先週、私の子供の頃のゲームとして遊んでいた百人一首についてここに書いた(「百人一首の思い出」)。正月のテレビ番組のことをおせち番組と言うらしいのだが、新聞の番組表を眺めているだけで食べる前からやや食傷気味の気配さへしてくる。
 書斎仕立ての机に我が身を鎮座させてはみるものの、新年だからと言って特別にやることもない。そう言えば百人一首の本があったはずだと書棚をさがしてみる。

 小倉百人一首(鈴木知太郎、桜楓社)というハードカバーを隅のほうから見つけ出した。いつ買ったか、どんな目的で買ったかはまるで記憶にないが、昭和51年発行の初版本である。この年、私は36歳になっているし、およそ税金とは無縁な本だから、30歳台の後半になって百人一首そのものに何か興味を持ったということなのだろうか。

 とりあえず最初のページから読み出すが、小説ではないのだから一首ずつ順を追って読む必然はない。しかも、この本はどうやら学者による解説書じみた編集になっていて、一ページ目からなどと言う読み方はあんまり楽しくなりそうにない。
 ところで、前出「百人一首の思い出」にも書いたけれど、私の百人一首に対する知識はすべて下の句だけのものである。上の句なんぞはせいぜいが人気のあった「乙女の姿しばしとどめん」という下の句に対応する「天つ風雲の通い路吹きとじよ」くらいなものである。

 さいわいこの本には巻末に「下句索引」がついている。この中から私の記憶にある句を、興にまかせてぽつり、ぽつり拾い読みするのも正月の過ごし方としては悪くないだろう。飽きてくればページを閉じて書棚に戻せばいいだけだからである。

 どんな句を選ぶか。正月だし、社会情勢や政治などの重たい句や自然描写のような写真を強制的に見せつけられるような句はちょっと脇にどけてもらって、恋の歌あたりがとりあえず無難なところだろう。少し不倫っぽいのがいいかななどと、どうせ百首全部読み通そうという意思も気力も持ち合わせていない正月の気まぐれだから無責任な思いつきである。

 下の句索引を眺めているうちに、「しのぶることのよわりもぞする」が目に付いた。千年近くも昔の歌ではあるが忍ぶ恋なら今の時代とそれほど感覚の違うこともなかろうと本文へ移った。

 それがタイトルに選んだ「玉の緒よ」から始まる一句であった。そしてこの歌は実はとてつもなく深い思いを歌いこんでいることに気づかされたのである。

 まずは歌の全文を掲げよう。

      「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする」
                              (式子内親王〜
しょくし ないしんのう


 我が命よ、絶えてしまうべきものならば、早く絶えてしまえ。このまま生きながらえてでもいようものならば、そのうちには、こうして、じっとたえ忍んでいるわが心も弱まって、いつか一目にもつき、うき名を流すようなことになってはいけないから(著者、鈴木知太郎の訳による)。

 玉の緒とは魂をつなぐ「緒」(ひも)、つまり「命」のことである。内親王とあるから作者は天皇の娘であろう。忍ぶ恋である。秘められた恋である。彼女はその恋をこんなにも切なく歌ったのである。

 ネットを少し探してみたのだが、彼女が後白河天皇の第三皇女であることは分かったものの、この歌の相手が誰だったのかは不明のままである。
 皇女と言う身分からすればそんなに簡単に恋愛など許されない立場だと思うのだが、だからこそ決して知られてはならない秘めたる恋という見方のできなくもない。

 この歌の上の句には下の句のような嘆きとは裏腹な、激情に身を任せる女の力強さが感じられる。恋のほむらに焼かれる絶叫とも言えるほどの切なさが直接に伝わってくる。

 彼女には恋の歌が多いようである。切ないまでの秘めたる恋に身を焦がすこんな歌も見つけることができた。

    「恋ひ恋ひてよし見よ世にもあるべしといひしにあらず君も聞(きく)らん」

 いつも繰り返し言ってるように、あなたが好きで好きでたまらない。でも、そのことを知られることは決して許されないのです。この恋が成就しない運命にあるのなら、私はもはや生きながらえようとは思わない。私はこの恋に死にます。

 叶わぬ恋、実らぬ恋にも時は容赦なく押し寄せ、やがてその恋もいつか思い出に変る。

    「あはれともいはざらめやと思いつつ我のみ知りし世を恋ふるかな」

 誰かを好きになっても、その気持ちを押し殺して生きるのがこの身だと哀れに思うのはもうやめよう。心の中に彼を想い、逢う時をばかりを空想していたあの頃が今となっては懐かしい。

 正月の無聊に任せた気まぐれから始まった百人一首の中の一句だったが、暇つぶしのつもりが思いがけない人物との邂逅をもたらしてくれた。
 式子内親王、53歳の生涯であったとこの本の著者は記している。



                          2007.1.9    佐々木利夫


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玉の緒よ