先週、デジタル携帯プレーヤーを手に入れたことをきっかけに私の音楽歴を少々披露したが(別稿、「回転しない音楽」参照)、その中でレコードの話しがけっこう長かった。それは私の年代としては当然のことなのかも知れないが、読み返して見てレコードには自分なりの思入れがけっこう強かったことに改めて気づいた。これはその薀蓄の一部であり、同時に独り善がりの自慢話でもある。

 
 レコードは円盤に渦状の溝を掘り、その溝に音のアナログ信号を刻みこんだものである。その信号の読み取りは溝を針のような尖ったものでトレースすることによって得られる。だからレコード針は音楽の入り口であり、ここで得られた情報なり信号が再生される音楽の基本となるものだから、まずここをきちんと管理しなければならない。

 だからレコードを楽しむ者にとってこの針の選択、そして管理は第一に心がけなければならない大切な要素だった。針はレコードの溝を物理的になぞって(つまり、引っ掻いて)音を拾うものである。レコードの溝は螺旋状に外側から内側へと向かって刻まれている。だから、基本的にレコードの溝は一本である。

 レコードの溝の長さはどのくらいあるのだろうか。外側の円周と最終部分の円周から平均値としての円周を出し、円周率と想定される螺旋の数から概数を計算するとか、一分間の回転数から溝をなぞる分速を計算しそれに演奏時間を乗じるなどの方法も考えられるけれど、面倒だから止めた。
 ただ、結構なその距離をゴマ粒よりも小さなガラスのような結晶一個でなぞっていくことを考えると、針にとってけっこう負荷のかかる仕事であることはよく分かる。だから針は演奏時間とともに磨耗していくから消耗品である。

 そのため針の素材は硬くて長持ちのするサファイヤが一般的であった。もちろんダイヤモンドの針もあったことはあったのだが、おいそれと手の出るような価格ではなかった。大切な針は常に慎重に扱う必要があった。レコードに落とすときはこれ以上ないくらいに静かに、そして小さなほこりも針を磨耗させる恐れがあるので、きちんと専用の刷毛で針先のクリーニングをしたものである。

 針圧
 レコードの溝を物理的になぞって音を出すのであるから、どうしたって常に針先をレコードに押し付けておく必要がある。この針先をレコードに押し付ける圧力のことを針圧と呼んだ。針圧が重ければ針の磨耗は早くなるし同時にレコードを傷めることにもなる。逆に軽過ぎるとレコードの僅かな歪み(波打ち)やプレーヤーそのものの振動などで針先が浮いてしまって音を拾えなくなる。これをどう最適な値に調節するかがプレーヤーを操作する者の悩みの一つでもあった。

 針を取り付けるアームと呼ばれるピックアップそのものはプレーヤー固有のものだからこれを取り替えることはできない。こうなるといささかマニアックになってくるけれど、買い求めた針にはそれに適した針圧が書かれていたし、針圧計なる小型の秤(はかり)も販売されていたのでそれを頼りに正確に計量するしかないと密かに思いこむ。
 アームは一種の天秤であり梃子でもある。グラム単位の適正針圧に合わせて消しゴムを薄く切ってアームの頭に乗せたり、支点と反対側に貼り付けて軽くしてみたりなど様々な微調整を加えたことは懐かしい思い出である。それによって名曲が更に名曲になる保証など何一つなかったのではあるが・・・。

 ターンテーブル
 次はレコードを載せるための円盤である。載せるだけなんだからどうでもいいような気がするかも知れない。だが例えば20センチの円盤に30センチのレコードを載せたとしよう。載せたレコード盤の安定は、ターンテーブルの外周に大きく影響される。ターンテーブルがレコード盤より大きくても意味はないけれど、小さければそれだけ回転によってレコードの表面が波打つなどの不安定さにもつながる。それに大きなターンテーブルはその構造にもよるけれど重いだろう。重いということは動かすときには大きな力が必要になるけれど一度動き出せばそれだけ回転むらが小さくなるから音も安定する道理である。

 回転数
 レコードの種類によって再生するための回転数は決まっている。LPレコードは1分間に33回転である。回転数は演奏する前にプレーヤーそのものにセットするようになっている。だがこの回転数には僅かの揺らぎがあり、厳密な意味で正確とは言えない。その微調整のために必要なダイヤルがついている。正確な回転数が得られてこその正確な再生であり、正確な音楽である。
 この回転数を確認するための道具として直径20センチばかりの紙製のストロボスコープと呼ばれる円盤があった。ターンテーブルにレコードと同じように載せて回転させるのである。この円盤には放射状に回転数に合わせた縞模様が何層かに分かれて印刷してある。この縞模様が止まったように見えるところが正確な回転数になるのである。

