官庁も企業も人事異動は組織維持の大切なシステムであり、それぞれに頭を悩める制度でもある。ただ、その時期は国の会計年度や会社の決算時期、小中学校の入学・進学の時期などに合わせて4月1日をメドにしている所が多いと思うが、税務職員のそれは昔から7月である。

 理由は色々と考えられるけれど、個人の所得税の確定申告期限が毎年3月15日と法律で決められており、4月1日と言う時期はそれに伴う大量の申告書整理の真っ只中でとても配置換えなどやっている余裕がないことや、引き続き3月決算法人の申告期限5月31日が追いかけてくると言うことも大きく影響しているのではないかと思う。

 転勤のサイクルは常識的には3〜5年くらいであるが、時には1年で移動させられる場合もあり、そうした万が一のケースも考慮に入れると、そわそわの程度はとも角としてほとんど全部の職員が自分のこととしてなんとなく落ち着かない気分になるのもこれまた仕方のないことである。

 北海道で採用された職員の場合、転勤の範囲は基本的には北海道内ということが多い。職員の半数以上が札幌市内に勤務する者で占められているとは言いながらも、小樽や岩見沢などの例外を除き地方税務署のほとんどが札幌からの通勤は不可能である。従って、転勤には転居を伴うという厳然たる事実も同時に考慮しなければならないのである。
 だから7月が近づくと職員それぞれが落ち着かない気分になるのはいわば止むを得ない現象でもある。

 札幌の6月は街のあちこちからアカシヤの香りが漂ってくるシーズンである。西田佐知子の歌う「アカシヤの雨が止むとき」はもうすっかり昔の曲になってしまったにも関わらず、我々世代にとっては未だ青春の名残りを残している曲だけれど、転勤から逃れることのできないいわゆる「転勤族」にとってみればこの街路樹の香りもまた忘れることのできない信号である。毎年、毎年、この花が咲き始めると、おとなしく優しい香りがあちこちから「そろそろだな・・・・・・」と耳元で囁き出すのである。

 さてもう一つ気になる花がある。アカシヤは転勤時期の近づいたことを知らせてくれる花だけれど、転勤そのものを真正面から見すえている真っ盛りの花がある。馬鈴薯の花、ジャガイモの花である。

 そのことに気づいたのは帯広に勤務したときだった。帯広を中心とする十勝地方は畑作と酪農の街である。酪農とは牛を飼うことだから牧草、つまり飼料作物の作付け面積が一番多いのは当然であるが、十勝地方では昔から「赤い大豆」と呼ばれ、投機対象として人気のあった小豆の作付けが盛んだった。

 現在では大豆やインゲン豆の作付けも多いから豆類全体としてはそれなりの耕作面積になっているが、小豆そのものの作付けはぐんと減り、恐らく小麦が首位を占めているのではないだろうか。そしてその次が甜菜(ビート)、三番手にくるのが馬鈴薯であり次いで豆類と続く。

 初夏の収穫期、色づいて風にそよぐ小麦畑の風景を麦秋と呼ぶなど、作物も大量に植えつけられると独特の風景を醸し出すようになる。例えば富良野や美瑛の丘陵地帯の風景がパッチワークの丘と呼ばれるなど、北海道の畑作地は作物一種類あたりの耕地面積の大きさを背景に、雄大な変化に富んだ景色を見せるようになる。

 そうした景色一つに馬鈴薯の花の彩りがある。大量に作付けされた畑が一面の花盛りになるのである。面白いことに馬鈴薯にも様々な種類があって、品種により花の色が違っている。
 薄紫のメークイン、濃いピンクの男爵やキタアカリ、明るい紫のワセシロ、そして真っ白な農林一号やトヨシロなどなど、花の色はそれぞれに微妙な違いを見せている。

 だが区画された畑には普通単一の種類しか作付けしないし、その区画面積もトラクター利用などの作業効率などから年々大規模になってきているという現状がある。そのため、その区画された畑一面が同じ色の花で埋め尽くされるのである。

 馬鈴薯は実利的には食用もしくは澱原(でんげん、澱粉原料の意味)用として植えられているのだが、もともとは観賞用、つまり花を観賞するために輸入されたとの説がある。
 その真偽の程は不明であるが、そう言われるほどにも花がきれいだということについては理解できるだろう。その花が7月になると十勝の田園風景の中で、まさにパッチワークのように一斉に咲き乱れるのである。

 馬鈴薯は北海道ではちっとも珍しい作物ではない。むしろ「さつまいも」のほうが珍しいくらいである。私自身にとっても、戦後の食糧難の時代には子供ながら家族ぐるみで植え付けや肥料運び収穫などを手伝わされた記憶があるし、いわゆる代用食としてイメージが強いから必ずしも好感度の高い食料と言うわけではない。

 それでもきっと幼い頃からそれなり見慣れてきた花には違いないと思っているのだが、余りにも当たり前過ぎて「馬鈴薯の花が咲いている」との印象にまではなっていなかのかも知れない。
 だが、こうして一度この花の存在に気づいてしまうと、この花が帯広だけでなくいたるところに咲いていることに改めて気づかされる。しかも花の時期が我々の転勤シーズンに重なることにも気づいてみると、なんだか急に身近な存在になってくる。

 ここ数年毎日毎日、自宅から事務所までの約4キロを50分ほどかけながら歩いている。雪解けの福寿草やクロッカスから始まって桜、あじさいなどなど、折々の花を眺めながらの出勤は、時にコースを変えたり少し遠回りをするなどけっこう楽しいものがある。

 そうした中にチラホラ数輪の馬鈴薯の花を見かける季節になってきた。札幌だし畑の面積もせいぜいが庭での家庭菜園かそれをもう少し広げた空き地を利用する程度のものだから、十勝平野に広がる見渡す限りの馬鈴薯畑なんぞとは比すべくもない。
 それでも、こうして身近に花を眺めていると、もうすでに退職して転勤などとは無関係な環境にいるにもかかわらず、どこかで心が騒いでしまうのである。

 思い出したように暖かい日も表われるが、今年の札幌は初夏の呼び名とは裏腹に雨も多く寒い日が続いている。オホーツク地域では日照時間が平年の6割台にしか及ばないと気象予報士が報告していた。札幌も8割台だそうで、馬鈴薯の開花も例年より遅れているのかも知れない。

 そうした遅れにもかかわらず現役の職員は目の前に迫ってきた転勤の時期に落ち着かない日々を送っていることだろう。それはかつての私の姿でもあるのだが・・・・。



                                  2006.06.27   佐々木利夫



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転勤の花