私のパソコン歴は今から40年以上も前のNHK教育テレビの番組に始まる。そもそもパソコンなどという言葉そのものがまだ生まれていない時代である。
 コンピューターというなんだかとてつもない空想じみた代物があって、大企業だとか大学の研究室などにポツポツ話題になってきた頃でもある。そうしたことを私が知っているということ自体が、そろそろ社会にコンピューターが広まってきていることであり、だからこそ教育テレビなどがコンピューターの仕組みみたいなものを放送するようになったのであろう。

 そうは言いながらも私の中のコンピューターはまだSFの世界であり、何でもできる万能マシンのイメージでしかなかった。大体コンピューターそのものをまだ私は見たことすらなく、第一噂では一台数千万円以上もすると言うではないか。しかも、そのマシンは空調の完備された特別な部屋の中にあたかも女王様のように君臨しているものらしかった。
 だから個人がコンピューターを持つなんてことは想像外と言うか非常識とも思えることであった。

 とは言え教育テレビの番組がSFとして始まったわけではなかった。どこかの大学教授が二進法だのプログラムだのと言ったコンピューターの仕組みを基本から解説する机上での講義であった。もちろん熱心な視聴者である私の前にコンピューターなど影も形もなかったことは言うまでもない。

 そのうちにどんな方法でだったのか通信教育にコンピュータープログラムの講座があることを知った。解説によれば、受講生が作成したプログラムをコンピューターにかけ、その結果を添削して送り返してくれるというシステムである。
 私が直接コンピューターに対面するわけではないが、キーパンチャーが私の作ったプログラムをカードにパンチしそれをマシンに読み込ませて結果を出力するという、まさに私が直接操作していると同様のシステムではないか。

 忘れもしない。そのマシンの名前として、富士通が開発したFACOM230-10という機種が紹介されていた。そのマシンを私が知っていたのは単なる紙の上の知識でしかない。だが現実に企業などにコンピューターとして稼動しているのと同じマシン、つまり本物のコンピューターに間接的にしろ私は向かい合うことができるのである。

 どんなプログラムが課題とされていたかはもうすっかり忘れてしまったが、コーディングシートと呼ばれるA4版の一行30文字20行くらいの枠を薄く印刷した用紙に、プログラムを大文字の英数字で書き込みそれを学校へ郵送するのが生徒の役目であった。

 ところで当時の通信教育の対象になっていたプログラム言語は、COBOL(コボル)とFORTRAM(フォートラン)の二種類だったような気がする。
 どちらの言語も英単語で作られた命令を組み合わせることでプログラムを作成していくのだが、コボルはビジネス向けと呼ばれていて、実際の作業命令の前に作業用の数字を保存しておく変数の定義であるとか出力帳票の構成、入力や出力に使う装置の名称や定義などをプログラムの前段にきちんと書き込まなければならず、これがけっこう煩わしかったこともあってフォートランを選んだ。

 このフォートランと名づけられた言語はその名前の由来がフォーミュラ・トランスレイションつまり、数式翻訳と呼ばれることからきているとおり、いわゆる「計算」といういかにもコンピューターらしい分野に特化していたこともあって、そのこともこの言語を最初に選ぶ動機になったような気がする。

 さて先に述べたコーディングシートである。この紙に鉛筆でプログラムを書いていくのだが、その書いた一行がパンチカード一枚に対応するらしい。つまり30行のプログラムならばキーパンチャーの手によって30枚のパンチカードに変換され、それがカード読み取り機にかけられてコンピューターへと入力される仕組みである。

 もちろん現実のプログラムならば数千行、数万枚というボリュームになるのだろうが、通信教育のプログラムだからせいぜい数十行前後だったろうか。それでもパンチャーは私がコーディングシートに記載したとおりにパンチするので、一文字でも間違ったり、必要のないピリオドを入れてしまったりするだけでコンピュータは思うように動いてくれず、エラーメッセージが続々と吐き出されてくるという始末である。

