私が登った一番高い山が長野県の唐松岳(2696m)だということについては既にこのホームページで発表した(別稿「私の登った一番高い山」参照)。その登山から十数年を経てもう山登りなどやることはないだろうと思っていたのだが、仕事で旭川へ転勤したことがきっかけになって再度のチャンスが訪れた。
 旭川は北海道のほぼ中央に位置し、晴れた日には街中のいたるところ、そして私の住んでいる宿舎からも大雪連峰の勇姿を眺めることができる。眺望の途中に国策パルプの製紙工場があり、その煙突から昇る煙のたなびきがその日の風の強さを知らせてくれる。

 大雪連峰とは北海道で一番高い山の連なりを示す名称で、その名の通り「連なった峰」を表しているだけであって大雪と名前のついた山はない。つまり北海道の屋根と言われながらも大雪山という名の山はないということである。その連峰の中で一番高い山は「旭岳」と呼ばれ、これが北海道の最高峰である。

 さて転勤も2年目に入り、夏が少し過ぎて秋の気配が感じられる頃になった。大雪の秋は紅葉(と言ってもいわゆる楓などではなくナナカマドが主流になるが)から始まるが、その全山紅葉とも言える錦織りの時期になると登山口へ向かう道は見物のマイカーで大混雑になる。

 登山そのものは先に書いた唐松岳でたっぷりと堪能しているから、わざわざ大雪に登る必要はない。だが何と言ってもこの連峰は北海道の屋根であり、旭岳は道内の最高峰である。せっかく旭川に来たのだし、聞くところによると旭岳は子どもの足でも簡単に登れるほどの気軽な山だというではないか。しかも、晴れるたびにこれ見よがしに己の勇姿をひけらかすなど、それは自慢を超えて嫌味である。一年も続いた自己顕示になんとか征服を試みたいものだと少しずつ闘志がたぎってくる。

 土曜日曜なのか、それとも祝日を使ったのか、8月も半ばを過ぎたある日、澄んだ青空に張り付いている山を眺めながら突然目に物見せてやるぞとの決心が湧きあがった。とは言っても思いついたその日の実行は無茶である。いかに子どもの足でも容易に登れるとはいいながら、登山は登山である。それなりの装備・準備が必要だろう。

 折りよく先に書いた唐松岳に登った時のキャラパンシューズ(簡易登山靴)はまだ健在で、転勤に伴って持参してきた小物として下駄箱の中に鎮座している。天候さえ良ければすぐにも登山は実行可能である。天候に問題なければ明日実行することにした。
 準備といったところで登山口まではマイカー利用だし、十分に日帰り可能なコースだから、靴と昼飯を持参するだけでいいだろう。そうそう、飲み水も必要であろう。水筒は持ってないので空のペットボトルに水道水でも詰めていこうか。そう言えば運動会などで、凍らせたジュースを持っていくとの話を聞いたことがある。飲むときにちょうど良く溶けてきて喉の渇きにばっちりなのだそうだ。冷蔵庫の冷凍室へ水を詰めたボトルを入れる。これで準備万端整った。

 朝になった。前日の天気予報どおり快晴である。製紙工場のまっすぐな煙が無風状態に近いことを示しており、その向こうに雲一つない大雪連峰が早く来いと私を手招きしているではないか。これなら雨具、防寒具の必要もないだろう。登山靴を車に積み、リュックにおにぎりと凍らせたペットボトルを積んで、さあ出発だ。

 登山口はかつて生駒別温泉(いこまんべつおんせん)と呼ばれていた数件の温泉旅館のある旭岳の中腹にある。本来の登山口はそこだったのだが、今ではその温泉街(今は旭岳温泉と呼ばれている)の外れから山頂へ向けてロープウェイが延びており、登山客のほとんどはそれを利用している。私とて例外になるつもりはない。

 登山靴に履き替え、リュックを背負ってロープウエィ乗り場へと足を運ぶ。紅葉には少し早いけれど、気候も良く子供連れの姿も何組か見かける。この分なら北海道の屋根への挑戦も楽勝の様相である。

 ロープウエィの乗り場は標高1100mにあり、所要約12分(今は10分くらいらしい)で姿見平駅(すがたみだいらえき、標高1600m)へ着く。そこから旭岳山頂(2290m)への高低差690mは我が健脚だけが頼りである。

 ロープウエィの終点、姿見平の名称は旭岳の雪融け水を集めた近くの姿見の池から来ている。このあたり一帯は高山植物群の宝庫である。池の縁を通っていよいよ登山開始である。案内書によれば途中に崖や急坂などの難所もなく、ひたすら歩くだけで旭岳の頂上に着くはずである。

