「犬の糞尿は、飼い主が責任を持って始末してください」。自治体や個人によるこんな看板があちこちに目立つようになってきている。ペットの飼育はまるで核家族化と軌を一にするように増加の一途をたどっているようだ。
 そしてそれに呼応するように散歩させる犬の尿の後始末にペットボトルを持って電柱に水をふりかけている飼い主も増えてきている。

 最近の新聞にそうした行為を「さすがだ」と褒め、そうした気配りを賞賛する投書が載っていた(朝日、11.21)。投書者の言い分は「自宅近所に、朝晩散歩する犬がおしっこをかけ放題の電柱がある。夏は悪臭を放ち不衛生だ。電柱の前に住むおばあちゃんが朝晩、電柱を水で洗う事態になっている。」ということである。

 一見もっともらしい意見に聞こえるけれど、考えてみるとどこか変だ。投書者は東京の練馬区の住民である。そして私の知る限りそうした行為をする飼い主が持参しているペットボトルはせいぜいが500ml程度のものであって、その水をちょんちょんと犬のおしっこの上からふりかけるだけである。

 犬はおしっこがしたくて放尿しているのではなく、自分の縄張りを示すためのマーキングとしてふりまいているのだから、散歩途中のおしっこは数回程度ではなく十数回、数十回に及ぶだろう。私にはマーキングのために犬がどんな場所を選択するのかはよく知らないけれど、電柱、塀など垂直状態にある場所ならところかまわずのように見受けられる。

 そうしたおしっこにペットボトルの水をふりかけるだけで、本当に「犬のおしっこを水で洗い流す」ことになると飼い主は思っているのだろうかとの疑問が残って仕方がない。
 私には「洗い流す」と言うからには、少なくともそのおしっこにふりかけた水が近くの排水路にまで流れ込む状態になって始めてそうした表現になるのではないかと思えるのである。

 だが実態はどうか。電柱のおしっこにかけた僅かな水は、まるで人間の立小便のようにそのままアスファルトの舗装面へ数十センチ流れたまま黒い水跡を残しているのみである。「ふりかける行為」は単に「おしっこを薄める行為」にしかなっていないということである。

 先に述べた投書者が見ていたと言う「電柱を水で洗うおばあちゃん」の行為は、決してペットボトルの水を電柱の根元にちょんちょんとふりかける程度の行為ではなかったはずである。恐らくバケツの水をかけながらたわしのようなもので洗い流していたはずである。そしてその洗った水は未舗装の地中へと染みこんでいったか、または近くの雨水升から地下排水路へと流れていったのではないかと思うのである。だからこそそうした行為は「犬のおしっこを洗い流す」ことになっていたのだと思うのである。

 ところが現代の犬の散歩をさせている飼い主の行動は決してそんなものではない。電柱の根元にたまっていた犬のおしっこはペットボトルの水で路面に少し広がっただけにしか過ぎないのである。その水はやがてそのまま乾いていくことだろう。果たしてそうした行為に「悪臭を放ち不衛生だとの思い」を断ち切ることとのどこに整合性があると言うのだろうか。

 私にはこの薄める行為に、「何にもしないよりはいいだろう」程度の気配りの意味すら感じることができないでいるのである。
 犬の糞をビニール袋に始末しながら散歩している飼い主の姿も見る。私はそうした糞の始末と尿に対するこの水かけの行為とはまるで違っているのではないかと思うのである。糞は少なくとも路面から消え、生ゴミとして処理することは多くの自治体が禁止しているから恐らく人間の使うトイレへと捨てられるのだろう。だとすれば、それはそれで一つの完結した処理になっていると言っていい。

 しかし水のふりかけはそうではない。おしっこを薄める行為が糞を持ち帰ることと同じ行為なのだと、人はどこで錯覚してしまったのだろうか。

 私は以前ここへ食肉やサブプライムの債券や故紙割合など、混ぜることによる偽装について書いたことがある(別稿「混ぜると消える」参照)。それと同じような感触が犬を飼う人のおしっこの始末にも広がってきているような気がしてならない。昨日の投書も先に掲げた投書に賛同して、「散歩中のおしっこはペットボトルを持ち歩いて洗い流すことはよくわかりました」とあった(朝日、11.25)。この投書のタイトルは「犬の糞の始末、良策はないか」で、「ゴミの収集場所に出せない場合、どのようにしたらいいのでしょうか」との内容になっている。私にはこの投書者にこれしきの想像力すらないことが悲しくなるとともに、「混ぜると消える」意識や「薄めると消える」などの思い込みが多くの人々の間に次第に蔓延してきている事実を改めて思い知らされたのであった。



                                     2008.11.26    佐々木利夫


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