私の事務所がある札幌琴似地区の夜へ、余りにもあからさまに全国チエーンらしい居酒屋が何軒も席巻してきていることについては以前にもここへ書いた(「商店街の異変」参照)。
 仲間と近くで飲むときはだいたいが我が事務所の手作り鍋などで一次会をやり、それから馴染みのスナックへと流れていくのが定番になっている。だがそればっかりも芸のない話しだし、たまにはコースを変えてみようかと、つい先日仲間の一人とそうした新装開店の居酒屋で待ち合わせることにした。ところが目当てにしていた居酒屋の開店が明日からだと言われ、止む無く少し離れた開店して数ヶ月の同じような居酒屋へ行くことにした。

 「とりあえずビール」から始まるのは多くの飲兵衛の常識的なパターンらしいが、我々もいつの間にかその定番行動に知らずにはまり込んでいる。
 それにしても写真入りの多彩なメニューにもかからわらず、居酒屋で飲む世代が替わり客の好みが変ってきているせいなのか、どことなく酒の肴としては馴染みの少ない商品ばかりが並んでいることにいささかの戸惑いを覚えた。

 客受けのする新しいメニューを開発して、いかに客単価を上げるかが競争の激しい居酒屋業界での生き残る道なのだと、どこかの全国チエーン居酒屋の経営者がテレビで話していたのをうろ覚えに記憶しているけれど、我々が常識としているような、いわゆる昔ながらの「酒の肴」みたいなものが少なくなってきている。そしてやたら焼きそばだの寿司だのとごはんものなどが多彩になってきているような気がする。

 まあ居酒屋とは言っても男性中心だった時代は既に遠く、今では女性客も多くなってきており、時には恋人同士や夫婦、家族などで来るケースも多いようなのでそうした事情がメニューに反映している結果なのかも知れない。
 そう言えば、我が娘などと自宅で飲むときなども、どちらかというと「めしを食いながら飲む」というスタイルが多く、我々が酒の肴として理解しているつまみなどによる飲み方とは異なったスタイルになっていることは経験済みではある。それでも物珍しさも手伝って聞いたことも見たことも、もちろん味わったこともない料理を初体験するのもそれはそれで一興である。

 書きたかったのはそのことではない。「とりあえずビール」が終わって酒(日本酒)にしようか焼酎にしようかとしばし迷い、焼酎のボトルにすることでいつもの相棒との意見の一致を見た。テーブルの呼び出しボタンを押してテーブルへ来た従業員の女の子にその旨注文する。彼女から「お湯で割りますか?、水で割りますか?」と聞かれる。「お湯にしようか」と仲間と決める。そこまでは何の違和感もなかった。

 だが、その次に彼女の発した声から多少の混乱が始まった。メモ(と言っても電卓じみた装置に入力するらしいのだが)をとりながら、彼女は「お湯は小にしますか大にしますか」と聞いてきたからである。

 ビールだって大中小などのジョッキがあるし、日本酒だって一合の銚子にしますか二合にしますかと聞かれることもないではない。だが、焼酎を割るお湯に大小を聞かれたのは始めての経験だったものだから、咄嗟に何を聞かれているのか理解できなかったのである。
 思わず問い返してみると、お湯はポットに入っていてそのポットの大きさに違いがあること、そしてポットの大小によって値段が違うのだというのである。つまりは我々がお湯は無料だと頭から思い込んでいるのに対し、従業員は有料であることを前提に話をしているので食い違いが始まったのである。お湯にも湯豆腐や焼き鳥などと同じように値段がついていることをこの時始めて知ったのである。

 なるほどメニューを見るとその通りである。それでなんだか反射的に、「それなら水でいいや」と言ってしまった。彼女は「分かりました」と答え、しばらくして「焼酎セットをお持ちしました」と言いつつボトルの焼酎と水の入ったポット、それに角氷の入った容器をテーブルに置いた。
 メニューを改めて眺めてみると、氷はもちろんのことポットに入った水もまた有料になっていたという次第である。水や氷にそれほど高い値段がつけられているわけではない。だから仮に二度三度お代わりをしたところで我が懐にそれほどの影響を与えるほどのものではない。それでも咄嗟の混乱でお湯を水に変更したことによって氷の分だけ高い酒になってしまったということではある。

 だが私がこれまで抱いていた焼酎をお湯で割ったり水で割ったり、時には番茶や梅干で割ったりするのは無料(つまりはタダ)との思いからすれば、大げさな表現になるかも知れないけれど、この有料という事実はいささかのカルチャーショックでもあった。

 水だってお湯だって、はたまた番茶や梅干だって店にとって無料ではない。販売価格の決定に当たって例えばボトル焼酎のメニュー価格を可能限り安く表示することも店としては一つの経営戦略である。馴染みの居酒屋などで当たり前のように飲んでいる番茶割りだって店がその原価たる水道料金ガス料金番茶の仕入れなどの費用を支出しているのだから、結果としてそれらを何らかの形でボトルや突き出しなどの飲食代金に転嫁しているであろうことは当然である。

 焼酎の水割り問題はかくして原価をどういう形で客へ転嫁するかという方法論ではないのかということであっさりと仲間と一応の結論を出し、とりとめない酔っ払いの話題はなんだかんだと脈絡なくあちらこちらへと発展していくのだった。

 でも、しつこいかも知れないが、それでもまだなんとなく割り切れないものが残っている。確かかなり以前の話しだとは思うけれど、比較的高級なスナックなどでカウンターに座ったら無料だけれどボックス席に座る人からはテーブルチャージ、タバコを吸う人からは灰皿チャージなどと呼ぶ料金加算のシステムが使われたことがあった。結局はそうしたシステムは納得が得られず、その価格が適正なのかどうかともかくとしてチャームと呼ばれる突き出しもどきの軽食料金に統一されるようになってきたのではないのだろうか。

 客それぞれが受けるサービスによる個別計算みたいなものの意味が分からないと言うのではない。それはそうなんだけれど、そんなこと言っちまったら家賃から減価償却費や人件費、電気代などまであらゆる費用が例えば大人、子供、男女やグラスや皿などの個別利用状況や果ては体重などによって区別されることになってしまうのではないのだろうか。
 それでついほっけの開きに醤油をかけながら、「これ無料?」と聞くまでもない嫌味を呟いてしまったのである。だから飲兵衛は嫌われるのかも・・・・。



                          2007.2.28    佐々木利夫


            トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ



お湯で割りますか?