのである。尾根の続く山脈は、晴れてさえいれば小窓から覗くだけですぐにそれと分かるけれど、決して茶色の筋になってなどにはなっていなかったのである。

 山頂までうっそうたる原始林が生い茂っている山などないだろうが、それにしても山の頂はいつもこげ茶色岩場であり、そうした頂の続く山脈は岩だらけの直線になって続くのだなどとどうして思い込んでしまったのだろうか。

 人は時に思い込みから逃れることはできない。いや、むしろ、思い込みだと気づくことすら難しいことが世の中には溢れている。
 今回同時に発表した、もう一本のエッセイ「カッサンドラの呪い」では信じてもらえないこと、信じられないことの悲劇について書いた。だがしかし、無批判に信じてしまうこともまた時に大きな誤りを犯す場合があるのだと、この日本地図の山脈は私に教えてくれているのかも知れない。



                           2006.12.22    佐々木利夫


                   トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ



日本地図の不思議