地球が丸いことくらい子供の頃から知っていた。丸いことの知識と丸いことを実感することとは違うのではないかとの話は数年前に書いたけれど(別稿「地球は丸い?」参照)、日常生活にとって地球が丸いか四角いかはたまた平面なのかはそれほど重要ではない。

 地図だって同じである。私の知る限り世界地図は小中学校時代の教科書から今に至るまで一種類しかない(上図左)。太平洋を真ん中にして左がアフリカ大陸、右がアメリカ大陸であり、太平洋の上のほうに小さな日本があってその上に中国大陸やロシアが続く。目を転ずれば太平洋の下の方にはオーストラリアが浮かんでいてその更にその下は南極大陸である。何ならもう少し付け加えようか。日本は赤く塗られていることが多かった。

 地球儀だって子供の頃から存在していたし、もしかすると少年雑誌の付録についていて糊とはさみで自作したような気さえしているから、地球の丸いことは私の中では子供の頃から証明不要の真実でもあった。
 だから地図の表し方にも、もちろん学校で習ったからではあるだろうがメルカトル図法のほかサンソン図法やミラー図法など、長方形のものから蜜柑の皮をむいたようなものまで様々にあることも当然に理解できていた。

 それにしても日本が世界の真ん中に位置している地図が「日本専用」だと分かるにはしばらく年数がかかったことは白状しなくてはなるまい。なんたって世界中の地図の全部が私が学校で習っている地図帳と同じものだと思い込んでいたのだから。
 だがそれはまさに日本人としての驕りだった。日本の地図だから日本が世界の真ん中にあるのである。イギリスやアメリカ、いやいや地球は丸いんだから世界のどの国だって自分の国が真ん中にある地図を作ったところで何の不都合も無い。

 だから南北が逆さまの地図(上図中)だって、イギリス、フランス、ドイツなどのヨーロッパ諸国が真ん中でアメリカが左端、日本が右の遥か彼方にちんまりと書かれた地図(上図右)だってともにまともな地図であることに違いはない。

 そしてそうした錯覚の延長に西部劇があった。どうして「西部劇」と呼ぶかなんてことなんぞそもそも気になること自体なかった。始めからジョンウェインの主演するインディアンとの闘いやならず者とシェリフの撃ち合い、絶体絶命の危機に陥ると高らかなラッパの音とともに駆けつけてくる騎兵隊の映像などは、始めっから西部劇だったからである。リンゴをリンゴと呼ぶくらいの当たり前のことであったのである。

 けつこう大人になってからのことである。職場の研修で一年数ヶ月を東京で過ごすことになった。研修のおもな内容は租税に関する論文を仕上げることにあるのだが、同時に東大の聴講生として5科目20単位を確保することも義務付けられていた。
 東大法科は余りにも恐れ多いことから赤門のある経済学部へ通うことにしたのだが、その聴講科目の一つとして「経営史」を選んだのである。税金と企業の利益とはつながっているんじゃないかということと、教授が比較的優しい顔をしていて試験もそれほど難しくなさそうなので単位が取りやすいのではないかというそれだけの理由だったような気がしているから、それほど重たい意味は無い。

 その講義の内容は主としてアメリカ企業の創立から現代に至る経営戦略であった。当然にアメリカの著名企業の発祥から現在までの経過などが中心になるのだが、そうした一連の話題の中でアメリカ建国の話も出てきた。
 つまりイギリスの清教徒たちが迫害からの逃避と宗教の自由を求めてメイフラワー号でアメリカへ移住した辺りからの話である。ところで私の知っているイギリスとアメリカは上図左のとおり地図の正反対の位置にある。イギリスは左の端であり、アメリカはまるで反対側の右端に位置していた。説明されて分からないではない。地球は丸いんだから右の端が左の端につながることくらい理解できないではない。

 ただ、人々がメイフラワー号に乗ってイギリスからアメリカへ移住したという歴史的事実と、メイフラワー号がどんなルートでアメリカへ向かったのかを理解することとは別物である。
 言われてふと気づいたのは、グリーンランドの南端を隔ててイギリスの目の前にアメリカがあったということであった。もちろんメイフラワー号の航海が長い期間(実は67日)をかけて苦労の末にアメリカへ到着したことを知らないではなかったが、世界地図を丸めてみるならばイギリスとアメリカは世界の果てと果てに位置しているのではないこと、そして多少大げさだけれど目と鼻の先にあることを、何と言ったらいいのだろうかストンと分かってしまったのである。

 メイフラワー号はイギリスを出発して単にアメリカへ着いたのではなく、巨大大陸アメリカの東海岸に到着したのである。アメリカの開拓はここから始まるのである。アメリカの独立宣言は1776年である。メイフラワー号のイギリス出発は1620年、この150年ほどの間に75万人もの移住があり、アメリカの人口は現地生まれの世代も含めて150万人にまで増加したと言われている。
 この増加した人々の全部がイギリスからの移住者ではなかっただろうけれど、産業革命の後押しもあって人々は東海岸から爆発的に広まっていったのである。

 こうしたアメリカにおける東から西へと開拓の始まった現象が「西漸(せいざん)運動」と呼ばれていることもその経営史の講義で知った。つまりアメリカは東海岸を発祥に西へ西へと開拓が進んでいったのである。それは独立戦争後も一層急速に進展した。政府が大陸横断鉄道を認可したことでアメリカの発展は揺るぎないものになっていった。

 この西へと発展する中での様々が「西部劇」だったのである。すべては東海岸から西海岸へと人々が雪崩を打って拡大していくその時々のドラマが「西部劇」だったのである。東海岸の人々からするなら、開拓のドラマはすべて西側で起こったのである。
 無知をさらすようだが、こうして私は西部劇の「西部」の意味をやっと知ることができたのであった。



                          2007.10.17    佐々木利夫


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西部劇と世界地図