「復讐からは何も生まれない」などと、人はいつの時代も同じように繰り返してきた。そして「赦す」ことが平和へとつながるのだとも・・・。
だがそのことがいかに困難であり、時に不可能だとすら言えるほどにも遠い思いであることをどれほど繰り返し知らされてきたことか。
最近、イスラヘルとパレスチナを巡る紛争を解説した新聞の特集記事を読んだ(朝日、「分断、イスラエル、パレスチナ60年、上、中、下」、’08.4.30〜5.2)。
私など今の日本の平和にどっぷりと浸かった、まさに平和ボケそのものの存在だから、国際情勢にも宗教戦争にも皆目疎いことは認めざるを得ないけれど、それでもかつての「米ソ対立・冷戦時代」という形を新聞テレビからにしろ経験してきたこの身にとって見れば、争いのスケールこそ小さくなってきているかも知れないし、それを戦争と呼ぶか内乱と呼ぶが単なるテロと呼ぶべきかの区別は必ずしもきちんと整理されている訳ではないけれど、数としての紛争はいたるところに増殖し世界中に広まってきているとしか思えない。
そして恐らくその背景には極めて単純な、「他者を理解できない」というそれだけが存在しているせいではないのかと思っている。つまり裏返すなら、「他者を理解する」とはそれほどまでに難しいということでもあろうか。
だから人は理解できない状況を「不信」と呼び、その解決のために「信頼」というキーワードを作り上げてきた。それにもかかわらず「信頼」が成熟するのは至難であった。むしろ「武力」こそが平和を実現するのだとの思いのほうが強く現れるのが現実でもあった。
つい数ヶ月前に読んだ本に、こんな一言があった。
「まさに平和を守るためには冷徹な現状認識と防衛への意思が必要なことは歴史がはっきりと示している」(広淵升彦、コンドルと車輪の物語、07年版ベストエッセイ集・ネクタイと江戸前所収p143)。
何をもって平和と言うのか実は私にもよく分からないのだが、例えば世界のどの地域の、いつの時代でもいい。「ここが平和だ、これが平和だ」と国民が信じられた国と時間があったとしよう。そうした状況の実現について、私は断言できるほどの確信を持って言うことができる。その平和は少なくとも「武力」によってもたらされたものであると・・・。
前掲の朝日新聞の特集(下)は、イスラエルとパレスチナをめぐる映画の試写会の話題を取り上げていた。「復讐で肉親は戻らない。痛みも和らがない。平和を作っていくしか道はない」。映画は双方の遺族たちが苦しみの末にたどりついた平和への決意をこう伝えていたと新聞は書いていた。
だが試写会の会場からは「われわれとパレスチナ人の苦しみは違う」とのイスラエル人の声が上がる。パレスチナのイスラヘルへの攻撃はテロリストによる無差別な市民攻撃であるのに対し、イスラヘル人によるパレスチナ人の犠牲はテロを防ごうとした結果の巻き添えにしか過ぎない、と語るのである。
果たして人は他人を理解できるのであろうか。旧約聖書バベルの塔で神は人が他人の言葉を理解できないように仕組んだけれど(別稿「
バベルの塔の教訓」参照)、同じ言葉を用いる民族同士ですらも人は他者を理解できないでいる。
他者を理解するとは、どういうことなのだろうか。NHKテレビでアフリカを114日かけて縦断するツアーのドキュメントを見た(5.6夜)。総勢20数名にはイギリスやアメリカ人などに混ざって、日本人も若い女性二人と男性一人が参加していた。その女性の一人が「大学でアフリカの貧困について研究しているが、教室ではどうしても分かりにくい。実地に経験することが大切だと思って参加した」と話していた。
よく分かる話である。まさに論より証拠である。でも私はこんな風に思ったのである。
この旅はアフリカ北端のカイロから南アフリカ南端の喜望峰に至る2万キロを超える、改造されたトラック一台に乗せられた集団ツアーである。確かに各地でテントを張って泊まり、市場で買い物をしたり、街の人たちと話をするなどの交流もあった。車からにこやかに手を振り、そしてこれもにこやかに手を振りかえしてくれる道沿いの今始めて出合った人々の映像もあった。
だがアフリカと言う広大で多様な人種や民族や宗教も、更には政治、地形、気候さえも全く異なる2万キロにも及ぶ人々の間を、砂塵巻き上げるトラックで駆け抜け、会話さえもままならぬ接触の中で、そのアフリカを研究している女性は一体どんな風にアフリカを理解できたのだろうか。旅を終えた彼女は、「アフリカを理解できたか?」と問われたときにどんな風に答えるのだろうか。
最近のNHKの「みんな歌」でクリスタルズと呼ばれる少年少女のグループの人気が高いらしい。彼等は楽しげに踊りながら「クリスタルチルドレン」と言う曲を歌う。
「
・・・(暴力やいじめだって)すきっとするのは一瞬だけだよ。・・・許せる勇気持って生まれてきたんだ。・・・怒りは歯をくいしばり飲み込む勇気を持って生まれて来たんだ・・・」。
誰の作詞なのか知らない。だが他者へのいじめや攻撃が一瞬にしろ「すきっ」とした気持ちを抱かせてくれる場合のあることをこの歌は教えている。怒りを鎮めるためには歯をくいしばるほどの力が必要なのだと言うことも・・・。
今の時代がもし仮に、一瞬にしろ安らぎを与えてくれることのなくなった時代なのだとしたら、その僅かのすっきりした気持ちを与えてくれる手段を子供たち自らが選ぶことを、大人はどうして責めることなどできようか。今の子供は耐える力が乏しくなったと大人は責めるけれど、歯をくいしばるほどにも我慢しなければならない力を、私たちは本当に持って生まれてきたのだろうか。我慢したままつぶされてしまうことなんて決してないんだと断言できるのだろうか。
人は人を永遠に理解できないのかも知れない。ふと、私は確信のように思う。だから理解できない部分を埋めるために、人は「信頼」と呼ぶ名の、一種の錯覚とも言うべき充填剤を作り出したのかも知れない。親子だって夫婦だって、正面から「互いを理解できたか」と問われたとき、人はどこまでそのことにきちんと答えられるのだろうか。
だとすれば「信頼」とは本質的に人間の空想が作り上げた一種の混沌なのかも知れないと私は思い、だからこそ冒頭に掲げたように「イスラヘルの受けた死」と「パレスチナの受けた死」とは質的に異なるのだとまで互いに主張し続けるような現実があまりにもそのことを示しているのではないかと思えたのである。
2008.5.7 佐々木利夫
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