「鮭トバ」とは鮭の切り身を皮付きのまま寒干しした食品のことである。もっぱら酒の肴のイメージだから、飯のおかずとして食べることはまずないと言っていい。生の鮭を寒風にさらしたものだが、食べ方は焼いたり煮たりすることなくそのまま皮を剥いでむしって口に放り込むだけである。

 ただこれがとにかく美味いのである。指先に脂が残るし魚臭くはなるけれど、少し塩味の利いた味と歯ごたえがなんとも言えないのである。

 北海道は鮭の特産地である。鮭そのものは全国で獲れるし、それぞれの地方にそれぞれの鮭料理なり加工品がある。
 そうした意味では北海道の鮭は無加工と言ってもいいほど無愛想である。ほとんどが塩振ってそのまま販売する新巻か切り身である。加工品と言ったところで「いくら」、つまり鮭の子の醤油漬けなどが定番であろうか。
 もちろんぶつ切りに野菜を入れて味噌仕立ての石狩鍋であるとか、半身を大きな鉄板に載せて回りを野菜で囲み味噌で焼き上げる「チャンチャン焼き」もそれなりの味わいがある。また、鼻の頭の軟骨を酢の物にした「氷頭(ひず)ナマス」であるとか、背わたを塩辛にした「メフン」などもそれなりに独特の味わいがあって北海道の味覚を提供してくれている。

 それにしても例えば富山県のますずしや笹ずし、福島県のはらこ飯、新潟県の酒びたしなどなど、日本中に広がる郷土料理などと比べるならいまいちの感がある。

 ところで鮭というのは基本的に味が淡白である。「はらす」と呼ばれる腹部は脂が乗って美味いけれど、全体としてはそんなに美味いものではない。ましてや川に遡上してきた鮭などは、まさに産卵のために精根尽き果てようとしているから、いわゆる「ねこまたぎ」(猫も食おうとしないで跨いで通り過ぎる、の意)の呼び名の通り人気がない。

 そうした中でこのトバだけは格段に美味い(と私は思っている)のである。そして美味さそのままに値段も高いのである。トバの皮を外して一口大に切り、燻製にした珍味加工の商品もあるけれど、なんと言ってもそのままむしって食べるのが豪快であり同時に一番美味い。

 帯広に勤務していた秋のことである。北海道の鮭は、道東と呼ばれるオホーツク海に面した地域から太平洋に回りこんだ根室・釧路などでの漁獲が盛んであるが、その釧路からもう少し西寄りの帯広も十勝川を遡上する鮭の好漁場である。

 帯広から十勝川に沿って池田町へと向かう途中に千代田堰堤と呼ばれる少し開けた場所がある。その近くにはサケマス孵化場があって、秋になると採卵のために賑わうのである。特に休日は捕獲の様子を見る人々の姿や鮭の廉価販売に群がる人たちなどで一層の賑わいを見せる。

 私は単身赴任だから鮭一匹丸ごと手に入れても始末に困るだけである。ましてや塩も振っていない生の鮭なんてどうにも始末に終えない。
 だがとにかく採卵が終わり白子も使い終わった鮭である。とにかく安いのである。安いというよりは廃棄処分とでも呼んだほうが良いのかも知れない。今となっては値段も忘れてしまったが一匹百円か二百円程度だったと思う。

 時は秋風の季節である。ふと、トバを自家製で作れないだろうかと思いついたのが運のつきであった。ダメなら捨てても惜しくないほどの値段である。
 2匹買う。ところがなんと、屋台のような仮設の販売所のおじさん、なんと思ったのかいきなり2匹おまけとのたもうたものである。手にした鮭はずしりと重い4匹である。

 小さな切り身をスーパーで買うだけで十分の単身赴任の食卓である。それが尾頭付き4匹である。さあ、どうする。途中で2匹捨てることも可能であるが、食べ物を無駄にするようなことは戦後のひもじさを経験したこの身にあっては想像を絶することである。なんとしても持ち帰り、初志貫徹こそ我が使命である。

