この歌の人気が高いと聞いた。人気につられて私もCDを持っているのだが、歌はこんな詩で始まる。

  私のお墓の前で 泣かないでください
  そこに私はいません 眠ってなんかいません
  千の風に
  千の風になって
  あの大きな空を
  吹きわたっています


 
「死者は死後も生きている」と信じている人が皆無だとは思わないが、多くの人にとって死者が死後存在しなくなることは当たり前に理解されていることだろう。だからと言って死者との思い出までが存在しなくなるのではない。その思い出を人は魂と呼んで語りかけるよすがにした。

 そして魂への呼びかけにはどこかにきちんとした居場所を定めないと覚束ないものがある。だから残された人は仏壇や墓や位牌や、更には故人の死んだ場所など、特定の場を決めてそこに魂が宿るのだと思い込むことにした。それが捕らえどころのない、そして実態的には存在しないであろうことを内心では分かっているはずの「魂」をそこに感じることにしたのである。それは生き残った者と死者との生前からの密約である。

 だがこの「千の風になって」はそうした思いをあっさりと打ち砕いた。生き残った者が拠りどころとしていた死者の居場所を「そこにはいません」とあまりにもあっさりと否定した。死者が墓にいないことくらい誰もが知っている。墓にも仏壇にも交通事故死の現場にも、ましてや異国で野ざらしになっているかも知れない遠い戦争で土に埋もれたままの遺骨にも、散骨した海や山にだって死者が眠っていないことくらいは誰だって知っている。

 それでも人はどこか形あるものに死者の魂の拠りどころを求めた。そしてその形へ向かって人は頭を垂れ、手を合わせて死者と語るのである。
 そうした意味で墓や仏壇や遺影はそうした拠りどころとしての象徴、死者の生前の記憶の象徴、死んだ後もなお思い続けている人のいることを告げるよすがだったのである。

 この歌はそうした思いを向ける対象を否定し、対象のない不安へと人々を駆り立てた。この歌を聞いてから人は墓に向かって手を合わせることができなくなった。墓の前でいくら謝ろうと、一緒に話をしようと、飲食をともにしようとしたところで、そこに死者はいないと言われてしまったからである。そしてその「死者がいない」ことは誰にも増して墓に向かって手を合わせている生き残った者自身が密かに知っていることでもあったからである。

 だから私はこの歌が嫌いである。本当のことを言ってるからなお更に嫌いである。この歌は作詞者不明の外国の曲らしいが、死者の魂は墓のような特定の場所ではなく思い出してくれる者の回りにいつもいるんだと言いたいのだと言うことくらい理解できないではない。
 魂は千の風に乗って漂い、歌詞の第二番は光、雪、鳥、そして星になってあなたの回りにいつもいるのだと続く。

 だがそのことを理解してしまった人たちはこれから一体どうしたらいいのだろうか。死者の魂はいたるところにいるんだと知らされた人たちは、これからどんな風に死者と対話していけばいいのだろうか。
 死んだ夫の墓の前で自分のカラオケを録音したテープを聞かせているおばあちゃんの話をここに書いたことがある(別稿、「カラオケおばあちゃん」参照)。聞いていてくれると信じて熱唱するそのおばあちゃんは、これからどうやって亡くなった夫との絆を深めていったらいいのだろうか。

 「魂はどこにでもいる」との宣告は、逆に言うと「どこにもいない」ことの宣言と同じである。なにしろ千の風である。街吹く風にも庭先のそよ風にも、もしかしたら風呂上りの扇風機の風にだって死者の魂はこもっているのだと、この歌は繰り返していることになる。

 人は弱い。聖書は「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない」(旧約聖書、出エジプト記20章4節)と語った。偶像崇拝は時に信仰を間違った方向へと導くこともあった。だがそれでも人は魂になんらかの形を求め続けた。
 聖書の記述は例えば黄金の子牛のような偶像そのものを神として崇拝することの禁止であって、祈りの対象としての一種の「マーク」までをも禁止したものではないとする解釈もあるようだが、例えば天草に伝わる隠れキリシタンのマリア観音などのように命がけで形を求めた事例だって身近に見ることができる。

 人は虚空に向かって語りかけることなどできないのである。どんな形でもいい。例え石ころでもいいから、人は語りかける対象を求めたいのである。石ころがないと話ができないのである。少なくとも残された者にとって、「死者の魂が安らかに眠れる場所」だけはどこか心の底で確保しておきたいのではないだろうか。たとえそれが自分に言い聞かせるだけの言い訳の場に過ぎないとしても・・・。

 そして私は思う。この歌「千の風になって」が与えたのは、よすがとなるべき石ころさえも砕いてしまった単なる虚空だけだったのではないのかと・・・。



                          2007.11.7    佐々木利夫


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千の風になって