司法なんてのは肩苦しさの象徴みたいに思われがちだし、現実的にも法律に関わる諸々は理屈ばっかりで無味乾燥と言うのが相場である。そうは言ってもそうした司法の世界に来年から我々自身が直接参加する裁判員制度が導入されることになったから、あんまり他人任せや無関心ではいられない時代になってきた。
 その司法が分野によってはけっこう面白いものがあると書いたのは今年の2月のことであった(別稿「いま司法が面白い」参照)。

 ところで最近、また新しく興味のあるテーマが一つの事件の中にいくつか集中して表われてきたのでいささか驚いている。それは、先の「いま司法が面白い」と若干重複する話題になるけれど、ロス疑惑と言われている事件で、妻を殺害したとして夫が逮捕され、最高裁まで審理された結果無罪が確定したその夫に対するアメリカ政府による逮捕を巡るものである。逮捕は今年の2月だったからもうかれこれ7ヶ月になる。
 この事件がロス疑惑と呼ばれたのは、1981年8月に夫が保険金目的で第三者に依頼して米国カリフォルニァ州ロサンゼルスで妻を殺したとされる事件が起き、殺人の直接的な証拠もなく本人も否認したままであるにもかかわらず週刊誌などのマスコミが大騒ぎをしたからである。マスコミ報道のほとんどは夫を犯人と決め付けるような書き方をしていて、それに添った形で検察は起訴したけれど、結果的に東京地裁の無期懲役、東京高裁の無罪を経て2003年、最高裁審理で無罪が確定した。

 ところが今年(2008年)の2月になって日本で無罪となったはずの彼がサイパン島へ旅行に行った際、突如現地の司法当局から逮捕されるという事件が起きたのである。逮捕理由はカリフォルニアの裁判所がこの事件に関し27前に発行した逮捕状によるものであるった。この背景にはサイパンの国際的な地位と世界各国における刑法そのものの存立基盤である属地主義と属人主義の対立が関係している。

 なぜサイパン政府が彼を逮捕できたかについては、サイパン島が現在でもアメリカの自治領であることに起因している。サイパンは北マリアナ諸島の一つであるが、この諸島全体がアメリカ自治領になっていてアメリカの主権下にあるということである。
 ところでこの事件は1981年に発生しているから今年で27年目になる。日本での殺人罪の時効は15年だから(2005年以降に発生した事件からは25年に法改正されている)、日本刑法としては既に時効が成立している事件である。だがアメリカには殺人に対しての時効制度がないので無期限に逮捕ができるのである。恐らくロス市警は容疑者を逮捕すべく彼がアメリカ司法権の及ぶ地域へ出かける機会を狙っていたのではないかとは思うけれど、そのチャンスが今年の2月だったと言うことでもあろうか。

 さてもう一つ、日本の刑法は「この法律は、日本国内において罪を犯したすべての者に適用する」(第1条)と規定しているから、基本的には属地主義、つまり日本国内で犯罪を犯した者はその者の国籍の如何を問わず日本の国内法で裁くという原則を採用している。ところが殺人を含む一定の犯罪については「この法律は、日本国外において次に掲げる罪を犯した日本国民に適用する」(同第3条)としているから、限定的ではあるけれど属人主義でもある。ロス疑惑は外国で起きた事件だったから、日本はこの刑法3条を適用して夫を逮捕、起訴して最高裁までの審理となったわけである。

 ところがこうした属地主義、属人主義はアメリカの刑法もほぼ類似したものになっている。アメリカの刑法(具体的には各州の刑法)でも「アメリカの国内で起きた犯罪はアメリカの刑法で裁く」ことが基本原則である。だとすれば、この事件はアメリカで起きた日本人による犯罪(あくまでも容疑)だからアメリカの刑法も同時に適用されることになるのである。どの国の刑法で裁くかは、それぞれの国の刑法の構成要件によって異なるだろうけれど、少なくともアメリカと日本に限定する限り、この事件に関しては同一人に対してアメリカも日本も同時に司法権を行使することが可能なのである。

 このように本件に関しては「属地主義・属人主義」、そして「殺人罪の時効」という極めて法学的な問題がもろに表面に現れてきて興味をそそるのであるが、それに加えて逮捕から7ヶ月が経過しているにもかかわらずいまだにサイパンで拘留されていることにある。