 なんたって生である。即日加工する以外にない。考えても見て欲しい。部屋の台所にはでんと4匹の鮭が生臭い臭いを発している。うろ覚えの加工技術をなんとか駆使するしかないだろう。

 まずウロコを外すことにする。別に皮ごと食べるわけではないからウロコはついたままでも差し障りないのかも知れないが、なんと言っても部屋にこもる生臭さとこれから加工に入るぬるぬるの手ざわりをなんとかしなければならないとの思いが先に立つ。

 既に切腹状態だからまず頭の処分である。首筋からえらにかけての介錯はどうやらうまくいった。さて次は本体を頭の方から尻尾に向かって短冊に切る作業である。つまり皮の付いた細長い巾3センチほどの短冊を作るのである。これがトバの原型である。

 とは言ってもそのまま短冊の形に処理できるものではない。その前にまず半身に下さなければ次の処理につながらないことに気づく。
 そこではたと困惑する事態が起きた。「まな板」である。単身赴任である。せいぜいが野菜を切るくらいにしか使わない道具である。家庭用としては並程度だとは思うのだが20センチ×40センチくらいの小さなものである。頭を落とすときはそんなに気にならなかった。なんたって縦に輪切りにするのだから・・・。

 ところが今度は50センチはあろうかと言う魚体を横たえての半身処理である。まな板なしでは始末に終えないし、だからと言って載せた魚体はすでにまな板をはみ出している。
 とても台所の調理台を使っての処理など無理である。床に新聞紙を厚めに敷き、その上にまな板を置いての挑戦となる。半身と言ったけれど中骨を片身に残したままにしておくわけにはいかない。その中骨も外すとなるとこれまたけっこうな時間がかかる(この中骨外しの作業結果を三枚に下ろすと言うのだと言うことは後日知った)。

 さて三枚下ろしが完成した。これを短冊に切り分ければいいのであるが、ここでまたこの作業が一段と大変なものだということが分かってきた。
 もちろんまな板の長さを超えて短冊にするという作業はそのこと自体大変なのだが、それに加えて鮭というのは身がとても柔らかな上に皮がとてつもなく丈夫なのである。

 そう言えばどこかの博物館で、アイヌが鮭の皮で作ったという靴の展示を見たことがある。それほどこの皮は丈夫なのである。大根や玉ねぎを切る程度の包丁ではどっこい言うことを聞いてくれるものではない。三枚に下ろしたときは魚体が大きかったからなんとかなったのだが、今度は細長い短冊を作る作業である。

 しかも3センチ巾程度で切り分けるとなると、皮の丈夫さに身の脆さが加わってしまって、とてもじゃないが板前が刺身を作るようなそんな鮮やかな作業にはならないのである。
 簡易包丁砥ぎを使っては見たもののなかなか切れ味は良くならない。言ってみればナタを使って鮭をむしり切っていくようなもので、切り口がモソモソになってしまうのである。中には皮から身が離れてしまうものがあるなど惨憺たる有様である。

 どうしょうもない作品はこの際捨てるしかない。それでも10数本のトバの素を作り上げることに成功した。涙ぐましい努力の結果である。ここまでくればあとは簡単である。味をつけて寒風にさらすだけである。

 調味液につける。とは言っても塩水に調味料を加えただけの簡単なものである。薄味でいいと聞いたことがあるので少し大きめの鍋を使って30分ほど漬け込むことにする。
 引き上げた生トバのスタイルは、まさに感動ものである。完成して口に入れたときの味が気持ちの上からもひたひたと伝わってくるではないか。

 ここでもう一仕事。このままではぶら下げて干すことができないと分かった。千枚通しを使って細長いトバの一方の皮に穴を開け、手近の紐を通して小さな輪を作る。

 おお、わが生涯最初の感動のトバ作りの第一歩の完成である。いますぐに口に入るものではないけれど、寒風にさらして完成した暁には、わが生涯の記念すべき珍味、快挙、報われる努力の形をこの身で味わい、成功体験を本物とすることができるのである。

 ところが、干す段になって困ったことが起きた。鮭の採卵は秋とは言えまだ冬には程遠いのである。夏のように半そでで歩けるほどではないものの、「寒風にさらす」というイメージにはどうしても季節はまだまだなのである。しかも、干す場所はマンションタイプの合同宿舎の一室だとどうしてもベランダしかない。

