今年9月10日にジュネーブにあるヨーロッパ合同原子核研究機関で世界最強最大の加速器が稼動を始めたとの新聞記事を読んだ(’08.9.11 朝日)。加速器とは原子核を構成する帯電粒子(陽子や電子など)を加速する装置のことである。

 この記事を読んで突然私が子供の頃にこの加速器が好きだったことを思い出したのである。まだ家庭にテレビなどもない時代だったから、恐らくその本質など何一つ知らず単なる新聞記事かラジオに触発されたものだったのだろう。ただ加速器としてのそれなりのイメージはあったから、中学生くらいにはなっていたのではないかと思う。

 多分学校の宿題か授業のテーマだったのではないだろうか。先生から「将来の私の家」みたいな絵を描くように言われたのだと思う。どんな形の家だったのか、まだマンションなどと気の利いたものなど思いつかない時代や年齢だったから恐らく一戸建て住宅だったろう。そうした将来の私の建物に対するイメージはまるで記憶にないけれど、たった一つその家に地下室があったことだけは覚えている。

 地下室とは恐らく子供にとっての「秘密の基地」のイメージであろう。「秘密の基地」が子供の頃の私の夢(恐らくは当たり前の男の子の当たり前の夢だとは思うけれど)の一つであったことは前にここへ書いたことがある(別稿「少年と秘密の基地」参照)。それが木の上やどこかの廃屋、物置のすみっこというのではなく、堂々と一部屋をあてがうところにそれなりの確信を持った少年の夢があったのではないだろうか。

 さて地下室を秘密の基地にするのはいいとして、少年は果たしてその基地を何に使おうとしたのだろうか。戦後間もない頃だとは言いながら、戦争体験そのものの少ない少年にとって「スパイ」もどきの作戦を思いつくようなことはなかった。ガランとした地下の空間を少年は何に使おうとしたのか、私はその画用紙に描いたものを今でもはっきりと思い出すことができる。

 線形加速器であった。部屋の中央一杯に細長い棒状の物体を置き、その回りに小さな磁石をいくつも配置した絵であった。恐らく棒の片方が帯電粒子の入り口であり、反対側が出口になるのだろう。入り口に発生させた帯電粒子は途中に配置されたいくつもの電磁石で加速されて反対側から飛び出すのである。
 四角い地下室の真ん中に細長く置かれた鉛筆書きの加速器、そんなイメージしか記憶に残ってはいないけれど、確かに私は私が持ちたいと願う将来の地下の秘密基地に、恐らく自分専用であろう線形加速器を作ろうとしていたのである。

 それは本当に加速器を欲しいと思ったのか、それとも単に先生や仲間に向かって私が加速器と称する得体の知れない装置の存在を知っていることを誇示したかっただけなのか、そこのところは必ずしも分からない。ただ、仮に誇示の意識があったとしても、私は少なくとも子供なりに加速器の意味を僅かにもしろ理解していたことは言えるのではないかと思っている。

 加速器には線形のものと円形のものとがある。例えば電価を持った粒子が磁場を通るときに曲げられることは知られていただろうから、直線よりは円形の方が地下室に置くには合理的なような気がするけれど、どうして私の選択が線加速器だったのだろうか。

 現在ではこうした加速器は単に実験用ではなく、例えばテレビのブラウン管などはまさに電子を発生させてそれを加速して蛍光画面に衝突させて光らせると言う意味では加速器の現実的応用であり、そのほかにもPET(陽電子放射断層撮影)と呼ばれているがん検診装置などもその一つであろう。

 ただ少年が夢見た加速器はそうした実用的なものではなかった。どうしてロボット工場などではなく加速器だったのか、それで何をしようと考えていたのか、今でもその理由はよく分からない。恐らく私が小学生の時に湯川秀樹博士が素粒子の一つである中間子の存在を予言してノーベル物理学賞を日本人として始めて受賞したことが影響したのかも知れない。自らノーベル賞を目指すほどの意気込みはなかっただろうけれど、加速された帯電粒子を別の粒子に衝突させると新しい物質ができる、未知の素粒子が見つかる、そんな話題が少年の夢を誘ったのかも知れない。

 今回のジュネーブで運転が開始された加速器は、光速に加速した陽子同士を衝突させることによって、宇宙が誕生したビッグバン直後の状態を再現できるのではないかと期待されているそうである。ビッグバンの再現がどんな意味を持っているのか、そのことが何の役に立つのか、そうしたことについて私はまるで無知である。

 そうは言っても宇宙を巡る話題にはどんな場合も夢がつながっている。ここでも「光速」が出てくる。恐らくその「光速」はどんなものも光速を超えることはできないとされているアインシュタインの相対性理論から来ているものだろう。

 ジュネーブでの円形加速器は、一周27`のトンネルに設置されているとあった。この円周から計算すると直径は約8.6`である。ネットで調べてみたら国内にある国立加速器研究所の陽子シンクロトロンは直径2`とあり、線形加速器にしたところで国内の大学の実験用で100メートルくらい、世界最大のものになると全長数`だと記されていた。
 どちらにしても戸建て住宅の地下に設けた秘密基地に収まるような代物ではないけれど、個人で所有する加速器などと言うあまりにも他愛ない夢だからこそ、逆に秘密基地にふさわしい夢だったのではないかとの気もしている。

 ところでジュネーブの装置で陽子同士を衝突させるのは数週間後になるとされている。この衝突実験に対してはその過程で小さなブラックホールの生成が懸念されるとして反対する意見もあったと聞いた。ブラックホールとはそこからは光ですらも脱出できないような超重力の物体である。周りにあるすべてを飲み込んで際限なく成長する質量の怪物である。それがもし発生したとするなら、残された時間の計算はできないけれど(一説には一瞬とも言われている)地球全体がその中に吸い込まれてしまうことは間違いのない事実である。宇宙にはいくつものブラックホールが見つかっている。その存在は回りの物質が吸い込まれていくときに発生するエックス線の観測で確認されていると聞いた。

 タイトル左に掲げた画像は、加速器によって小さなブラックホールが発生した場合の荷電粒子が描く軌跡をカラーで表現したものだとしてマスコミに発表された写真である。美しい画像ではあるけれど、これが何を意味しているのか私には理解できていない。
 もし仮に加速器の運転でブラックホールが発生したとすれば、それはそのまま地球の終りになるであろう。地球だけではない。恐らくは太陽系そのもの、そしてそれを超えた銀河の消滅にもつながっていくかも知れない。ことは学者の実験と言う分野からSFの世界へとつながり、少年の夢は夢であることを超えて現実へと結びつき始めているのである。



                                     2008.9.12    佐々木利夫

 巨大加速器(LHC)のシステムにハッカーが侵入。中央コンピューターに至る手前で止められたが、乗っ取られるまで「あと一歩」の状態だった(9月16日、WIRED VISION)。

 欧州合同原子核研究機関(CERN)は23日、ヘリウムガス漏れ事故による修理で、2ヶ月の運転停止に入った。世界最強の粒子加速器LHCの運転再開は(冬季の電力料金の高騰などにより)来春になるとの見通しを明らかにした(9月26日朝日新聞)。


 ブラックホールの発生を期待しているわけではないのだが、SFの世界もなかなか混迷しているようである。

                                     2008.9.27    佐々木利夫



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巨大加速器の夢