 ところでこの縞模様の止まる理屈は少々難しい。映画などで回転する車輪が止まって見えるようなことを経験した人もいるだろう。理屈はそれと同じである。太陽光は違うけれど、白熱電球や蛍光灯は目には直接感じないけれど点滅しながら光っているのである。その点滅速度は静岡・新潟以西は一秒間に60回、東京以東は50回になっている。原因は明治時代に遡り、電力会社における発電モーターの購入先の違いによるものらしいが、北海道は50回、つまり50サイクル(ヘルツ)の地域である。この点滅回数は極めて正確なので、それに合わせて印刷された縞模様は回転数がずれるとそれに応じて少し先へ進むように見えたり遅れるように見えたりするのである。さて蛍光灯の下、回転数はピタリ合わせることができた。次へ進もう。

 アンプ
 アンプとは増幅器のことである。針先から拾ったレコードの振動は、そのままではスピーカーを鳴らすほどのエネルギーを持っていない。この針先の微弱な信号を増幅してスピーカーへ渡すのがアンプの役目である。アンプの仕組みについて話せるほどの造詣を持っているわけではないけれど、ここには長く「石」と「管」の論争があった。

 石とはトランジスターのことであり、管とは真空管の意味である。ソニーが小型のラジオを開発した頃から時代は真空管からトランジスターへと移っていった。今でも真空管は健在のようだが利用するのはマニアに限られているようだ。入力信号を電気的に増幅するには大きさは様々だったが真空管と呼ばれる白熱電球の親戚みたいなものが何本も必要だった。それがトランジスター(現在のICの元祖みたいなもの)が開発されてその席を譲り始めた。

 その過渡期に「石は音が硬くていけねえ、しっとりとした柔らかい音はやっぱり管だねえ」とか、「すっきりした透明な音は石に限るねえ」などの論争が始まったのである。管は高価な上に切れてしまうという致命的な欠陥があったが、石にそうした心配は要らなかったし、なんと言っても価格の安さが普及の原動力になっていったようだ。
 私の耳は都合がいいことに石と管の差を聞き分けられるほどの能力はなかったので、もちろん安価な石によるアンプへと手を伸ばしたのは当然であった。ただ自分でアンプを持っているような音楽仲間と話をするときには、相手が石好みか管好みかに気をつけないと音楽談義があらぬ方向へと進んでしまうことにもなりかねなかった。
 アンプにも針信号をスピーカーを鳴らすほどの信号へと一気に拡大するもの以外に、ゆるやかに微弱から弱に、そして弱から強へと二段階に増幅するプリアンプ、メインアンプの二種類が用意されているものもあったが、この話は更にマニアックになってしまうのでここでは省略する。

 スピーカ
 針先の信号がいよいよ音となる時がやってきた。アンプを出た信号はスピーカーへと向かう。そこで決定的となるのがスピーカーの性能である。「原音に忠実」のキャッチフレーズは音楽を聞くものにとっての最大の泣かせどころである。何たってステレオ装置を通ってきた原音に忠実な再生音は、この身を一気にコンサーホールへと誘ってくれることでもあったからである。

 高音域用のツイータ、中域用のスコーカー、そして低音域を受け持つウーハー・・・。この三つのスピーカーを一つのボックスに内蔵した製品が続々と発売されるようになった。ステレオなのだから当然に二つ必要であり、しかもご丁寧に右用、左用と種類まで分かれていた。

 おお、なんという感激か。こうして聞くベートーベンの第九の響きは、たとえ周囲に迷惑にならないようにアンプやスピーカーの持つ性能をその10分の1にまで絞って聞こうとも、これまでの苦心や努力、更になけなしのボーナスをはたいて軽くなった財布などに味付けされて至福の時を与えてくれるのである。

 こうした音を聞くために「やったほうがいい」との情報は様々に伝わってくる。スピーカーはしっかりした床に置いたほうが低音が伸びるから下にブロックを敷いたほうがいいのではないか、プレーヤーは外部からの雑振動を避けるために天井から糸で吊るしたほうがいいのではないか、その糸は丈夫でしっかりしている三味線の糸がいいのではないか、アンプとスピーカーを結ぶ電線には途中のノイズを避けるためにはどんなものがいいのか、障子やふすまに囲まれた部屋では音響効果が台無しになるのでその手軽な解決方法などなど・・・・。
 私はそんなところにまで凝ることはなかったのだが、音楽を聞くというのはそんなに気楽なものではなかったのである。

 それがいつの間にか人や車の行き交う雑踏を歩きながら、イヤホンで聞くような雑なスタイルになった。どうやらその分だけ音楽に対する思い入れも同じように雑になってしまったような気がする。それはきちんと向き合って聞くという音に対する私の姿勢の問題でもあるし、同時にベートーベンの第九全曲を一気に聞こうとする私自身のエネルギーの欠如にもつながってきているようである。



                          2008.4.1    佐々木利夫


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あゝレコードプレーヤー