 風こそ吹き抜けるけれど、マンションのベランダというのはどこでもそうだろうが南向きである。別にトバを作るためのベランダではない。せいぜいが洗濯物や布団を干すのがその役目である。いやいやそれ以上に明かりと暖かさをとるための南向きだと言ってもいいだろう。

 真冬の吹雪の夜がないわけではないが、常識的に考えて9月の「寒風さらし」はどう考えても浅はかであった。それに5階とは言えどハエの襲来も考慮しなければならない。ぶら下げたトバをネットで囲むことも考えたが、それでは風通しが悪くなりとてもじゃないがトバ作りとは言えそうにない。

 それでも諦めきれずベランダの洗濯物をかける吊り手に、クリーニング店の針金ハンガーを利用してトバをぶら下げてみる。生暖かい風が澱むように吹くだけで、オホーツクの浜辺で寒風に逆らって雄雄しくも海を見据えている勇姿など、とてもじゃないがこの形からは想像することなどできはしない。

 今は夕日に照らされているだけだが、ここ帯広は十勝地方である。「十勝晴れ」という言葉があるようにこの地は快晴の日が多い。しかも秋晴れは北海道の別称みたいなものである。明日も明後日も家主が仕事に出かけた日中には、このぶらんと下がったトバにカンカン照りが熱く囁くことだろう。雨が降ってきたら濡れそぼるトバは、いぎたなく雨滴をしたたらせることだろう。保護者は遠く仕事中であり、心配して様子を見に来て優しくいたわってくれることなど望むべくもない。

 それでも一晩ぶら下げておいた。ハエは来ていないようである。だが翌日の快晴に意を決して室内へ移すことにした。単身赴任とは言えここは普通の家族用の宿舎であり、部屋の数は4つもある。北側に面していて使わない部屋を利用することにする。

 寒風こそ望めないものの冬は寒くて使わない部屋であり、ハエの心配もない。次善の策としてはこの方法しかないだろう。
 一晩外にぶら下げておいたせいか、とりあえず味付けの水は切れているようだ。このまま様子を見ることにしよう。一週間ほど経った。トバからいつの間にか脂がしたたって畳を汚している。あわてて新聞紙を下に置いて、再び様子を見ることにする。

 さて10日か、半月か、もう少し経ったろうか、脂のしたたってきたトバである。これは完成品に近づいてきた証拠ではないかと内心密かにほくそ笑み、多少柔らかいけれどその内の一本を恐る恐る試食してみることにする。

 なんと、トバとは似ても似つかない味なのである。本来なら透明感のある飴色になっているはずが、まだ干物になっているとすら言いようがないほど濁った柔らかさのままであり、おまけに食えたものではないのである。むしろ苦味の混じった変な味と言ってもいいほどである。

 腐っているのではないようである。だがゴニャゴニャした口ざわりは、味も含めて決してトバのそれではない。まだ完成には早かったのかも知れないと、失敗ではないかとの内心を押し隠したままもうしばらく乾燥を続けることにする。

 おお、なんたることか、我が執念の悲願にカビが生えてきた。全部ではないけれど何本かに白いカビが付きだしたのである。しかもカビの生えていないトバの味も、試食の時となんら変らない頑固さで私に歯向かったままである。

 時期か、環境か、技術か・・・。そのいずれもが悪かったのか、私の悲願の鮭トバ作りはこうして挫折した。その時から今日まで二度と挑戦したことはない。
 口に含んだあのなんとも言えない舌触りと味を残して、帯広での単身赴任の鮭トバ作りはいつまでも挫折の記憶だけを残すことになった。

 もっとも、そうした失敗の思い出も、なんだか今では懐かしく、そして優しく甦ってくる。
 そして鮭トバは、そうした挫折にもかかわらず今でも私の大好物である。ゆめゆめ自作しようなどとは決して思わないのであるが・・・・。


                          2006.09.13    佐々木利夫


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鮭トバ作りに挑戦