郡上八幡の郡上踊りは盆踊りである。越中八尾の風の盆は台風到来のシーズンを表す二百十日の9月1日から3日間の予定で始まるが、これは台風の災害除けを祈るものであって盆踊りの中ではやや異質な部類に入るであろう。
 だから盆踊りとしての郡上踊りは基本的にお盆に踊られるのである。お盆の夜を徹しての踊りはあまりにも有名だが、そんなに日時の限定された催しをそう簡単に見に行くことなど札幌の住人としてはいささか困難である。

 そんな時、おわらの風の盆を見る機会を作ることができ、そのときにあちこちネットを検索していたら盆を過ぎても何回か郡上踊りが開かれるとの情報を得た。お盆は8月16日前後であるが、恐らくシーズンを見逃した観光客誘致が目的なのだろうが、盆の前にもその後にも何回か土曜日曜の夜には臨時の盆踊りが開かれるというのである。

 この年は9月2日の日曜日にこの年最後の踊りが開かれるというものであった。風の盆にまるごと付き合おうと9月1日に八尾に着いた。丸ごと付き合おうというのだから1日(土)、2日(日)、3日(月)である。ならぱ真ん中を郡上踊りに回すのも一人で来て一人で決める旅の気ままさである。

 八尾は富山県北部で日本海までそれほど遠くはない。一方八幡市は岐阜県の南に位置している。おいそれと簡単にいったり来たりできる距離ではないが、人の一心岩をも通す、寝小便布団を通すと諺にも言うではないか。八尾、八幡を一泊で往復することなど、札幌から車での野宿覚悟の旅人にとっては朝飯前のお茶の子さいさいである。

 八幡への途中には五箇山や白川郷などの観光地も含まれているし、翌日の八尾へ戻るルートには美濃、下呂、高山を通ることになる。なんだが行く前から浮き浮きする観光ルートである。
 9月2日朝7時、インスタントラーメンの朝食もそこそこに利賀方面へと向かう。地図にはきちんと道路として示されているのに、野麦峠への道を凌ぐすさまじく険しい山道である。1〜2度道に迷った挙句、どうやら長くて曲がりくねっている山の神トンネルを抜けて平村へと出ることができた。

 ほっと一息、五箇山温泉五箇山荘で二日ぶりの汗を流す。露天風呂も広々としていて透明な湯には午前中のせいもあって相客もいない。
 相倉集落で五箇山豆腐(荒縄で縛って持ち歩けるほど固い)の冷奴を食う。ビールに付き合ってほしいところだが運転中である、我慢我慢。菅沼集落、白川郷と車を進める。まだ昼前である。この調子でだとゆっくりと八幡に着きそうである。途中、ひるがの高原の入り口の売店でもぎたてと称するトマトを数個買う。近くを散策しベンチに腰掛けながら、これが今日の昼飯である。

 2時半頃には八幡町へ着いた。狙った民宿にはうまく泊まれることになったが、駐車場はない。八幡は吉田川を背にした小さな町であり、その支流である小駄良川へ宗祇水と呼ばれる有名な湧き水が注がれている。宗祇水とは室町時代の連歌師「宗祇」の庵がこの近くにあったことを由来とする湧き水のことである。環境庁がこの湧き水を全国名水ナンバーワンに指定したことから瞬く間に有名になった。飲んでみてそれほどの味わいを感じるものではなかった。私の食べ物に対する舌音痴は、水の味にもそのまま当てはまるようであるが、ともあれ日本の名水トップを味わった事実だけで満足することにしよう。

 近くの小高い山の中腹にある八幡城まで行ってみたが入場したいと思うほどのものでもなかつたのでそのまま下りてきて民宿から徒歩5分くらいの日曜日で無人で入り口の施錠もない官庁の駐車場へ無断駐車する。

 久し振りにまともな晩飯にありつく。ごはんは有機米、おかずそれぞれも地産地消だと宿の説明も上の空である。持参の作務衣にサンダル履きで街に繰り出す。昨日の風の盆への参加で度胸がついたのか、すっかり踊りへの飛び込みモードになってしまっている。