 フォートランコースをどうやら修了することができ、コボルコースもどうやらなんとかなりかけてきたのは、そんなにコンピューターばかりに熱中していたわけでもないこともあって、勉強を始めてかれこれ10年近くも経ってからのことだったような気がする。

 そんな時にいわゆるマイコンと称するマシンが販売されると聞いた。マイコンとはマイクロコンピューター、つまり極少のコンピューターと言う意味である。
 だがマイコンと言う言葉にはその定義とは別にマイ・コン、つまり私のコンピューターというイメージがあった。確かにコンピュータには企業向けの大型マシンの意味がある。ところがそれとは別に個人向けの入力装置つきのコンピューターが販売されると言うのである。

 うろ覚えなので間違っているかもしれないが、最初のマイコンはTK80―BSという名称の機種だったような気がする。緑色の基盤にICチップなどが組み込まれ、テレビ画面に文字などが出力されるというものだった。ただ、命令するプログラム言語はフォートランとかコボルなどではなく、マシン語と呼ばれる特殊な言語だったような気がしている。

 欲しかった。でもまだけっこう高額で、数十万円という単位だったような気がしている。それに残念なことに私にはマシン語の知識がない。新たに勉強する気力はまだまだ残ってはいるものの、我が小遣いではまだ遠い彼方にあり、しかも手に入れたところでそれを何に使うのかまるで見当もつかない。マイカーがそろそろ近隣にも普及してきた頃だったから、車ならば家族サービスに使えるかも知れないけれど、コンピューターなどと得体の知れないものに子育て真っ最中の女房殿の理解など望むべくもない。

 だがコンピューター社会は着実に歩みを進めていた。しばらくして日立製作所から「ベーシックマスター」と名づけられたキーボードタイプのまさに個人向けのコンピューター、つまりマイコンが販売されたのである。
 価格は多分もちろんいわゆるモニターと称する映像を表示するテレビ様の画面もついてはいなく家庭用のテレビに接続するシステムで、プリンターなどは贅沢の極みであったからもちろん別売である。それでも本体のみで20万円以上もしたはずである。

 そうした商品が販売されることはマイコン雑誌の広告などで知ったけれど、月給3万円前後のこの身にとってはとてもあっさりと手に入れられる価格ではない。だが名称からも分かるとおりこのマシンはベーシックという言語で動くらしいのである。しかもこのベーシック言語はフォートラン言語と極めて似ていることが分かった。

 欲しい気持ちを抑えつつ手に入れるための小遣いの貯金やマシン操作のための努力が始まった。まずはタイプライターの購入である。プログラムは通信教育のようなパンチカード経由ではなくキーボードから直接入力するもので、そのキーボードのキー配列は英字タイプと同じであると分かった。その配列を覚えるためにはどうしても卓上のタイプライターが必要だと思いついた。
 お誂え向きのタイプライターが見つかった。しかもシフトキーを押すと普通は英大文字と英小文字が入れ替わるのだが、英小文字の代りにカナ文字になる機種であった。もちろんタイプライターなのだからコンピューターとはまるで無縁の代物であり、したがってそんなに高価ではなかった。

 手に入れたその日からタイプライターの猛特訓が始まった。まず英字については高校生の頃に手に入れたエドガー・アラン・ポーの黒猫ほか数編の日本語対訳のついた小さな英語本を書棚から引っ張り出しての打ち込みである。全部大文字で打ち込むのだから出来上がったものは何の意味もないけれど、ひたすら英大字を打つことが目的なのだからどうと言うことはない。
 カナ文字の練習は新聞である。読み終えた新聞記事を政治も経済も無関係にカナ文字にセットしたタイプライターでこれまたひたすらにパチパチ打ち続けるのである。キーボードの練習、つまり今で言えばキーのブラインドタッチの練習である。それ以外に何の意味もない、ただひらすら打ち込むだけの練習であった。

 とは言うものの、私がコンピューターをこの手にするのはまだまだ先のことであった。


                             後編「コンピューターがやってきた」へ続く・・・



                          2008.1.30    佐々木利夫


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