 ところで夏山の登山は山頂付近はともかくとして、通常は林の中の小道を通って森の息吹を感じながら進むのが通例であろう。だが、そうした森林地帯はすでのロープウエィで通過してしまっているし何と言っても旭岳は活火山である。登山はいきなり僅かの高山植物の隙間を縫う茶色の砂礫の上を足元を眺めながら黙々と歩くことから始まった。

 ペンと書類しか持たないデスクワーク、そしてマイカーやバスでの通勤のたたりがすぐに表われる。ガレ場とは言えないけれど細かい砂のような礫の道を下を向いたままひたすら歩く。汗のしたたりよりも足腰の疲れの方が先に出る。木漏れ日とフィトンチッチとか呼ばれている森の香りなどどこを探しても見つかることのないつま先上がりだけがどこまでも続き下り坂など一つもない砂漠の登山である。

 私よりも年齢が上だと思われる男女、小さなリュックの子供連れなども確実に私を追い抜いていく。そのことに闘争心をかき立てられる余裕すらなく、小さな歩幅をゆっくりゆっくり繰り返すのみである。回りの景色を眺める気持ちのゆとりすらない。

 「もう来ないぞ」、「二度と登るもんか」、「これが生涯の登り納めだ」・・・、北海道の屋根を征服するという記録作りめいたこと以外に何の意味があるのだと自問しつつ、右足と左足の交替運動をひたすらに繰り返すのみである。

 山頂までは2時間くらいとパンフレットには書いてあったが、このスピードではもう少し必要だろう。とは言っても帰る時間までにはまだたっぷりと余裕がある。マイペース、マイペース・・・。
 地上は快晴の無風状態で快適な日和だったが、さすが北海道の屋根、晴れてはいるものの風が少し出て気温も少し下がってきたようだ。だが半そでのスタイルでも特に支障はない。
 喉が渇いた。この時を待っていた。凍らせて運ぶというアイデアを詰めたペットボトルの冷たい水は、カラカラの喉にとってまさに甘露であろう。

 おお、何たることか。結露で回りが濡れないようにタオルで包んだペットボトルの水はまだ凍ったままではないか。僅かに溶け出した数滴が舌を濡らすけれど、とてもじゃないがごくごくと飲んで喉を潤すまでの量には程遠い。
 両手でボトルを暖めてみたりゆすったりしてみるが、その程度の努力で氷が水に変わってくれるはずもない。目の前にたっぷり水の素がありながら、砂漠の旅人は渇きを癒す手段を失っている。

 ゴビ砂漠の真ん中でもあるまいし、これしきのことで喉の渇きにこの身が干からびてしまうこともないだろう。昼飯を食う予定の頂上へ着くまでにはもう少し水になってくれているだろうと自らを慰めて再び歩き出す。

 やっと金庫岩と呼ばれる巨岩の近くへ到着した。立方体に近いこの岩はまさに人間の背丈の数倍もある巨大な金庫の形をしている。この岩が頂上と麓を結ぶ重要な目印になっていると聞いたが、近くにはこの岩に良く似た「贋(にせ)金庫岩」というのもあって、何年か前に霧に迷った登山客が間違えて遭難し亡くなったことを思い出した。だが霧もない今日は道に迷うこともなさそうだし、先を歩いている人も多く、そんなことよりも目の前に頂上が見えているではないか。

 金庫岩から少しきつめの坂を約10分、2時間30分を要してやっと山頂に着くことができた。ここが2290mである。私はいま北海道最高峰に立っているのである。いかに征服の快挙とは言いながら、単独登山だからその場で一人で飛び上がったり、大声を出したり、近くの人と抱擁したりして喜びを表現するのもいささかの抵抗がある。何食わぬ顔をしながらはるか下界を眺めつつけっこう強くなってきた風を体に受け独り握り飯を食う。たが、ペットボトルの水は依然として凍ったまま、頑として私に抵抗したままである。

 なんだか凍ったペットボトルの話しになってしまったが、実を言うとそれがこの北海道最高峰登山の一番の記憶なのである。握り飯の味も水のない状態では喉に引っかかるようで満足には味わう気にもなれなかった。
 さて、飲めない水は無用の長物である。なんの役にもたたない邪魔者である。だからといって山頂にくずかごが置いてあるわけではない。持っていったものは持ち帰るのが登山客としての当然の礼儀であり義務である。

 だから私はその凍ったままのペットボトルを後生大事にリュックへと戻し、背負い、下山し、車に積んで我が家まで丁重に持ち帰ったのである。もちろんその時には徹底抗戦の氷塊は既に飲用水へと華麗に変身していたのではあるが・・・。



                          2007.8.30    佐々木利夫


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