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 これは最近読んだ「仕事中だけ『うつ病』になる人たち、30代うつ、甘えと自己愛の心理分析」(香山リカ著、講談社、2007年)と題する本からずらずらと引っ張り出した「うつ」につけられた病名の羅列である。

 単に気まぐれに読んだ本だし、私に精神医療に関する知識など皆無に近い。だからこれらの名称を「うつ」につけられた病名と断じていいのか、それとも単なる症状や原因による分類、更には同じ病名であっても学者や研究者によって異なる名称をつけられたものも含まれているのかの区別すらもつかない。

 だがしかし、なんと多様で複雑で理解不能な言葉の羅列だろうか。精神医療はそれだけ複雑な分野なのだと言われてしまえばそれに反論するだけの知識はない。だが、素人なりに言うなら、逆に精神医学の分野は過去も現在も混乱のしっぱなしなのではないかとすら思ってしまう。

 「うつ」が増加していることは事実なのかも知れない。昨日のテレビは道内版で、道職員の心の病によって一ヶ月以上休職をした者の推移を発表していた。平成4年には48人だったのが11年には119人と100人を超え、16年には208人となり、ついに本年19年は241人と過去最多を記録したと報じていた。しかもこの人数は北海道職員総数の1.2%にもなるというのである。

 そしてこれは道職員の休職者とは無関係なのだが、同じテレビで「自分で感情をコントロールできない」と感じている子どもの数も発表していた。小3で1.8%、小5で3.7%、中2で7.4%、高2で15.2%である。なんという数字だろう。どんな状態をもって感情のコントロールができる、できないと判断したのか分からないけれど、高学年になるにしたがって増加していくこの数値は、数値そのものの大きさも含めて「大人になっていく」ことに余りにも逆行しているような気がしてならない。大人になっていくことには様々な要素があるだろうけれど、他者に向かって許容したり我慢したり理解を深めていくことではなかったのだろうか。そうした私の思いとは裏腹に、この調査結果には幼児への退行現象すら重ねてしまいそうである。

 ところで数年前に流行(?)した言葉に「多重人格」がある。一人の人間の中に複数の人格が表われてくるという一種の精神的な障害の状態を示す言葉であり、そうしたジキルとハイドみたいなドラマ性が世の中に受けたのか小説でもテレビドラマでも取り上げられることが多かった。正確な情報を持っているわけではないのだが、そうした流行は世界的(もしかしたらアメリカやイギリスだけかも知れないが)規模にまで及んだような気さえしている。

 それが昨今はまるで聞かなくなった。この「多重人格」は上に列記した症状の中にも書かれているからきちんとした病名の一種なのだろう。だが、そうした病気に対する劇的な治療法が見つかって完治、克服され、現在では存在しなくなったという話は聞いていないから、今でも病気として存在しているのだろう。

 ただ、こんなに「うつ」が増加していると言われているにもかかわらず、こうした名称が最近新聞テレビなどに登場しないことに、なんだか「多重人格」という症状そのものの中に流行だとか、一過性だとか、集団催眠のような心理的な名称の一人歩きみたいなものを感じてしまう。

 病名をさがして病院を渡り歩く者が多いと聞く。「何となく調子が悪い」ことは事実なのだろうが、きちんとした病名がつかないと落ち着かないという気持ちがそのまま権威者などから病名をつけられることで安心する心境へとつながつていくのだろう。

 精神的な状態でも、「何となく心が晴れない」ことが自分で症状をあてはめたり、または精神科医などがもっともらしい病名をつけてしまうことの中に人は安住してしまうこともあるのではないか。

 「うつ」は今や何でも受け入れることのできる、落ち込んだ精神状態に対する万能の受け皿になった。何にでも人真似はある。テロだって自殺だって放火だって、その時々の流行のような真似がある。そして「うつ」も・・・。

 最初に掲げた病名列記のもとになった著書の中で著者は「疾病利得」に触れて、「何らかの疾患になることで結果的には自分が得をしたり有利な立場なったりすること」と説明している。こうした利得には病名がつくことで安心すると言った安住場所への逃避も含まれるのではないのだろうか。

 もちろんこの書の著者は「30代にこれまでになかったうつが増えてきている。それは従来型の『うつ病は心のカゼ』だとか『うつは誰もがかかる。本人のせいじゃない。治療すればすぐに直る』とソフトな気休めというだけでは救うことはできない。30代うつの背景には甘えと自己愛があって、気持ちの落ち込みや足踏みを医療者など第三者に訴えて外側から取り除いてもらって自分は何も関与しないという風潮から一歩踏み出して、ガンバルことが自分の人生の悩みに気づくことで、状態は良い方向に向かう」と説き、「うつ」は単なる流れなどではないと述べている。

 このことに反論するつもりはないし、うつの多くが自己逃避や単なる自分の居場所を探す現象だなどと言いたい訳でもない。
 ただ本当に「うつ」は増えているのだろうかと気になってもいるのである。もし仮に増えているのだとしたら、それはある人を「正常」と認定する範囲を社会の仕組みがどんどん狭めていっているからなのではないだろうかと思ったのである。外科や疫病などと違って、心的な正常と異常とは同じ直線状の状態の位置関係にあるのではないだろうか。そしてその境界にはどんな場合もグレーゾーンが存在している。そのグレーゾーンの中に一本線を加えて右は正常、左が異常と判断するのだとするなら、そしてその一本線が社会だとか医者だとか政治や行政などの事情で右へ左へと僅かにもしろ移動していくのだとしたら、「心の病」とは一体何を示しているのだろうか。

 そのことは私自身の経験からもはっきりと分かる。つまり、私自身の中にだって躁状態、うつ状態みたいな感情がまぎれもなく当たり前に存在していると実感できるからであり(別稿「私の中の心療内科」参照)、逆に言うなら落ち込んだり元気になったりを繰り返すのが人間なのではないかと思うからでもある。

 そしてそれでもなお本当に「うつ」が増えているのだとしたら、そのことはもしかすると「安易にうつを認める社会」が広まってきて、そうした環境に依存する人々の心の増加ではないだろうか。
 そしてそして、そうした依存する心の増加に追いついていけない精神科医や学者などが、あれにもこれにも当てはまるように症状名だけをどんどん増やしていっているのが、この収拾がつかないかのように見える症例の増加につながつているのではないだろうか。



                                2007.10.5    佐々木利夫


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増えていく「うつ」