他人と共通点の少ない話というのはどうしても独善的になりがちで、下手をすると嫌味の多い自慢話に聞こえてしまうであろうことが自分の経験でも良く分かる。
 そうは言っても話している本人にはそれほど自己顕示を意識していない場合もあって、なかなか自分ではそのことに気づかない場面が多いようである。例えば孫の話しや行ってきた旅行の話し、果ては自分の病気の話などでも、少しでもくどくなり過ぎると変に鼻持ちならない臭いを放ってくることが多い。こうした傾向は一つには老いの特徴かも知れず、それだけ話す方にも聞くほうにも互いに共感する余裕みたいなものが少なくなってきていることの印なのだろうか。
 こうしてホームページに発表を続けている400本を超えるエッセイだって、考えてみれば延々と自慢話の連続になっているような気がしないでもないし、そう考えると老いの繰言もまたその人の生き様の一つになっているのかも知れないなどと感じることもある。

 ところで数十年前に東京に一年数ヶ月の研修に行って、その期間を利用して生まれて始めて論文と称するものに挑戦したことを昨年暮れここに発表した(別稿「私のくぐつた赤門」参照)。
 今ここで書こうとしているのは、その論文にどのように私がチャレンジしたかを、それこそ自慢げに発表しようとするものである。

 大学と卒業論文とはイコールなのかも知れないけれど、本来の大学生なら4年かけての成果なのに、私にとっては一年しか余裕のない職場での研修での課題である。テーマはとりあえず決めたけれど、このテーマで果たして合理的な結論とその過程を示すことができるかどうかの保証はまるでない。現に研修開始から1〜2ヶ月経って、テーマに迷いだす仲間も出てきたことがそれを示している。灯りもなく出口の分からない洞窟は手探りそのものだし、歩いている方向が出口に向かっていることすら確かめようもない無手勝流が始まったのである。

 そうは言っても選んだテーマを信じるしかない。迷うことは新しいテーマを決めなければならないことだし、その新しいテーマにしろも再び迷わないという保証はないのである。それにしても過去の先輩の労作は原稿用紙300枚にも及び、論文完成の頂は険しく高い。

 論文の形式すら知らない私だが、文章の決まりごととして「起承転結」を基本に置くことは必須だろうと自分に言い聞かせる。一緒に研修を開始した20名の仲間の中には、既に何年か前からこの研修を希望して下調べや下書き程度かも知れないが骨子のできている者もいると聞いた。そんな話はあせりを煽るだけでさっぱり参考にはならない。

 まず西田幾多郎の「論文の書き方」という本を図書館で見つけた。読んでみたが読解力が足りないせいかどうも私の書こうとする論文の参考にはなかなかなってくれないようだ。「が」という接続詞は肯定にも否定にも使われるので多用するなという、そのことだけは分かった。

 さてあとはテーマに関係する判例、文献、資料などを読み漁ることから始めるしかないと密かに覚悟を決める。とは言ってもテーマはどうしたって抽象的なものだし、起承転結のストーリーそのものが私の中にないのだから、読み漁る資料が必要なデータなのか無駄なものなのかの判断さえつかない。しかも読んでいく一方からどんどん忘れてしまうという現実は避けようがなく、読むことの意味そのものが問われることになる。

 そこで一応テーマに関連すると思える学説なり判例を、結果として私の論文に使えるかどうかをあまり深く考えず、とにかく集めることにした。設計図の青焼きや写真のような複写に代ってちょうどいわゆるゼロックスといわれるコピー機が出始めた頃で、1枚あたりの単価はけっこう高価だけれどそれを使って必要なデータを集めコピーの余白に出典を書いてファイルしておくこととした。

 しかし集めただけではあんまり意味がない。前にも書いたとおり、集めた内容を理解し記憶しておかなければ後から使おうとしたときにその資料が出てこないということになる。これには参った。読んだ本の全ページが必要なのではなく、場合によっては著者の考え方とか著作の数行を使いたいというケースもある。それを全部頭の中で整理し記憶しておくことなんぞ不可能である。

 悩んだ末に、資料の要約またはなるほどと思った文章などをキーワードつきのカードにメモすることにした。掌サイズの少し厚い罫線入りのカードが売られていたのでそれを利用することにした。カードの右上に大きく赤鉛筆でキーワードを書くことにした。これが気になった資料のタイトルである。カードの内容が二つ以上のキーワードに対応するような場合には、それぞれキーワードの数だけ同じカードを作ることにした。