 その背景には更にサイパンの司法権との競合、そして司法独特の法理論である「一事不再理」の問題があったのである。
 ロスアンゼルス当局は裁判をロスで審理すべく逮捕と同時に彼の米国への移送をサイパンへ求めた。裁判地域管轄は犯罪の行われた地とされているからである。この移送を巡ってサイパンの弁護士は様々な手段をとった。現在彼はサイパンに拘束されている。彼の逮捕が合法であってこそ拘束の継続もまた合法となる。仮に逮捕が無効であって拘束が解かれることになれば彼は日本に帰国するであろうから、治外法権下である日本にアメリカの直接的な司法権は及ばなくなってしまう。

 さてその逮捕の合法性を審理するのはロサンゼルスの裁判所でも可能ではあるけれど、そのためには現在はサイパンに拘留されているのであるからサイパンの裁判所からのロサンゼルスへの被告人の移送が必要となる。しかし弁護士は逮捕状そのものの無効を訴えているのだから、まず逮捕が合法であるかどうかを判断しなければならない。

 その時に弁護人が逮捕を違法としてカリフォルニアの裁判所に掲げた理由の一つが「一事不再理」であった。これは刑事事件について有罪または無罪の実体的な判決があったり免訴などの決定があった場合は、その犯罪について再び審理することを許さないとする法理論であり、多くの国で法律的にも確立されている(日本では憲法9条、刑事訴訟法337条)。
 つまり本件に即して言えば日本の最高裁で一度殺人についての無罪が確定しているのだから、仮にその判断が誤っていようとも再び逮捕や起訴をすることは許されないということである。こうした解釈が日本国内のみならず国際的にも適用されるのかどうかについて弁護士は正面から主張したのである。

 私が興味を持ったのは、そうした国際的な一事不再理の適用の可否と言う理論もさることながら、現実的には恐らく起きないであろう法理論的なテーマが突如として目の前に現れてきたことであった。一事不再理の法理は確かに若い頃に刑法(理論的に刑法以外の民事法の分野にまで適用されるかどうかは諸説あるらしいが)の講義で学んだ記憶はある。だだそれはあくまでも法理論としてであり、実際の場面に登場することなど予想もしていなかったことだからである。

 ロス疑惑では、カリフォルニアの最高裁は一事不再理の適用はあるとしたようである。つまり殺人については日本での無罪の確定判決があるのでアメリカ国内法でも逮捕はできないと判断したようである。ただ被告は殺人と共謀罪の二つで逮捕されていること、日本には共謀罪が存在しないので共謀罪に対しては判決が下されておらず一事不再理の競合は起きないと判断し、共謀罪についての逮捕は有効としてロサンゼルスへの移送を認めたようである。
 こうした判断がこれから行われる実質的な審理に影響を与えるわけではないと思うけれど、この事件を通じて若い頃に学んだ「属地・属人主義」、「殺人の時効」、「裁判管轄」、「一事不再理」などの法律用語に改めて触れる機会を得たことにどことない懐かしさを感じたのであった。そして「自治領」などと言う戦争や植民地の名残りみたいな制度が現在もまだ厳然と生き残っていることにこれまたどことない違和感や複雑な思いを感じたのであった。



                                     2008.10.01    佐々木利夫

 米ロサンゼルスで10日(日本時間11日)、三浦和義元社長(61)が自ら命を絶った。81年の事件当時、妻だった一美さん(28)の死をめぐり、ワイドショーや週刊誌などで大きく取り上げられた「ロス疑惑」。日本で無罪を勝ち取り、米でも徹底的に争う姿勢を見せていた元社長に何があったのか。日米の捜査当局が続けた「真相解明」は、事件発生から27年で決着を見ないまま幕引きとなった(朝日新聞ネットニュース)。


 ロサンゼルスへ移送されて半日後のことであった。一体何が起きたのだろうか。「ロスでの有罪が免れないと知っての自殺ではないか。事件の真相がうやむやのままで残念」と日本の検察のOBがしたり顔に解説している。最高裁での無罪確定を彼は司法に携わる者としてどんな風に理解しているのだろうか。内心はともかく決して外に向けて出してはいけない言葉だと私には思えるのだが・・・。どうにもやりきれない事件の結末ではある。

                                     2008.10.12   佐々木利夫



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いま司法が面白い
   (その2)