 少し離れた商店街の路上の一角に櫓(やぐら)が組まれていて、早くも囃子、歌い手数人が乗り提灯が灯っている。見かけは例えば札幌の盆踊りと良く似ているスタイルである。午後8時開始と聞いていたのだがどんどん人が集まってきているせいか7時半から櫓を囲んで輪踊りが始まった。
 見よう見真似は昨日の風の盆と同じだが、躊躇することなく輪の中に飛び込んだのには我ながら驚いた。馴れない異邦人のぎこちない動きであることは百も承知だが、右手を上げ、左手をかざし、体を回しながら足で地面を蹴り上げるように下駄を響かせる。曲がりなりにも1曲目は終わった。踊りのイメージもつかめた。この調子でいけば2曲目はもう少し上手く踊れるだろう。

 ・・・・・ん。2曲目が始まって戸惑った。違うのである。踊りの輪は当然のこととして進んでいくが、曲も歌も節回しも振り付けもまるで違う別の曲なのである。短い動きの繰り返しは前の曲と同じだし、下駄で地面を蹴る動作も似ているのだが、まるで違う踊りなのである。
 風の盆はもう少し長めのゆったりとした複雑な振り付けだったし、繰り返しのパターンも長かったけれど、同じ曲おわらの繰り返しだった。

 だが郡上は違うのである。繰り返しが短い分だけ比較的覚えやすい感じはするけれど、曲が違う分だけ踊りも異なるのである。戸惑いながらも2曲目もどうやらついて行けた。やれやれである。
 なんと3曲目はまた違う歌なのである。結局、緩急様々ながら違う曲の違う踊りが7〜8曲も続いたのである。共通しているのは比較的キビキビした短い踊りの繰り返しであることと、その中に下駄を地面に打ちつけて拍子をとる動作が含まれていることだつた。
 どんどん曲が変わっていく驚きに乗せられた旅人は、時の過ぎるのも忘れて少しタイムラグのある踊りを周りの人の踊る姿に確かめながら輪の中に埋もれた自分を楽しんでいる。

 午後10時半、名残惜しそうな人たちの余韻を残して踊りは終わった。風の盆の摺り足とは違って下駄(とは言ってもサンダルでは多少心もとないが)打ちつけながらの踊りの疲労感も、十分に踊ったとの満足感を与えてくれている。なんだかこのまま宿に戻るのは惜しい気がする。

 近くのカウンターだけの居酒屋へ入る。10数人も入れば一杯になるようなこじんまりした店で、店の名前も気に入った。「へのつっぱり」とある。マスター、女将、そして常連らしい客まで親切に郡上の話をしてくれる。汗をかいた後だけれど熱燗に話しが弾む。なんでも郡上踊りは全部で10曲以上もあり、普段はその中から7〜8曲を繰り返すのだそうである。

 それにしても盆踊りの曲が10曲もあるなんてのは始めての経験だった。一つの曲に一つの振り付けがあって、曲が変われば踊りも変わるのは当然のことかも知れない。
 ただ風の盆もそうだったように、同じ曲を通して踊るのが普通ではないのだろうか。更に言うなら、ある地方の盆踊り歌というのは、歌詞こそ様々だろうけれど曲としては一つであり、そのことは踊りも一つを繰り返すことを意味していると言ってもいいのではないのかなどと、酔った男の頭はどうでもいいような常識に振り回されている。

 それがここ郡上では10曲、10種もの踊りが当たり前のこととして定着しているのである。それがまた郡上踊りの人気の背景になっているのかも知れない。

 熱燗に少し酔った。夜風が心地よい。明かりの消えた櫓を後に宿へと戻る。
 体に残る疲労感は心地よいが・・・・、でも・・・少し足が痛い。今夜はぐっすり眠れそうである。



                          2007.4.25    佐々木利夫


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