 私の論文のテーマは所得税法における給与所得を巡るものであった。さて集めだしてこれまた混乱である。何が使えるのか、どういう筋道のために集めるのかまるで分からないのだから、集まってくる資料も支離滅裂とでも言っていいくらいに膨大、かつ統一のないものであった。

 研修所の図書館、聴講した大学の図書館、そしてなんと国立国会図書館まで足を運び、そのほか毎日の新聞記事など、手当たり次第の資料集めが始まった。とにかく関係あってもなくてもよく読んだ。読まないことにはコピーとして残すべきかどうかの判断すらつかないからである。そのうち論文とは関係のない雑誌や小説やテレビの対談みたいなところからも気になる部分が出始める。

 カードが溜まり始める。100枚、200枚・・・、時にめくってみるけれどまるで方向が見えないままの滅茶苦茶で、カードを残したという事実のままでその意味が雲散霧消してしまいそうな恐怖に襲われる。論文作成と聴講が主たる研修内容ではあるけれど、聴講科目の教授から宿題が出たり、なんたって単位を取得するためには中間試験や期末試験も受けなければならない。そのほか研修には判例研究であるとか教養講話などと称した授業もそれなり多く、たまには都内や近隣観光地へ遊びにも行きたいなどと考え出すと、溜まったカードはまさに砂上の楼閣のような儚いものに見えてくる。そして先にも書いたようにテーマがふらついてきた仲間の発生がそのことに輪をかける。

 どのくらい経っただろうか。カードは何枚集めたかは分からない。ただカードを収納するケースを厚紙で自作していたので、一箱が200枚くらいだとの見当がつく。集めればいいというものではないだろう。だがそうしたカード作成は単なる他人の意見の分類のみに止まらず、自分で思いついた意見も同じようにキーワードをつけて書き込んでいった。カードは次第に増え続け、それが700枚、800枚くらいになってきたとき、一つの変化が見えてきた。

 それは私自身の中で興味のある分野が少しずつ形を作ってきたことである。つまり、興味のある資料収集の範囲が固まりつつあるということであった。もちろん興味がないと言うか、コピーをとっておく必要がないと判断した分野が、結果的に論文作成に必要だったと後悔することにならないという保証はない。
 だが、資料残さなかったのだし、読んだ資料の全部をうろ覚えにしろ記憶していることなどないのだから、その資料は始めからないことになる。だから後悔することなどないのである。

 さて、そうなるとカードにあらわれたキーワードそのものが少しずつ一定の方向へ収斂していくことになる。年が明けた。カードは1000枚を超えている。まだ論文作成に着手するには早いけれど、このカードだけが頼りである。ある日、キーワードごとにカードを分類してみることにした。雑多なキーワードが書かれているが、分け始めると共通のキーワードがいくつか出てくるし、更にそれらをまとめられるような大分類のカードなどに区分できることに気づく。

 大きくは、所得税法を中心とした個人に対する課税制度の沿革、その中での給与所得の位置づけ、そして給与に比較的類似している民間の賃金と労働法上の沿革などなどである。
 そして思ったのである。これを基礎に組み立てよう。論文の形式は必ずしも決められていないが、この大きな柱を章または編としてこれに節などの細目を書いていけばいいのではないか。そう思ってとたんに気が楽になったのである。分類したカードを眺めてみるとけっこうキーワードごとの枚数の差が大きい。多く集めたのはそれだけ私の興味の大きい分野だといえるのだろうが、こうして論文の構成という側面から眺めみると必ずしもそれほど大量には必要がない部分もある。それに比して、少し詳しく書きたいなと思われる分野であるにもかかわらず、集まっている資料は数枚しかないという分野もある。

 いくら多くたってその資料を全部使う必要はないとは言うものの、これ以上一枚たりとも必要ないと断ずるわけでもない。枚数か多ければそれだけ取捨選択の巾が広くなることでもある。逆に少ない分野は調べた範囲が狭いことでもあるからそのままにしておく手はない。その分野に特化した研究なり資料集めの努力が一層必要になるということである。
 このカードの作成とそれをキーワードごとに分類することによって、私は論文作成までの長い過程の道筋を自分なりに見つけることができたのであった。

 そして最終的に千数百枚のカードを作成して、それをキーワードのテーマごとに分類し、もちろんそんなに単純に進められた訳ではないのだが、その分類されたカードのグループが第一遍、第一章、第一節となり、それを頼りに間もなく私は私の論文作成に着手し、顧問になってくれた大学の教授や部内の担当教授、そして国税庁の担当補佐の指導などもあって、何度かの推敲の末どうやら自分なりの一つの結論をまとめることができたのであった。




                          2008.1.5    佐々木利夫


            トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ



論文に挑む