少し前に「うたた寝のしあわせ」を書いた。その話を仲間にしたらそんなこと続けていたら夜眠れなくなるのではないかとこれまた余計なお世話である。
 一日の睡眠時間は人によって違うようだがそれでも概ね一定であることは事実らしい。そうだとすれば、昼寝の時間分夜の睡眠が短くなり、寝る時刻が決まっているならそれにつれて朝の目覚めが早くなるのが道理かも知れない。

 ましてや高齢者は眠りが浅い上に目覚めが早いのは誰でも知ってることだと言ってもいいだろう。仲間の中には夜は9時前に寝て3時過ぎに起きるなどと言う猛者もいるくらいだし、例えばNHKのラジオ深夜便は当初徹夜の受験生向けの番組だったのが今ではすっかり眠れないお年寄りのための内容になっているとも聞いた。
 さて我が身もこの昼寝が引き金となって、ラジオ深夜便のお世話になる破目に陥ることになるのか。

 事務所を出て自宅に到着するのは概ね午後7時前後である。8時頃までには晩飯も終わり我が家でのフリータイムに入る。若い頃には続けていた晩酌も、来客や子供たちや孫の来訪など、特別のことがない限り現役時代後半辺りから中止している。酒は好きだし楽しみでもあるのだが、満腹+アルコールは何と言っても早々に眠たくなってしまい、テレビはおろか読書もままならなくなるという現象を引き起こしてしまう確率が高いからである。かてて加えて退職してからはダイエットを目指したこともあり、そのためにも晩酌の楽しみは10年以上、お預け状態にある。

 寝る前のフリータイムとは言っても、それほど建設的な行動を取っているわけではない。居間に続く一部屋を開け放したままではあるが書斎に見立て、机に向かい書棚に囲まれてテレビを見たり、時にテレビゲームに興じたり(実はロールプレイング、つまりRGPにけっこうはまっていて、現在は中古ソフトのFF12『ファイナルファンタジー12』の最終段階を迎えている)、本を読んだりである。そんなこんなで11時に近くなった。そろそろ就寝タイムが近づいてきた。

 10時50分くらいまでに歯磨きなどの就寝前儀式を終え、NHK教育テレビの「視点論点」にチャンネルを合わせる。色んな人がけっこう好き勝手なことを言っているし、そうした意見に付いていけない場合も多いのだが、たかだか10分番組、気に食わなければテレビを消してしまえばいいだけのことである。

 まだ眠りにつくには少し早い。これからが布団にもぐりこんでの、ぬくぬく読書の時間である。事務所、夕食後などそれぞれに本を読む時間のないわけではないのだが、布団に入ってからのほうが著者ときちんと向き合うことができるようである。

 今はカール・セーガンの「百億の星と千億の命」を読んでいる。彼との付き合いは、恐らく25年以上も前にテレビで放映された「COSMOS(コスモス)」が最初だろう。高価だったビデオデッキ、そして高価だったビデオテープを5本も使って録画したことを覚えている。
 そして「コンタクト」と題する本に出会い、同名の映画にも出会った。「COSMOS」と映画「コンタクト」は私のビデオコレクションとして今も大事に保存されている。

 カール・セーガンが亡くなってからもう10年になる。彼の抱く宇宙観はそのまま宗教観でもあり、もしかしたら私の抱く宗教観も彼に影響されたところが多いのではないかと、ふと感ずることがある。
 彼の考えを必ずしもきちんと理解していると言えないことは百も承知だが、「創世記の最初の二章には、天地創造に関して二つの相矛盾した、異なる物語がある、ということだった。だいたい、太陽がつくられる前にどうして光と昼が存在し得るかが分からなかったし、カインが結婚した相手がだれなのかも分かりにくかった。」(コンタクト)であるとか、彼が少年時代に抱いたという疑問、「先生、神様は自分が持ち上げられないようなものを作ることができるのですか」(同書)なんぞは、私のへそ曲がり感覚を誘発させるに十分な一言であった。

 それほど厚い本ではないのだが、それにしても小さな活字の「百億の星と・・・」は、遅々として進まない。布団の中の時間は間もなく午前0時を示そうとしている。そろそろ眠る時間である。枕もとのスタンドの明かりを消す間もなく、昼寝の影響などどこへやら、これまたいつもの朝の6時過ぎの目覚めへとまっすぐにつながっていくのである。

 間もなく冬至である。夏ならば目覚めの時には既に快晴の太陽がベランダ一杯に溢れているのだが、今はまだかすかな夜明けの白みが雲の切れ目からかろうじて遅い朝を知らせているのみである。十分に眠ったし、二度寝の誘惑などもない。

 つくづく信頼できる配達に感心しているのだが、ドアの外には既に朝刊も届いていることだろう。ストーブは6時10分にセットしてあるのでスイッチは既にオンになっている。まだ部屋全体を暖めるまでには至っていないけれど、そもそも私の居住空間は、マンション建物全体に対して左右上下のほぼ中央に位置している。そのせいなのか、それとも断熱構造がしっかりしているからなのか、暖房なしのままでも室温19度から20度を下回ることなどほとんどない。寝巻き姿のまま擬似書斎の机に新聞を開いて、さて新しい今日の始まりである。


                          2006.12.13    佐々木利夫

 上の文の終わりのほうにカール・セーガンの言葉として「先生、神様は自分が持ち上げられないようなものを作ることができるのですか」(同書)を引用した。きちんと確認をしないで単なる記憶による引用がときにとんでもない間違いを犯すことを身をもって知りました。この言葉は正確には、
 「神さまは、ご自分が持ち上げられないような、そんな重い石をお造りになることができますか」であり、それはカール・セーガンではなく、ノバート・ウイキー著「ゴッド・ゴーレム商会」からの言葉であり、しかもそれとても増原良彦著「あべこべの理論」からの孫引き(同書P147)でした。訂正しお詫びし、同じ過ちのふたたび繰り返すことないよう自戒いたします。     2007.1.8




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